#079 円周率に魅せられて

1999/09/04

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 円の直径に対する円周の長さの比を円周率(以下π)という。このことは小学校の算数でも学習する。意味としては非常に分かりやすい定数であるにもかかわらず、何やら割りきれない摩訶不思議な数字であるという印象は誰しも持っているのではなかろうか。

 かつてこのπをできるだけ正確に知ろうとして、何人もの数学者がこれに挑んだ。直接的なアプローチは、正方形や正6角形に始まり、以下どんどん角数の多い正多角形の外周辺の合計と長辺の比を求めることによって、より真のπの値に近づこうと言うアプローチである。ちなみにこの方法でルドルフという人は、 1610年に正2の62乗角形で計算し、35桁のπを求めたというから恐れ入る。だいたい正2の62乗角形と言われてもどんなものなんだか想像もできない。誰が見たってそんなもの「円」にしか見えないだろう。(もちろんルドルフ自身も正2の62乗角形を作図したわけではあるまいが。)

 この方法は、計算に手間のかかる割には、なかなか多くの桁を求めることができなかった。それが微分積分法が発明されて、πが三角関数を使った無限級数に展開されることがわかると、単純な計算を続けるだけで、いくらでも正確なπが求められるようになった。実際、万有引力の発見で有名なニュートンは、この無限級数を使った方法で16桁のπを計算している。それまでの2000年もの間、どうがんばっても数10桁しか求められなかったπは、それからわずか200年程の間に、一気に数100の桁まで求められるようになった。

 この頃から、πは果たしていかなる数字であるかという研究がなされた。のちに1766年πが無理数であることが、そして1882年に、πは、あらゆる代数方程式の解になり得ない数、すなわち「超越数」と呼ばれる種類の数であることがわかった。つまり正確なπを求める計算には果てがないのである。

 1949年に、ENIACというコンピュータが、約70時間かけて2037桁のπを計算した。そしてその後、世界の最先端のコンピュータは競ってπを計算するようになったのである。ENIACから50年。現在πはどこまで計算されているかご存知だろうか。わたしも聞いて驚いたのだが、なんと687億1947万桁だそうである。しかもかかった時間は検証も含めてほぼ同じ72時間とのこと。ちなみにこの記録は日本の東京大学情報基盤センター・スーパーコンピューティング研究部門の金田研究室が出した記録である。コンピュータによるπ計算の歴史はそのままコンピュータの性能向上の歴史でもあり、この50年のコンピュータの進歩が物凄いものであったかがわかる。

 だがしかし、現実問題として、600億桁を越えるπの値など、それ以上の何の役にも立たないものである。実用上どんなに正確なπの値が必要であったとしても、せいぜい20桁もあれば充分であり、通常の用途では「3.14」とか「3.1416」で充分である。ちなみに筆者は300桁以上のπを記憶しているが、それが役に立ったと言う経験は一度もない。宴会芸で披露したって白けるだけであるし、だいたい披露したところで検証できないのだから出鱈目な数字を言っているのと同じことである。同じ憶えるのであれば、百人一首をすべて憶えるとか、得意先の電話番号を50件諳んじることができるとかの方がはるかに有益であると思われる。

 また、所謂どこまで行っても割り切れない値というものはπに限らず他にいくらでもあるのであり、何もπのみを躍起になって600億桁も計算する必要もないではないか、という気もする。なぜあえてπなのだろう。

 それは、小学生でもわかる「円周/直径」という簡単な理屈から求められる数字が、どこまで行っても割り切れないという神秘性が一つ。そしてπは、その他の数学定数、例えば「2の平方根(=1.4142135…)」とか「自然対数の底(=2.71828182…)」に比べ、遥かに多くの求め方(計算式)があり、それを効率良く計算することは、コンピュータやアルゴリズムの性能をはかる上で良い問題であるという理由がもう一つであると考える。

 実際に私も、コンピュータを使うことができるようになった大学時代に、色々な方法でπを計算するプログラムを作っては走らせると言うことを一時期熱中していたことがあった。そんなことに熱中できること自体、かなり奇特でお目出たい性格であると言えるが、あるプログラムと別のプログラムで計算した値がそれぞれ違っていた時に、なぜそうなったかを考えることは悩ましくも楽しいことであったし、プログラミングのいい訓練になったと思っている。

 今では、スーパーコンピュータを持ち出さずとも、少しパワーのあるパソコンを使えば1000万桁くらいなら数時間で計算できると言う。興味のある方はお試しあれ。私にはもうそんなことをしている暇はないが。


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