お話は小夜子視点の現在と、葵視点の過去が交互に現われる。内向的で臆病な小夜子は、高校時代の葵だ。そんな葵がアクティブにやみくもに突き進むようになったのは何故か。そして小夜子はどう変わっていくのか。葵の明るさを「身勝手なだけでは」と信用しきれない小夜子の気持ちがわかるとともに、葵の昔を知っている読者は、小夜子の背中を押したくなる。
独りぼっちになるのを恐れて自分を殺して群れるのは苦しい。誰かをはみごにするのも嫌。といって、さまざまな人間関係を上手く泳いでいく如才なさも持ちあわせない。そんな人間は徐々に自分の殻に閉じこもりがちになる。閉じこもるとさらに気の合う人と知り合う機会を、失する。
なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げんこんでドアを閉めるためじゃない。また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。
近年、内向的な性格がさらに高じ、ヒッキーとなりゆくさぼてんには耳が痛い言葉だった。