この本は私の元気の源です。仕事に、雑事に、毎日追われて疲れてきたとき、この本を読み返すと「知的生活」への思いが再び活力を
与えてくれます。
景山民夫の直木賞受賞作です。
この物語が書かれたのは1957年(でいいんですよね?)。ご存じロバート・A・ハインラインの名作「夏への扉」です。
ご存じロバート・レッドフォード監督の名作「A RIVER RUNS THROUGH IT」の原作(原著のタイトルは、映画と同じ)です。
モンタナの大自然を舞台に、家族の愛を描いたすばらしい作品でした。自然の美しさもさることながら、フライ・フィッシングが好きな方にはたまらない映画だったのではないでしょうか。
さて、本の方はというと・・正直言って前半はもう一つのめり込めない感がありました。それが原文に由来するのか、訳に由来するのかは、私には分かりません。しかし、この本の持っているテーマの大きさにいつしか引き込まれて、あっと言う間に読み終わってしまいました。
その大きなテーマとは、一言で言うと「愛」だと思います。もっと言えば、「信仰と愛」でしょうか。
牧師である父は、「相手を理解できなくても、愛することはできるはずだ。」と説教の中で説いているのに、自分と家族は、みなポールをどう愛していいか分からなかったのです。そしてうまく愛せない自分にいらだちながら、それでも漠然とただ愛していたのだと思います。
その中で母だけは、分からないこともそのまま受け入れ、ただひたすらに愛することをもって、良しとしていたのかもしれません。
父は、神の愛がまんべんなく注がれていることを、モンタナの豊かな自然や、川の流から実感出来ていたのだと思います。確かに愛を実感出来ているのに、自分が家族を愛そうとしたときに、どう愛せばいいか分からない。自分が牧師として神の愛を人々に説いていながら、自分では分からない。この、もう一つ手にすることが出来ない、充足していない思いがいつも心の中にあって、 そしてそれを埋めることが出来るのは、愛だけだと分かっているのに、埋めることが出来ない自分・・・。それなのに、川はその中をただひたすらに流れて行くだけ・・・・・・・。
..........A RIVER RUNS THROUGH IT.
何か満たされていない。いやこれでいいんだ。何か足りない。でも、神は確かに愛を与えてくださっている・・・・・・・。この永遠に終わらない問いかけがこの小節のテーマなのかもしれません。
「Beautiful」という言葉を、父が良く使っていますが、この言葉は父が精いっぱい掴み取った、愛の実相を表す言葉のような気がします。
読書好きを自認する以上、やはりこの名作に触れないわけにはいかないでしょう。
数年ぶりにまた読み直してみましたが、名作の手応えは、読むたびに心の中に、大きなそして心地よい空間を作ってくれます。
最初にこの本を読んだときからの疑問点は、読み返してみてもやはり変わりませんでした。
それは、知能があがって認識力があがってきたときに、すべてを理解した上で純粋な心を保ちつづけることは出来ないのだろうか?という点です。
私はもちろん「出来る」と信じています。
(認識力が低いがために)今まで人から愛されてると思っていたのが、そうじゃないと分かったときにその後心がどういう方向に動いて行くのか?
また、これまで素朴に神の存在を信じていたのに、信じない人もいると知ったとき、自分の「信じる心」はどう動くのか?単純に「何だそうだったのか」で信じることが出来なくなってしまうのか?
「己の欲するところに従いて則を超えず」の心境を目指している私としては、そうは思いたくないなあ・・・
いろいろ考えさせられる本です。