#432 リモートな日々

2020/06/10

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 何年か経った後、我々はこの2020年前半の出来事をどう振り返ることになるのだろうか。

 2020年が明けて、中国の武漢で奇妙な肺炎が流行している、というニュースを聞いていた時は、正直なところ私を含め多くの日本人、いや世界中の人たちが、どこか他人事という受け止めだったのではないだろうか。

 それが、1月の後半ごろから各国で感染者がぽつぽつと現れ、2月に入り日本では横浜に寄港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染確認による隔離措置が展開された。3月6日には全世界の感染者数が10万人を突破、3月8日には全世界100の国と地域で感染が確認されるに至り、3月11日にこの疾患がパンデミックであるとWHOが見解を示すに至り、日本でも少しずつ、企業などで対策が取られるようになってきた。私の職場に関して言えば、2月の段階で不特定多数での飲み会の自粛するなど、曲がりなりにも対策が取られ始め、3月からは満員の通勤電車を避けるための時差出勤の数値目標が設定され、徐々に対応の度合いが高まってきていた。

 そして、聖火リレーが始まろうとしていた矢先に、IOCは今年東京で開催予定だった夏季のオリンピック・パラリンピックの延期を決定。国内でも様々なイベントが自粛されるようになった。職場でも、年度末に急遽テレワークのためのアカウントが設定され、新年度早々、東京都などで緊急事態宣言が発せられるに至り、職場でも接触8割減を順守するため、出勤頻度を週一回以下に抑えたテレワーク中心の業務がスタートした。

 もとより十分な準備ができていたわけではないので、職場でのテレワーク実施は手探りの部分も多かったのだが、いざ始めてみると、特に急を要するものでなければ、普段の業務についてはそれなりに淡々と進むものだということがわかった。

 ただ私のようなサラリーマンは、そんな形で大過なく仕事が続けられたから良かったものの、飲食業などの自営業を営む人たちは、外食やイベント需要が蒸発してしまい、文字通り死活問題であったわけである。その一方で、後から後からやってくる患者を、感染予防しながら治療にあたらなければならない多くの医療現場は戦場のような状況であったわけで、これらの人たちに対してある種の負い目を感じる次第である。

 そして私の息子も、2月下旬に全国一斉に公立学校の一斉休校が敷かれたために、3月からしばらくは学校に通うことはできなかった。辛うじて3月中の中学校の卒業式は、さまざまな感染症対策を施した上で実施されたものの、新しく通うことになる高校の方は、入学式も土壇場で中止となり、学校生活もなかなか始まらず、4月5月は学校から送られてくる課題を黙々とこなすしかない状況であった。

 高校の方でも突然のことでいろいろ手探りだった様子が伺われ、家庭のPCやネット環境についてのアンケートを行った上で、5月の後半になってようやくオンラインでの面談を開始したり、一部の教科でYouTubeの動画による講義映像などが配信されるなど、いろいろ尽力されていた様子である。

 一方で、年に数回飲み会をしているメンバーで、初めてオンライン飲み会をやってみたところ、普段参加できない遠方に住んでいる仲間も含めいつもより多くのメンバーが集まり、思いのほか盛り上がったということもあった。怪我の功名ではあるが、こういった発見もコロナ禍における新たな発見ではある。

 こうした巣ごもり生活を2か月続けて思うのは、テレワークからオンライン飲み会に至るまで、リモートでの密度の高いやりとりはスマホやタブレットだけでは力不足で、ネットに常時接続したPC環境が欠かせないということである。テレワークにおいては、メールでのやりとりや資料の編集にキーボードが必要だし、画面もある程度大きい方が作業効率が上がる。オンライン飲み会にしても、参加者の顔が一度にたくさん見えるという点ではPCの方が楽しい。

 現在は緊急事態宣言も解除されて、少しずつ以前の生活に戻りつつあるが、テレワークにより生産性が上がった企業などは、今後もテレワークを継続したり、個人でもテレワーク環境があることを条件に都心から地方に回帰する流れがあったりするとも聞く。良かれ悪しかれ、この2020年のコロナ禍というのは、人々の生活や意識を大きく変えた出来事として記録されていくことだろう。


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