私の愛読書


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1.知的生活の方法 (渡部昇一;講談社現代新書)
2.遠い海から来たCOO (景山民夫;角川書店)
3.夏への扉 (ロバート・A・ハインライン/福島正実 訳;ハヤカワ文庫)
4.マクリーンの川 (ノーマン・マクリーン/渡辺利雄 訳;集英社)
5.アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス/小尾芙佐=訳;早川書房)


1.知的生活の方法 (渡部昇一;講談社現代新書)

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 この本は私の元気の源です。仕事に、雑事に、毎日追われて疲れてきたとき、この本を読み返すと「知的生活」への思いが再び活力を 与えてくれます。
 「知的生産者」を目指す私としては、何とか渡部先生にあやかって知的生活を手に入れようと頑張っておりますが、なかなかむづかしい ものです。
 最近、毎朝30分の散歩をするようになって、カントには程遠いまでも、意志を保持する力、思考を持続する力が、少し強くなった かなと感じています。不思議なものですね。
 しかし、「知的正直」を守り、半七捕物帖から専門の英語学に至るまで、自分の心に素直に「知」の道を歩まれてきた渡部先生の生き方は、 あこがれでもあり、目標でもあります。
 私は小さい頃から、周りの人がなんと言おうとも、自分で面白く思えないことは面白くないと思い、 自分が良いと思えないもの(本に限らず、映画、音楽すべてにおいて)は、無理して良かったふりをしないようにしてきました。 そんな自分のこれまでの生き方が、「知的正直」と通じるところもあり、少しうれしい気分です。
 渡部先生のような、楽しく、そして充実した「知的生活」を、はやく実感として手に入れたいものです。


2.遠い海から来たCOO (景山民夫;角川書店)

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 景山民夫の直木賞受賞作です。
 突然の事故で亡くなってしまいましたが、本当に残念です。景山さんにはサイン会や何かの折に何度か会ったことがあり、多少なりとも言葉を交わしたことがある1ファンとしては、信じられない気持ちです。(この写真の本も直筆のサイン入りです!)
 さて物語ですが、景山さんの得意とするすべてを惜しげもなく山盛りにした最高のエンターテイメントです。撃ち合いのシーンのリアルさが、ハードボイルド物の血なまぐさいリアルさと違って、ある種漫画的だなと思っていたところ、その後ちゃんとアニメになりました。(もちろん観に行きました。)
 なんだかわからない組織が突然現れて、まるで戦争になってしまうところなど、ちょっと引いて眺めてしまうと調子良すぎるかな?なんて思わないこともないのですが、感情移入を躊躇させないストーリーで、たっぷり浸ることができます。
 最初本を読んだときは、ラストシーンがちょっとあっさりしすぎてるかなと思ったものですが、アニメを観たらそのままで十分感動的でした。結局景山さんの小説は映画的なんでしょうね。書いている最中、頭の中で映像が見えているんだろうなあと想像できます。(作品によっては明らかに”テレビ的”なものもありますが・・・・)
 そうそう、それから私はプロローグを読んで、ドナルド・モフィットの「第二創世記」の冒頭を思い出しました。


3.夏への扉 (ロバート・A・ハインライン/福島正実=訳;ハヤカワ文庫)

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 この物語が書かれたのは1957年(でいいんですよね?)。ご存じロバート・A・ハインラインの名作「夏への扉」です。
 物語りに出てくる(当時の)未来はとっくに過ぎているのですが、SFとしてのすばらしさは、全く色あせていませんね。
 時間を越えて、やがて愛を成就するストーリーは本当に心をあたたかくしてくれます。
 この本は古本屋さんで手に入れた文庫本です。「夏への扉」という名作があるということは、ずいぶん前から知っていたのですが、読んだのはかなり経ってからでした。
 実はその「夏への扉」のことも、大好きな山下達郎の歌で知りました。山下達郎の同名の「夏への扉」という曲です。その後いろいろな機会にこの小説の話を聞き及び、一度読んでみたいと思っていたものでした。
 時たま、読み返してあったかな気分に浸りたい・・・・そんな本です。


4.マクリーンの川 (ノーマン・マクリーン/渡辺利雄=訳;集英社)

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 ご存じロバート・レッドフォード監督の名作「A RIVER RUNS THROUGH IT」の原作(原著のタイトルは、映画と同じ)です。
 モンタナの大自然を舞台に、家族の愛を描いたすばらしい作品でした。自然の美しさもさることながら、フライ・フィッシングが好きな方にはたまらない映画だったのではないでしょうか。

 さて、本の方はというと・・正直言って前半はもう一つのめり込めない感がありました。それが原文に由来するのか、訳に由来するのかは、私には分かりません。しかし、この本の持っているテーマの大きさにいつしか引き込まれて、あっと言う間に読み終わってしまいました。

 その大きなテーマとは、一言で言うと「愛」だと思います。もっと言えば、「信仰と愛」でしょうか。

 牧師である父は、「相手を理解できなくても、愛することはできるはずだ。」と説教の中で説いているのに、自分と家族は、みなポールをどう愛していいか分からなかったのです。そしてうまく愛せない自分にいらだちながら、それでも漠然とただ愛していたのだと思います。

 その中で母だけは、分からないこともそのまま受け入れ、ただひたすらに愛することをもって、良しとしていたのかもしれません。

 父は、神の愛がまんべんなく注がれていることを、モンタナの豊かな自然や、川の流から実感出来ていたのだと思います。確かに愛を実感出来ているのに、自分が家族を愛そうとしたときに、どう愛せばいいか分からない。自分が牧師として神の愛を人々に説いていながら、自分では分からない。この、もう一つ手にすることが出来ない、充足していない思いがいつも心の中にあって、 そしてそれを埋めることが出来るのは、愛だけだと分かっているのに、埋めることが出来ない自分・・・。それなのに、川はその中をただひたすらに流れて行くだけ・・・・・・・。

..........A RIVER RUNS THROUGH IT.

 何か満たされていない。いやこれでいいんだ。何か足りない。でも、神は確かに愛を与えてくださっている・・・・・・・。この永遠に終わらない問いかけがこの小節のテーマなのかもしれません。

 「Beautiful」という言葉を、父が良く使っていますが、この言葉は父が精いっぱい掴み取った、愛の実相を表す言葉のような気がします。


5.アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス/小尾芙佐=訳;早川書房)

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 読書好きを自認する以上、やはりこの名作に触れないわけにはいかないでしょう。

 数年ぶりにまた読み直してみましたが、名作の手応えは、読むたびに心の中に、大きなそして心地よい空間を作ってくれます。

 最初にこの本を読んだときからの疑問点は、読み返してみてもやはり変わりませんでした。
 それは、知能があがって認識力があがってきたときに、すべてを理解した上で純粋な心を保ちつづけることは出来ないのだろうか?という点です。

 私はもちろん「出来る」と信じています。

 (認識力が低いがために)今まで人から愛されてると思っていたのが、そうじゃないと分かったときにその後心がどういう方向に動いて行くのか?
 また、これまで素朴に神の存在を信じていたのに、信じない人もいると知ったとき、自分の「信じる心」はどう動くのか?単純に「何だそうだったのか」で信じることが出来なくなってしまうのか?

 「己の欲するところに従いて則を超えず」の心境を目指している私としては、そうは思いたくないなあ・・・

 いろいろ考えさせられる本です。


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