ドロドロの路面でペダルから足が外れたチームGTのノルヴェン ルカエルでもこのあとリカバリーしてSPDに足をはめ、おまけに漕ぎ入れて行きました。
こうして日本で最初のMTBダウンヒルのワールドカップは終わりました。
99年は結局アライはUCIのカレンダーに入りませんでしたが00年から3年連続の開催が決まっています。将来的にはXCとともに世界選手権を開催したい希望のようです。00年はすでに終わりましたが2001年にはみなさん是非いって世界の一流の走りを見るというのはいかかがですか?


もちろん私は00年も観戦に行きました。またレポートします。みーちゃんそれまで待ってね。
翌日も小雨が降っていました。ピットエリアには観客がたくさん来ています。午前中にセミファイナルが行なわれました。ゴール前で観戦していましたがコースコンディションはどろどろの最悪でした。その中選手達は猛スピードで走っていきます
決勝は午後から行なわれました。奇跡的にというか決勝の間雨がやみ路面がどんどん良くなってきました。それでもアジアの選手の中にはゴール前のドロップオフが超えられず自転車を投げている選手がいました。
結果は男子がチームサンアンのニコラヴイヨスが優勝し年間チャンプになりました。女子は同チームのアンキャロリンショソンが優勝し同じく年間チャンプにミッシーはこのレースで勝つと年間チャンプの可能性がありましたが残念ながらスローパンクにより一歩およびませんでした。
レース後
選手達は洗車場で水を掛け合いながら大騒ぎしています。アライがこの年の最終戦となったので彼らにとっては休日が始まることになるんです。長かったシーズンから開放され選手達はおわりには自分たちの着ていたジャージやパンツ、靴なんかも観客に投げて行きます。
テックエリアの脇の芝生ではこの日の勝者二人がひそひそと話しをしていました。
今考えるとこの年を最後にショソンはチームサンアンを去りキャノンデ−ルに移っていったのでした。そして99年にはチームが財政的に危ないと言われ00年にはなくなってしまいました。

こうしてアジアで最初のワールドカップが終わりました。主催者がびっくりするくらいの観客が遠くからたくさんきてすばらしいレースをみていきました。多くの人はまた来るぞという思いを胸にそれぞれ家路につきました。
この日関東地方は記録的な大雨で那須地方では川の氾濫がおこりおおきな被害がでました。私も大阪に向かう中央高速の岐阜の山中で前が見えないくらいの大雨にあいなんども休憩しながら帰りました。

