#033 感じ、もとい漢字違い

1998/11/14

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 普段はほとんどパソコンで文章を書くようになってしまったので、IMEのおかげでどんどん漢字を忘れていることは以前に書いた。最近はそれどころか、手で書いていたなら間違いようのない漢字の使い違いをよくするようになってしまった。

 IMEで日本語の漢字かな混じり文を打つ場合、全体の読みをローマ字もしくはカナ入力で入力したあと「変換」というアクションを行う。文節が間違っていれば適宜長さを調節して、必要があれば次々に候補を探し、正しい漢字が出てきたら「確定」のアクションを行う、というのが一般的な入力方法であろう。もしも自分の名前や固有名詞のように、もともとそのIMEの辞書にない単語があれば、「登録」することによって、以降は変換の候補に挙げられるようになる。そして最近のIMEであれば、使い込んでいくにつれ、そのユーザーがよく使う漢字を第一候補に持ってくるという、いわゆる「学習機能」というものが働く。そのため、使い込んだIMEの辞書ほど変換効率がよくなり、文章入力がよりスムーズに行えるようになるという寸法である。

 それにしても、日本語にはとりわけ同音異義語が多く、必ずしも一つの読みでそれに対応する漢字が常に一つに決まるとは限らない。同音異義語にしても、漢字で書いた字面が全く違えば、視覚的に違っていることに気がつきやすいのだが、お互いに字面も似ているとなると間違いに気がつかないことが多い。そのためIMEで漢字かな混じり文を打っている場合、うっかりすると、字面の似た同音異義語を間違って書いてしまうケースが大変多くなっているのである。

 例えばよく起こる例として「内蔵」と「内臓」がある。これらは見たところ字面がとてもよく似ている。もちろん前者は「内部におさめ持っていること」の意味であり、後者は「はらわた」のことである。しかも前者は「内蔵ハードディスク」「内蔵CD-ROM」などと、パソコンの分野で使うことが多いにもかかわらず、多くのIMEでは「内臓」の方を第一候補に出すものだから、気づかずにそのまま間違って表記されている例が圧倒的に多い。「内臓ハードディスク」。サイボーグ009になってしまいそうである。

 「自身」と「自信」なんてのもよく似て見える。「自分に自身がなくなった」などと書いてしまうと、透明人間かテレポーテーションのできる超能力者になってしまう。ちなみに私の使っているIMEの場合、仕事柄「じしん」と打つと「地震」が第一候補として出てくる。これはちょっと字面が違うからさすがに間違えることは少ないが、それでも油断していると「自分に地震がなくなった」なんて書いていたりする。いかんいかん。

 その他「保険」と「保健」、「保障」と「保証」、「更正」と「更生」、「対象」と「対照」と「対称」など、例を挙げればきりがない。このあたりはうっかりすると、手で書いていても間違って使うこともあるから、単に国語力の問題かも知れない。

 動詞になると更にややこしい。「務める」「勤める」「努める」「勉める」や「計る」「測る」「量る」「図る」「謀る」「諮る」なんて、手で書いていても正しく使い分けてるかどうか私自信も自身がない。もとい、私自身も自信がない。

 最近ではIMEも文脈判断によりなるべく正しい候補を出してくれるようになりつつある。例えば、徳島の某会社のワープロが、タレントを起用して盛んに宣伝していたりする。曰く、今までのIMEだと「入れた手のお茶」とか「ガイドが天上する」という有様だ、なんて言っている。だけど私のMS-DOS機で未だにがんばっている松茸Ver.3だって、そんな馬鹿な変換はしないぞ。

 かと思うと、滅多に使わない四字熟語や難読地名や「貴社の記者が汽車で帰社した」が一発で正しく変換できたから優秀なIMEだと喜んでいる輩もいたりする。そんな滅多に使いもしない言葉が一発で変換できるからと言って優秀なIMEということにはならない。最近のIMEならこの程度の誰でも思いつきそうな例ならあらかじめ辞書に登録してあることも考えられる。それに「きしゃの…」ができても「ごぜんがごぜんにごぜんをごぜんめしあがった」は無理だろう。ちなみに答えは「御前が午前に御膳を五膳召し上がった」である(井上ひさし「私家版日本語文法」より)。誠に日本語とは難しく奥が深いものである。

 なんだか単に言葉遊びの話になってしまったので今回はこれにて尾張、じゃなくて終わり(御粗末)。


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