果 つ る 地 の 話


 生ける物の気配どころか、光までが薄れ遠のいていた。
 目的の地が近いらしい。腰を落ち着け、少しばかり苦労して火をおこす。
 最後の干し肉をあぶり始めると、闇の向こうから、ひたひたと足音が寄ってきた。細い炎に照らされて、時おり、白々と脚の動きが見える。やがて、長身らしい姿の上に、顔が浮かび上がった。
 「なにやら、いい匂いがする。」
 にやにやと嫌な笑い方をしながら、言う。
 少し熱すぎた肉を裂き、片方をその胸元の辺りに放れば、するりと出た手がそれを受け止める。それからようやく、男は焚き火の向こう側に座り込んだ。それでもまだ、暗がりに、顔と手足だけが浮かぶだけにも思えた。
 どちらも黙ったまま、味のない干し肉を噛む。やがて、男が声を掛けてよこした。
 「お前も、『地の果て』に行くのか?」
 相手の笑い方に嫌悪しながら、ただ、うなずいた。
 「何も無い、あそこはただ、終わるだけの地だ。あんなものを見たがる奴の、気が知れない。」
 笑うままに言う、その含みをどう測ったものかと浅く思いながら、男の曖昧な姿を眺めていた。
 「それでも、たまにはこうして食い物にありつける。…肉の礼に、オレの闇でも見せてやろうか。」
 不意に、正気が戻って、その言葉を確かめようとしたが、間に合わなかった。
 男は、声を上げた。
 彼は確かに、闇、と言った。寒気に吐く息の白く見えるように、呪文か呪縛の言葉のような声が、それを呼ぶのが判る。総毛立ちながら、ただ、見入った。
 やがて、細い火がとぎれおきも尽きて、いつの間にか男の姿は無くなっていた。


 立つすぐ先で、総てが静かに沈んでいく。
 足元の地ですらが、わずかずつながらも、進んでいるらしい。その上に在る何もかもを、終焉に向けて運んでいく。
 流れていた。穏やかに、総てが。そこにはもう闇すらも薄まって、曖昧に漂うばかり。
 随分と長くそれを眺め、それから時間をかけて、沈む地に沿って歩いた。終焉の淵はなだらかに、どこまでも続いて、尽きる事はないらしかった。


 少しばかりの枯れ草を拾えるようになって、ようやく火をおこす。か細い炎でも、明るいだけで温かい気がした。
 いくらかでも暖のある内にと横になろうとした時、闇の向こうにあの白い顔が浮かんだ。
 「戻ってきたな?」
 相変わらずの、嫌なうすら笑いのまま、男が言う。
 「行って、それきりの奴もいる。まるで呆けちまうのもいるからな。」
「…言うとおり、終わるだけの所だった。あれはあれで、一つの闇だけど。」
「一つの?」
「あんたのも、またすごい闇だって事だ。」
 答えれば、相手はますます笑う顔をする。その口から、今にもあの声がほとばしりそうな気がして少し粟立つが、彼はただ笑うばかりだ。
 「でも俺は、俺の棲む闇は、もっと命だの力だのが溢れている。それがやっぱり、性に合ってるらしい。…来てみて、よく判った。」
 男が笑い、言う。
 「なら、お前は戻らねばな。生きて、自分の闇に還ればいい。」
 白い腕が現れて、闇にゆるい弧を描く。そのまま背を向けて、彼は暗がりに姿を消した。膝元に、首を折られた獲物が落ちた。顔を上げた時には、もう何の気配も、辺りにはなかった。
◇果つる地の話◇完

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