2016年1月の映画  戻る


メニルモンタン 2つの秋と3つの冬 
2013年 90分 フランス
監督・脚本 セバスチャン・ベベデール
キャスト ヴァンサン・マケーニュ(アルマン)/モード・ワイラー(アメリ)/バスティアン・ブイヨン(バンジャマン)/オドレイ・バスティアン(カティア)/武田絵利子(はずき)
メモ 2016.1.23(土) シネ・リーブス梅田
あらすじ
アルマンは定職なし彼女なしの33才。元画家という芸術家で若い頃は好き放題していたが、もはや若くない。なんとかしなくては。
というところで、悪者に刺され死にかける。アルマンの親友のバンジャンも発作で倒れ死にかける。
しかしその死にかけのおかげで両者に彼女ができる。それでも「めでたしめでたし」と終わらないところがおとぎ話と違うところ。
仲の良い双子で生まれ育った訳ではないので、お互い何を考えているのかわからないし、すれ違ったり、好みが違ったりの連続。
感想
油断していた。 ヌーベルバーグがあわない私が例の「起承転結」のないフランス映画を見てしまった。
ユーモアがあるのかと思って見にいったんやわ。微かにあったかもしれないけど。
エピソードが50章もあって、さほど面白くない8コマ漫画を50回見ていく感じ。のらりくらりした話を飽きさせないようには作ってある。ここが新しい波で実験的なのかも。
美術と空気をたゆたゆ味わう映画。たぶん純文学なんやと思う。
世間体とか経済的にとかお互い結婚しないと生きていけない時代の方が、何も疑問を感じず単純で幸せやったんかもしれん。と思ってしまうような映画。
何故ふたりでいたいんやろう。いる必要があるのか? とうじうじ苦労する。考えずにはいられない。関係を維持するにはまるで盆栽を育てる繊細さと技術が必要。
 
フランスは結婚しないカップルから生まれた子供が多く、偏見も持たれず国も大事に育てると聞いた。(これじゃおいそれと結婚はできまい)少子化を克服するために実利を取る国やねんね。
お薦め度 映画通好みの作品ではないかと思う★★1/2戻る

マッドマックス 怒りのデス・ロード MAD MAX: FURY ROAD
あらすじ
2015年 120分 オーストラリア ワーナー
監督 ジョージ・ミラー(「ハッピー フィート」 「デイブ」 「マッドマックス」)
脚本 ジョージ・ミラー/ブレンダン・マッカーシー/ニコ・ラソウリス
撮影 ジョン・シール
音楽 ジャンキー・XL
キャスト トム・ハーディ(マックス)/シャーリーズ・セロン(フュリオサ)/ニコラス・ホルト(三下ニュークス)/ヒュー・キース=バーン(悪役イモータン・ジョー)/ロージー・ハンティントン=ホワイトリ(スプレンディド)/ライリー・キーオ(キャパブル)/ゾーイ・クラヴィッツ(トースト)/アビー・リー(ザ・ダグ)/コートニー・イートン(フラジール)/ネイサン・ジョーンズ(リクタス)/ジョシュ・ヘルマン(スリット)/ジョン・ハワード(人食い男爵)/リチャード・カーター(武器将軍)
メモ 2016.1.16(土) テアトル梅田
あらすじ
荒れた世界にオアシスがあり、その地はイモータン・ジョーが力で水も食料も支配していた。
マックスは捕まり「生きがいいから」と生きた輸血袋にされる。使い捨てだ。
感想
圧政からの脱出行
あんな恐ろしいヤカラから逃げ出す。捕まったらどんな目に合うか。(ブルブル)
「マッドマックス」に思い入れはないんやけど、あまりの評判の良さに見に行ってきました。
沿うてみるもんです。 いかれている。
中年男の悪知恵と力VS若い女の美という図式に留まらず、性を超越したフュリオサ。フリークスやら改造人間やら、老いてなお血気盛んなバーチャンやら色々いてはるダイバーシティ(多様性)な世界。 (多様性と女性躍進っていうこれからの映画)
砂漠を突っ走るスピード、悪役の造形、戦いに圧倒される。 美しいくらいで怖い。
硬質な武器、武骨な男に対して女ってやわらかなもんなんやね。
絶望と希望を見ているフュリオサ(シャーリーズ・セロン)の目がいいな。
お薦め度★★★★1/2戻る

アンジェリカの微笑 O ESTRANHO CASO DE ANGELICA
2010年 97分 ポルトガル/スペイン/フランス/ブラジル
監督・脚本 マノエル・ド・オリヴェイラ
撮影 サビーヌ・ランスラン
編集 ヴァレリー・ロワズルー
美術 クリスティアン・マルティ/ジョゼ・ペドロ・ペーニャ
キャスト リカルド・トレパ(監督の孫・イザク)/ピラール・ロペス・デ・アジャラ(アンジェリカ)
メモ 2016.1.10(日) シネ・リーブス梅田
あらすじ
「アブラハム渓谷」「階段通りの人々」のポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラという方が101歳の時に作られた作品。監督さんは昨年亡くなられたそうです。
映画は監督の故郷ポルトガルのドウロ川の夜から始まる。時代は1950年代かな。電話とかテレビがでてこない。
ユダヤの青年イザクはある夜更け、お館から呼ばれ、急死した娘のアンジェリカの写真を撮ってほしいと頼まれる。イザクがカメラを向けフォーカスを合わせると、フレームの中の死せる美女は目を開けて微笑む。
逃げるように家に帰ったイザクが現像した写真を見るとまたしても美女が微笑む。その夜彼女はイザクの部屋に来た。
感想
2016年は「映画館で見た映画の感想はすべて書きたい」と目標をあげたもんの、ひとつ目から敷居の高いものを選んでしまった。
 
本作は、「牡丹燈籠」とか映画「ある日どこかで」のように、若い男がこの世のものではない「もの」に憑りつかれたお話。よってうっすらと怖い。幽霊がほんまに出てきているのやら、この地では異邦人であるユダヤ青年イザクの妄想やらわからない。アンジェリカには悲嘆にくれる夫というライバルもいてイザクは焦燥感を持つ。
 
映画には柵とか扉とか隔てるものがでてくる。この世とあの世の境界の様。一方放たれた窓、開かれた扉、どこかへ続く道が真ん中に置かれる絵も多い。それは一歩踏み出すだけで彼岸に行ける「近さ」と昨日飛んでいた鳥が今日は冷たくなるという「この世はうたかた」を表しているように思われる。
映画はレトロな作りでちょっと昔の無声映画みたい。意味があるんだかないんだかわからない会話が続く不条理劇。
 
シャガールの絵みたいにイザクとアンジェリカが空を飛ぶシーンが美しい。以前新聞に「自分が宇宙をスピードを出してぐんぐん飛んでいる想像をすると眠りにつける。私の死生観だろう」と書いてはる人がいてはったけど、(その時うちの場合は「サイレントランニング」の様に深く静かな深淵へと後ろ向きに潜っていくイメージと思った)監督さんのかくありたい死生観の様に感じる私的な映画。
お薦め度 映画通好みの作品ではないかと思う★★★1/2戻る