4分33秒


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[2016年8月15日 記]

 盆帰省すると、都会にはない静寂を味わえる。 もちろん静寂といっても、何一つ音がしないわけではない。 よく聴くと、鳥や虫や風の音に混じって、やはり人工物の音がする。 遠くを走る車とか、珍しく頭上に現れたヘリコプターなど。 が、それも程度問題で、これに比べたら都会は何と雑音に満ちていることかと思う。

 そう思ったとき、学生時代を思い出した。 録音が趣味で、音楽演奏以外にも除夜の鐘を録音したり、 遠方から近づいてまた遠ざかる雷雨の一部始終を録音したりした。 ステレオで聴くと迫真の臨場感で、なまじ「弾き間違い」というものがない自然の音に、音楽とは違った録音再生の醍醐味を味わった。 もちろん録音のミスというのはある。 レベル設定が足りないと磁気テープのヒスノイズばかり目立ち、 レベルオーバーすると、至近距離に落ちた雷の音は汚く割れて、本物の美しい脳天炸裂音は再現できない。
 そんな折り、駅で電車の待ち合わせをしているときに、少し離れた線路を貨物列車が通過したことがあった。 たまたま駅のホームの椅子に座りながら目を瞑って通過音を聴いていた。 遠くから近づき、線路の継ぎ目でリズムを刻みながら通過し、遠ざかって行く。

 いい音だった。

 録音機材があったらなぁと思った。 目を瞑っていると、いまこの音は録音を再生している音だと想定しよう、という想像が可能になる。 そうしたら、いま聴いているこの音はなんとすばらしい音だろう、と気がついた。 貨物列車は旅客列車と違って、駅のホームの長さよりはるかに長いことがある。 そのときもそうで、だから長いこと楽しめた。
 しかし目を開けると、現実に引き戻された。 ああ、録音再生したならば、いま聴いた迫真のナマの音には勝てないだろうな。 そう思うと、まだ耳に残る列車の金属的な通過音が愛おしく思えるほどだった。
 その経験から、私はある曲を作曲した。 作曲といっても、その楽譜は「外に出よ。目を瞑り、そこで聞こえるあらゆる音に耳を傾けよ。〜」といった、自然音(人工音も楽音との対比で自然音とみなす)を聴く方法を文章によって指示したものである。

 後年、前衛音楽の旗手、ジョン・ケージが作曲した「4分33秒」という曲の存在を知った。 これは、ステージ上の演奏者が4分33秒間何も演奏することなく過ごし、それで終わりという曲だった。 あまりもの馬鹿馬鹿しさに、現代音楽の堕落ここに極まれり、と思った。 しかし当時は最先端の前衛音楽としてもてはやされていた。 演奏も、ピアノ曲として演奏する場合は、ピアニストが登場してお辞儀をしたあと、ピアノの蓋を開け、4分33秒経ったら蓋を閉めてお辞儀をして退場というものだった。 管弦楽団が演奏する場合もそれなりの所作があって、とにかく何も演奏せずに終了というものだった。

 くだらない! 本当に現代音楽はこれで終わりだ。

と思ったとき、作曲者の意図に「ホールの中は、よく聴くと聴衆がたてる様々な音をはじめ、いろいろな音が存在している。それに耳を澄ますための曲だ」というのがあることを知った。
 そうなると、私も無視はできない。若かりし頃の記憶がたぐり寄せられた。 この曲、楽譜は出版されているのかと調べたら、なんと、ピアノの楽譜で有名なPetersが出版している!  現代音楽も置いている楽譜店に行くと、なんと「ピアノ独奏曲」のコーナーに置いてあった。 中を見ると、確かに文章で、「第1楽章 休止 第2楽章 休止 第3楽章」と書いてあり、合計で4分33秒とするよう指示してある。 この楽譜、案外高い。買おうか買うまいか逡巡した。サティの楽譜なんかより高い。 サティの曲なら、頭で暗譜して買わずに済ますこともあった。 その意味で、この「4分33秒」以上に暗譜しやすい曲は思い浮かばない。
 しかし、これは私の青春の思い出に直結しているのだ・・・

 かくして、私は、私が購入した楽譜の中で最もコストパーフォーマンスの悪い楽譜を買った。

[2016年8月15日に記した、昔の思い出]


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