2003年3月のミステリ戻る

カイワレ族の偏差値日記

村崎芙蓉子著 1987年 文集文庫 316頁
あらすじ
著者のムラサキさんは内科のお医者さん。忙しい日々を過ごしている。だんなさんも精神科のお医者さん。息子さんがふたりいる。長男は中学受験を突破し今は医学生だ。7つ年下の次男は中学三年生。この次男は長男と違い手がかからないおとなしい子だった。しかも35才の時の子供で両親はいささか疲れていたこともあり機嫌良く育ってくれればそれでいいかと中学受験に失敗した時も「まっいいか」で済ましてしまった。患者さんより家族を優先させることはできないとPTAも懇談会もパスパスしてきたが、前年に亡くなったおじいちゃんの一周忌の前日で時間が空いたからと2日前に知った六月の懇談会に中学入学以来初めて出席してみれば、、、、そこに待ち受けていたのは衝撃の偏差値50!。 このままでは次男はどうなるのか。ムラサキさんは今まで忌み嫌っていたママゴンになる一大決心をしたのだった。。。。
感想
ちびさぼが中三になり、会社で仲間とお昼ご飯を食べながら「勉強せーへんねん」をため息まじりでちょっとすると「大変やねええ。」という反応。その心は「いくらお金かけても親以上になれへんて。カエルの子はカエルやって。高望みしてもしゃーない。」「いける所に入ったらそれでええやん。」「成りたいモノがある子なんてごく少数。なんとなく人生過ごしていくもんやって。」。。。。さぼてんも同感だ。当事者でなかったら。

この本を初めて読んだのは10数年前。さぼてんには7つ年上のいとこがいて彼女の娘息子3人は中学小学受験をして私立校に進学していた。そして「公立中学に行ったら手遅れ。高校受験ですごく苦労する。6年一貫教育は無駄がない。」と脅されていたのだ。その時どれほど苦労するか?と手に取ったのがこの本。そりゃもう大変ですわ。しかし近所の幼なじみも大事だと小学校受験、中学受験をちびさぼにはパスさせた。結局はちびさぼに電車通学をさせる勇気がなかったのだ。親があてがった環境があわない事もコワかった。そして時はまたたくまに過ぎ迎えた中三。

話はちょっとずれるが、さぼてんの兄は小さい頃から機械いじりとプラモデル作りが命だった。作ったB29の数はかぞえきれない。小学生の頃から工業高校へ行くと決めていた兄は大阪府立高専に進みたかったのだがいかんせん学力がたりず(英語と国語がパー)府立の工業高校の建築科に進んだのね。兄が高校三年の頃、父の姉(母にとってはこわい義理の姉・前出のいとこの母)に「これからの男の子はどこでもえーから大学くらいださないと」と脅され洗脳された母が「某私学の経済学部なら推薦でなんとか」と言う事で兄貴にプレッシャーをかけたんやけど、兄貴が言い放ったのは「俺が経済学部いって何すんねん」だったわけ。

さぼてんもちびさぼがそこまで成りたいモノがはっきりしていたらその道にまっすぐ進ませたいと思う。学歴もブランド校もナンセンスだ。自分自身受験勉強は無駄だったと思う。あのエネルギーは資格取得にいかすべきだった。が、ちびさぼはまだ混沌としている。そういう場合究極的には「体と心が丈夫やったらそれでええねん。」と思うもんの、門戸は広くしたい。次のステップで選べる選択が広くなるようにしたい。大学に行きたいやら大学院に行きたいやら留学したいやらゆーても女の子はしょせん好きな男の子ができたら結婚してシアワセな家庭を築くんやからまあそこそこで、、、、とはさぼてんは思わない。どうなるかわからないがちびさぼには経済力とキャリアを身につけて欲しい。こんなおかんを持った子は苦労する。

しかし、著者のムラサキさんの次男さんのようにおぼこいタイプではないのだ、ちびさぼは。よく言えば独立独歩。幼稚園の頃から「保護者はSOSを出した時だけいてくれたらいい」という干渉を嫌うタイプ。そして中三をむかえたちびさぼがリビングのテーブルで絵を描いて描いて音楽を聴いて雑誌を読んで、たまーに勉強するのにやきもきやきもき。しかし口出しも手出しも御法度なのだ。曲がるから。

さぼてんの会社友達にひとり娘がいる人がいて色々受験の話が聞けるんやけれど、彼女の付き合っている方々というのが医者やら弁護士やらのハイソサエティ。高学歴の専業主婦がもてるエネルギーをすべてお受験に向けているって感じで、これもまたいささかさぼてんとは肌があわない。かといって他のお母さん方から情報を仕入れる事もできず、そういう訳で右を向いても左を向いても孤独なのだ。
その時に何度も読み返しては「なるほどなあ。みんな不安を感じているんだ。」となぐさめられ勇気づけられたのが本作。

内申書についてはムラサキさんは色々言いたい事があるようだが、さぼてんは公立高校の内申書重視はそれでいいのではないかと思う。5教科はともかく、副教科の体育と音楽がちびさぼは5段階相対評価の「3」だ。「3」は普通だ。普通で十分だ。ちびさぼの体育が「4」だったらそれこそおどろきだ。吹奏楽部が強い中学で音楽「3」は上出来だ。音楽が好きだったらそれでいいのだ。しかし、ちびさぼの進みたかった公立高校はせめて「4」でないと内申書はこころもとない。それはしょうがない事だと思う。公立はあっさり諦め自分自身「なまけもの」と自覚しているちびさぼが「おしりたたいてもらうか。」と選んだ私立高校があっているかどうかはこれからだ。
おすすめ度★★★★★
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ソルトマーシュの殺人 The Saltmarsh Murders

グラディス・ミッチェル著 1932年 宮脇孝雄役 国書刊行会 316頁
あらすじ
英国のちいさな村ソルトマーシュの牧師館。僕ノエル・ウェルズはここの副牧師をやっている。叔父の遺産を手に入れるにはそうするしかなかったんだ。でも平和な村だしクーツ牧師の姪のダフニとは恋仲だしまあ満足かな。毎日村祭りの用意に忙しくしている。この村では若い娘に赤ん坊が出来てから結婚に漕ぎ着けるという事はよくあることなんだ。ただ、牧師館で働いていたメグ・トスティックは赤ん坊の父親の名を明かそうとしない。恋仲だと思われていたキャンディではないらしい。それがここんところちょっとおかしな事かな。
感想
アガサ・クリスティのセント・メアリ・ミード村物語っぽいかと思っていたらだいぶ違う。「一 クーツの奥さんは変な人」から章は始まりハナから変な世界に入っている。話に引き込まれていくとすかっと肩すかしされてしまい前半波に乗れない。面白いような面白くないようなテンポが掴めず読み手を惑わせる。
他人をワニだとかラクダとかにたとえるガッティの奥さんとか、サイケデリックな金剛インコそっくりのミセス・ブラッドリー、癇癪持ちのサー・ウィリアム、肉体派の牧師クーツ、鶏ガラの牧師夫人といささかクレージーな人がでてくるのね。でも英国ではそれはよくある事らしく悪口を言いあいながらも付き合っていく。老婦人ミセス・ブラッドリーが心理学者で魔女な訳で、もののわかった魔女らしく悪と対決する訳・・・・そして最後の一行につながる。キイタ。
おすすめ度★★★★
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