<番外編> 第1回 2012年 2月 8日
  「 東大で学食を食べよう会」

 「水道橋駅」→文京区シビックセンター→東京大学→
 →三菱資料館→
湯島天神→神田明神→湯島聖堂→「御茶ノ水駅」
 
「文京シビックセンター」
 区民施設とホール、区役所などの公共機関からなる総合施設。
25階の展望ラウンジより雄大な330度のパノラマを楽しめます。
残念ながら曇りでしたが都内の景色を堪能した 。
   
   
  春日通りを東大へ向かう途中「看板建築」
に出合った。
関東大震災後の復興で街路を拡幅したため、各商店は敷地面積を減らさざるをえず、軒を出すのは不利であった。また、耐火性を向上させるため、建物の外側を不燃性の材質(モルタル、銅板など)で覆う必要があった。加えて、庶民層の間にも洋風デザインへの志向が強くなり震災復興の過程で大量の看板建築が造られることになった。
 東大赤門と心字池(三四郎池)・学食

 「赤門」は1827年、加賀藩藩主・前田斉泰が11代将軍家斉の娘・溶姫を正室に迎える際、当時の慣例にならい建てられたもの。「三四郎池」は徳川3代将軍家光の訪問の際に造られた加賀藩庭園内にある「心字池」のことです。
夏目漱石の『三四郎』の舞台となり「三四郎池」と呼ばれる。
陳列から、めいめいに定食を選び食券を購入し昼食。お味は? 久しぶりに社食の味を思い出したかな。

 
   
   
  「三菱資料館」三菱の歴史と共に岩崎弥太郎の家族の写真も残っており興味深い。

文人がこよなく愛した街、樋口一葉が住んだ菊坂、そして森鴎外「雁」に登場する無縁坂。
   
 「湯島天神」
  梅まつりを開催していたが、今年は開花が遅く咲き始めたばかり
 
   
   ←「神田明神」

 ↓「湯島聖堂」

 690年 儒学の振興を図るため5代将軍綱吉によって湯島へ移され、規模を拡大したものが湯島聖堂。
1797年 その西隣に幕府直轄学校として「昌平坂学問所」が開設された。
昌平校として歴史書に数多く登場する。
  
   
 晴れが一転して曇り空の寒い一日ご苦労様でした。
昼食会?時の話題から計画された<平日開催 番外編>。散歩は大人の休み時間?
良いコース・場所がありましたら、どしどし提案ください。一緒に歩きましょう!

 寄り道<喫茶去>

 
神歩町近くの古民家の喫茶店
「喫茶去」(きっさこ)とは禅語である。
意味は「お茶でも飲んで去れ」 という。禅の喝(かつ)という一声を言葉にしたようなもののようです。
現在では、いつの間にか「どうぞお茶でも飲んで行ってください」という優しい言葉に解釈されるようになった。
   
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