誰でもできるピアノ調律

        
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はじめに

 1975〜80年頃、私はピアノの調律を自分でしていました。 なぜそんなことをしていたかって?  きっかけはトーカイのチェンバロを入手したことにありました。 弾く前に必ず自分で調律しなければならないギターやヴァイオリンほどではありませんが、 チェンバロは調律が長持ちしないので、 頻繁に自分で調律しなければなりません。 いちいち調律師さんに頼んではいられません。 チェンバロには調律道具が付属品として付いているくらいです。 そういうわけで必要に迫られてチェンバロの12平均律の調律をするようになりました。 調律の仕方はどのように勉強したかって? これは巷の楽譜屋さんに福島琢郎著「ピアノの構造・調律と修理」という本があったので、 それを買って来て読んでいるうちに 「これなら自分でできそうだ」と思ってその通りにやっていたらできました。 この本は今(1999年)も楽譜屋さんに置いてありました。
 では自分で調律をする御利益はなにかあるのでしょうか?  直接的には、 ピアノ演奏をいい調律で録音したいというとき、 自分の都合のいい時間に自分の好きなような調律をタダでできることです。 実際に家でピアノ録音する直前は自分で調律するようになりました。 でも社会人になってからはそんなことをしている時間はありません。 だいたい自分で調律できると言っても、 プロの調律師さんの2倍は時間がかかります(半日つぶれる!)。 社会人になってからは結局年一回調律師さんにやってもらうことに戻りました。 しかし自分で調律をするようになって良かったのは、 ピアノのコンディションや昔からの音律の仕組みについて理解が深まったことにあります。 とくにトーカイのチェンバロは一つの音に弦が一つなので調律の時間がかからず、 自分で純正調調律を試してみることも簡単です。 そうやって「ああ、純正律和音は響きが美しいな」 とか、主三和音以外の和音をいろいろ弾いてみて 「ウゲッ、こりゃ簡単な和音しか使えないな」 ということが実際にわかったりします。 音律についてはまた別に書こうと思いますが、 この記事では12平均律の調律の原理を、 専門書を読むよりは手軽に概観できるよう、 簡単に説明しようと思います。

 ところで本題に入る前に3点コメントをしておきたいと思います。 一つは「ピアノの調律」という言葉には、 いわゆる音程のtuningとしての「調律」とアクションメカニズムの整備を行う「調整」の部分があるという点です。 この後者の「調整」は、 鍵盤の並び方やタッチの深さや感触の不揃いを直すことからハンマーについているフェルトの固さの調整まで行うもので、 私はこれはできません。 結局やっぱりプロの調律師さんに来てもらうようになったのはこのためでもあるのですが、 私の記事では「調整」については触れず、 いわゆる音程tuningの話に限り、 以後簡単のため音程tuningのことを「調律」と表現することにします。 ですから「誰でも出来る」などというタイトルはもちろん誇張で、 プロはやはりプロであることは言うまでもありません。
 二点目は絶対音感や相対音感と調律との関係ですが、 記事を読み進んでもらえばわかりますが、 これらは調律とは関係なく、 必要ありません。 そもそも人間の絶対音感程度の精度に頼って調律をするなんてことはできません。 相対音感はやや精度が高いですが、 これも「精度の高いものがあれば多少便利」という程度で、 音程(長三度とか短六度など)が聞き分けられるくらいで十分です。 むしろ調律に必要なのは「ウナリの速さを聞き分ける能力」つまり強いて言えばリズム感です。 ラジオやテレビの時報がポ、ポ、ポ、ピーという速さは誰でも記憶できるでしょう。 これに6連符や5連符を入れることも、 この記事を読んでいる音楽好きの皆さんならほとんど「誰でもできる」と言っていいでしょう。
 第三点は調律の道具をどうやって入手するかです。 実は私は昔知人の調律師さんに必要最小限の道具をもらったので、 どうやって入手するか知らないのです。 ここが一番「誰でも」というわけに行かないのかも知れません。 どこで売っているのでしょうね。 調律師さんを呼んだときに訊いてみてください、 としか言いようがなく、 申しわけありません。
(なお、この記事を読んで調律を実行してピアノをだいなしにしても責任は負いません)

倍音の原理

 音を発するものには弦や笛のような線状のもの、 太鼓やティンパニのような面状のもの、 それにカナトコを殴るときのような塊状のものがあります。 これらのものを持続的に鳴らすと、 一番低い音程の音(基音)の上に高い音が同時にいくつも鳴ります。 このうち線状のものを鳴らしたとき、 その高い音は基音の周波数の2倍、3倍・・・の音になっているので、 これらを倍音あるいは高調波(第2高調波、第3高調波など)と呼びます。 たとえばドの音を強くポーンと弾くと、
第2倍音は1オクターブ上のド、
第3倍音はその上のソ、
第4倍音はその上のド、
第5倍音はその上のミ、
第6倍音はその上のソ、
第7倍音はその上のシ♭、
第8倍音はその上のド、
第9倍音はその上のレ、
第10倍音はその上のミ・・・
となります。 そこで、中央ハ音の1オクターブ下のハ音とその上のホ音を同時に弾き (ドとミの和音)を鳴らしてみましょう。 このとき、 ハ音の第5倍音は中央ハの次のホ音の1オクターブ上のホ音(ミ)の音ですが、 それは同時に弾いたホ音の第4倍音でもあります。 つまりこの倍音は二つの音の最小公倍数に相当する倍音です。