ドロドロのコースを下りながら公式練習をみて下のテックエリア(自動車のレースのピットみたいなものかな)に降りると各チームのテントにいろんな選手がいました。ジョントマックはこの年から自分のチームと自分のブランドのバイクをもってひとりで参加していました。トマックはテントを訪れるファンのひとりひとりと握手しサインし記念撮影に応じていました。そしてそれを待つファンの列が長くなっていました。次の日もおなじようにたくさんのファにサインしていました。
へなさんはこの日のために自分のGIANT ATX-1DHの写真を持ってきていました。それをもってGIANTのブースに行きショーンマッキャロールにサインをもらいました。ショーンは彼の愛車がGIANTであることを知ると気持ち良くサインをしたあとへなサンに彼のつかっていたオークレイのゴーグルを記念にくれただけでなく練習終了後にくれば自分の自転車に乗らせてあげるといってくれたんです。
 土曜日午後はDUALの予選と決勝です。この年から正式種目となったDUALは時々小雨がふるこの夕方ほんのり暗くなりだしたころ始まりました。
そしてライトの中、選手達のすさまじいファイトが始まりました。日本中の人達が始めてみるレースと言うより格闘技でした。もうひとつ盛り上げたのは阪本美和がこの激しいゲームを勝ちぬき日本人で始めてワールドカップ3位の表彰台に上がったことです。観客はレースが始まると鳥肌がたち本物の迫力に酔いしれ声援がだんだん大きくなっていったのです。そしてあたりがすっかり暗くなった頃レースが終わりました。どんよりして今にも雨が降りそうでしたが最後までもってくれました。
 アライの会場にはステージと屋台村がありステージでは表彰式などがありステージを囲むように屋台村があります。この屋台、プロ以外に地元の商店街の食堂や婦人会のおばさんがしてるいようなお店もあり値段が手ごろでしかも味はなかなかのところがあるんです。土曜日のデュアルの表彰式のあと 盆踊りや抽選会があり観衆はそれをみながら屋台で食事をします。このアライで忘れられないのはスキー場でつくられている地ビールです。スキー場のレストランやこの屋台村で呑むことができるんですが私も含めビール好きの人が呑むと忘れなくなる味です。テックエリアには商社の出店がでて中にはお買い得なものがあります。わたしのモトパンFOXのプッシュパンツもこのとき買ったんです。
ひでりんのホームページ
公式練習。ミッシー ジョーヴィー。
50メートル先も見えないのにプロは突っ込んで行きます。
それとこの観客。悪天候の中コース中に観客がいるんです。
選手はとってもプロフェッショナルでフレンドリー
土曜日朝からDH公式練習がありました。朝早く会場に着くとぼちぼち人が出始めてます。
各チームのピットを見て回った後ゴンドラでスタート地点
に向かいます。うしろのゴンドラにはキャノンデ−ルチームのミッシージョーヴィーとシュインのヨーガンベネキーが乗ってました。
ゴンドラの頂上駅からはバスにのってスタートへ行くはずなのに荷台に手すりを鉄パイプで作ったトラックしかありません。エーと思って乗りこむとその後に選手の二人が自転車のママトラックに乗りこんできました。すかさずビデオをまわすへなサン。
「おおー選手と一緒に乗りこむのか。いいじゃん」と思っていると
ミッシーがへなさんになにか話しかけています。へなさんこのあたりからだいぶ舞い上がってました。ミッシーは外見のいかつさと違いとってもかわいい声でした。
でも走りは鋭いですね。彼女今の言葉でいうととってもクールです。このときからミッシーのファンになりました。
アライのコースサイドで「ミッシー!!」と叫んでるのは私かもしれません。

アライに行こう。
 このタイトルだけでなんのことかわかるようになったあなた。もう相当MTBフリークになっていますね。
そうですアライとは新潟県新井市にあるアライマウンテン&スノーパークというスキー場のことです。
われわれMTBフリークにとってはダウンヒルのワールドカップが98年アジアで初めて開催された場所です。
今年2000年から3年連続でワールドカップが開催されることになりました。
近い将来にMTBの世界選手権を開催することを目標にしているのだそうです。
なんのスポーツもそうでしょうが世界のトップアスリートのプレーを見るのはすばらしいことでしょう。
それがエキストリームスポーツといわれるマウンテンバイクダウンヒルの世界トップライダーの迫力を一度見るとまたドウしても見たくなります。
そして今度は自分もおんなじように突っ込んでいけるような気がするんですね。(それで怪我したりして)

 98年の初めてのARAIワールドカップを観戦してどんなだったか思いつくまま書いてみましょう。
金曜日早朝大阪をへなDHerさんと出発してゆっくり走って会場についたのは午後3時前。もう公式練習も終わりピットテントも静かになっています。
ひとりTEAM GTのテントのみメカニックがもくもくと自転車の整備を行なってます。話しをお聞きしたGTの輸入元RPJのTさんによると彼らメカニックが特に良い腕をしているわけではないですよ。たぶんひでりんサンとか一般のプロショップの方と変わらないと思う。でも彼らのすごいところは朝8時から夜9時10時までずっとこうして自転車の整備をすることができるんです。とのことでした。
一通りピットを見て宿に行く前に名古屋のベロワークスのGマネージャーの一行とお会いしました。Gサンとは3年ぶりくらい
前回お会いしたのはひでりんの始めての岩岳ダウンヒルいらいです。
Gさんいわくワールドカップというので来てみたらあまり人来てないね。というので今日平日やしね。と私も彼も平日休みヤからね。
 アライ近辺にはあまり宿が多くないのか今回は観光協会に紹介してもらって北国街道沿いの古い商人宿に泊まりました。安かったけど。ちょっと臭かった。
この日は1日しとしと雨が降ってました。
アライに行こう

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