2022年3月のミステリ 戻る

白光 びゃっこう
文芸春秋 2021年 朝井まかて著 493頁
あらすじ
笠間藩(現在の茨城県笠間市)家禄五十石の下士の家に生まれた山下りんは、明治五年絵師になりたいと家出を決行した。嫁に行くつもりはまったくない。
 
若い頃はルネッサンス以降の西洋絵画を学びたいとあがいたが叶わず、オーソドックス・チャーチ「日本ハリストス正教会」でイコン(板絵の聖画像 テンペラ画)を描き続けたきかんきのりんは、冒頭に食するトマト(タマートゥ ロシア語ではパミドール)のごとくほの甘くて酸っぱくて瑞々しい人生を送る。
明治十三年(1880年)二十四歳の時に教会から薦められ絵を学ぶためにロシアの首都サンクトペテルブルク(聖彼得堡)に留学する。
どうやって行くのかと思ったら、メレザレイ号で日本を出立→サイゴン→印度洋を横断→亜剌比亜海→紅海→スエズ運河→アレクサンドリア港で船を乗りかえ→地中海→海峡を北上→イスタンブール→流氷の漂う黒海→オデッサで上陸 50日くらいを船倉で過ごした過酷な船旅。
 
りんと共に描かれるのは日本に正教を伝道したニコライ大司教。東京御茶ノ水駅近くの東京復活大聖堂(ニコライ堂)に名を残す方とか。
(ニコライ堂は関東大震災で一度焼失し建て替えられたそうです。東京大空襲の戦火は免れたとか)
ニコライ司祭は1861年に函館のロシア領事館に着任。明治五年に上京。日露戦争時(明治三十七年)小村寿太郎外務大臣に安全を保障されたとはゆえ迫害を受けながら「わたし、ロシアに仕える者ではねえ。ハリストスに仕える者だ」と日本に留まる。
髭もじゃの六尺の大男ながら「待ってらったよ」「こごの教師のニコライいいます」「よぐ来たね」「そんたな大きな声をださずとも、聞こえてるさ」「年寄り扱いしねでけろ」などなど東北なまりの日本語がチャーミングやねん。
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