純正律ではこの二つ(ハの第5倍音とホの第4倍音)は完全に一致するので完璧にハモりますが、 平均律は1オクターブを12等分したもの(すなわち半音は2の12乗根=約1.05倍=無理数倍の周波数関係)となってきちんとはハモりません。 周波数のずれの分だけウナリとなってワワワワ・・・と聞こえます。 これを聞き取る訓練がまず必要です。 わかりにくい場合は、 さっきのハとホの鍵盤を音が出ないようにそっと弾いて押し続け、 右手で最小公倍音のホの音を強いスタッカートで何回も弾いてみましょう。 ペダルはなしです。 どうです?  ワワワワ・・・と聞こえませんか?  このワワワワ・・・がどのくらいの速さかは簡単に計算できますが、 調律する上ではこれを覚えてしまいます。 上の例では(A=440Hzとして)1秒間に5回です。 時報に5連符を入れればよいのです。

これは弦楽や声楽のヴィブラートと同じくらいの速さのウナリですね。 そこで、 このホ音の弦を緩めたり張ったりしながら5回/秒のウナリになるよう、 ホ音を(ハ音に対し)合わせればいいのです。 ところでウナリの周波数は音の周波数の差なので、 単に5回/秒にしただけでは純正調から上の音に合わせたのか下の音に合わせたのかわかりません。 平均律のドとミは純正律のドとミより広いので、 上の音に合わせなければならないわけです。 ここで相対音感があればどちらかはすぐわかります。 しかし相対音感がなくても、 弦を緩めて行ったときウナリの数が減るようなら今上の方の音だし、 逆なら逆ということがわかります。 だからせいぜい「今ミの音の近辺である」ことがわかる程度の相対音感でも調律はできることになります。 A=442にしたければ(まずそのようにイの音またはラの音を最初に合わせますが)、 ウナリの個数は5×442/440/秒となって、 ほんの僅かウナリが速くなるように合わせる必要がありますが、 そんな微妙なリズム感は要りません。 他の音も同様な原理で合わせるので、 他の音のウナリが極端に変わらないよう整合をとりながらtuningしていけば、 全体として整合がとれるのです。

実際の手順

(1)ピアノは中音域以上は一つの音につき弦が3本あるので、 消音用フェルトを波状にはさんで、 各音の両側の弦が鳴らないようにし、 真ん中の弦だけ鳴るようにする。
(2)Aの音叉又は電子チューナーを参考にAの音を442または443または440など、このみに合わせてtuningする。 引き続き1オクターブ下のA(約220Hz)の音をウナリが消えるように合わせる。
(3)A(約220Hz)とC(約135Hz)とC(中央ハ音=約270Hz)の音を適切な速さのウナリが聞こえるように合わせる。 同様にC→E→G#→中央C→その下のE♭→G→B→その下のD→F#→B♭→その下のC#→F→Aの順にウナリを数えながら合わせる。

それぞれの音程で目標となるウナリの数については福島本の表参照。 (注:これは3度と6度を使う福島氏発明の調律法で、 私が見てきた限りプロの調律師さんたちはほとんどこの方法は用いず、 4度と5度を使う方法を採っています。 ただし確認用に3度と6度を使っています)
(4)これで1オクターブ内の音が決まったので、 高い方と低い方に半音ずつオクターブを合わせて行き、 88鍵全ての音について(それぞれ一つの弦だけですが)音を確定する。
(5)最後にフェルトをはずして行き、 3本の弦が完全にハモるように一音ずつ88音全てを合わせる。

通常、 ピアノの調律が狂って来た証拠はどこに現れるかというと、 音程がおかしくなって来たことがわかる前に、 3本の弦の音程が合わなくなって来て、 ホンキートンクピアノのような音になってくることに現れます。 つまり聞いてわかるほど音程がおかしくなる他に、 一つの音を弾いただけでウナリが聞こえて来たりするわけです。 この状態でもピアノ曲のイメージを損ないます。 この程度の狂いを直すのでも、 調律は全てを初めからやらなければなりません。 今の状態から始めて手直しを、 というわけには行かないのです。

厳密に言えば・・・

ピアノ調律で注意点が二つほどあります。

(1)ピアノの弦が太さのない理想的な弦なら倍音列は完全な倍数周波数列になるのですが、 かならずしもそうではありません。 このことを「非調和性」といいます。 この場合ウナリの数だけを頼りに一方向的に調律していると、 ウナリの数が合わない音関係が出てきます。 だからときどきいろんな和音のウナリを確認し、 全体として整合がとれるように調律を進めていくことが不可欠になります。

(2)ピアノの高音部や低音部において、 人間の耳の感覚は高い音はより低く、 低い音はより高く聞こえてしまう傾向があります。 そのため人間にとって音階が一様に聞こえるためには補正をする必要がありますが、特に高音部はより高く補正する必要があります。 昔の調律師さんたちはこれを強調する傾向があり、 今の調律師さんたちはこれを強調せず物理的調律を行う傾向があります。 そのため調律師さんの間でも「今時の若いモンはわかっとらん」とか「あの人は古いタイプだから」などの発言が聞かれることもあります。 高音補正を強調する方がきらびやかではありますが、 他の楽器と合わせる必要もありますし、 簡単ではない問題ですね。

[1999.9.13記/2005.11.20 譜例1〜3追加]  




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