ウィーン・フィル来日公演を聴く


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[2015年4月13日 記]
 半年も前のことになるが、いいかげん書かないと忘れてしまうので、当時のメモをもとに書き起こそう。2014年9月27日、ドゥダメル指揮ウィーンフィルの演奏会をサントリーホールで聴いた。ウィーン・フィルは1956年に第1回来日公演を行って以来今年2014年は第31回目、つまり平均して2年に1回のペースで来日公演を行っている。来日公演のチケット代は現地ウィーンでのそれより何倍も高額だが、これだけの人数と楽器の輸送やホテル代を考えれば仕方のないことだろう。

 今回の来日は9月19日の大阪を皮切りに20福岡、21郡山(福島県)、22川崎、24・25・27がサントリーホールというスケジュールで、指揮は全てグスターヴォ・ドゥダメル。このヴェネズエラ生まれの有名な指揮者は1981年生まれの33才という若さだが、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(現ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団)を率いた生気に満ちた指揮ぶりがテレビで盛んに取り上げられたことを記憶している人も多いだろう。現在はベネズエラを含め、それにとどまらず世界を股に活躍している。

 さて聴いたのは最終公演27日のプログラムBすなわち(1)リムスキー=コルサコフ ロシアの復活祭序曲 Op.36、(2)ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ版)はげ山の一夜、そして休憩を挟んで(3)リムスキー=コルサコフ シェエラザード Op.35の三曲。(1)と(3)はバイオリン独奏が出て来るが、これはコンサートマスターのシュトイデ氏(Volkhard Steude)が務めた。コンサートマスターは他にRainer Kuchl(uはウムラウト)、Rainer Honeck、Albena Danailovaの計4人いるが、9月20日福岡での同プログラムのときと同じく若いシュトイデ氏だ。総じて大変楽しめる、満足の行く演奏会であったが、意見したいことが皆無というわけでもなかった。

 (1)のロシアの復活祭序曲であるが、(3)の作品35シェエラザードに続く作品36として1888年に作曲されたが、歴史的傑作である(2)や(3)を前にしてやや前座的な演目である。それでも冒頭やところどころ出て来るグレゴリオ聖歌のようなユニゾンのロシア正教的旋律が深い印象を与えた。アレグロの部分はルスランとリュドミラ序曲のリズムが繰り返され、よくあるお祭り騒ぎの様相を呈する。ドゥダメルの指揮は曲想を生き生き捉え、聴き手を引き込む。ところどころ現れるシュトイデ氏のヴァイオリン・ソロは鈴が鳴るような瑞々しい響きだ。ヴァイオリンの音質をパールマンの透徹さ、超絶技巧ハイフェッツやミルシテインの艶めかしさ、スターンのハスキーさ、水が滴るようなメルクスやシェリングの瑞々しさの四つに乱暴に分類すると、最後の部類だ。このソロはいいのだが、ヴァイオリン合奏が、ヨーロッパ大陸で聴くオーケストラのヴィロードのような滑らかな弦の記憶が染みついている私には、なぜかざらついて聞こえた。いずれにしてもこの(1)、曲の良さやオーケストラの上手さよりドゥダメルの曲想の引き出し方の巧みさが印象に残った。
 (2)のはげ山の一夜。これはドゥダメルの指揮ぶりが一層激しくなるとともに、オーケストラの響きが打って変わって強烈だった。ドゥダメルのとるテンポの速いこと!もともとスピード感溢れる曲だが、こんなに速い演奏は初めてだ。しかも上っ面を撫でて行くのでなく、全ての音がしっかりと深く刻まれて疾走する。ウィーン・フィルは平気でドゥダメルについて行く。いやついて行くというよりドゥダメルの動きを予想しているかのように、完全に同期している。さすが世界のトップオーケストラである。これは大迫力の鬼気迫る演奏だ。(しかし最後にホルンが音を外したのはいただけなかった。天下のウィーン・フィルなのだから。)
 そして(3)のシェエラザード。この曲の持つめくるめく色彩感を存分に発揮した、スケールの大きな指揮ぶりと演奏だった。心底安心できる予定調和感に溢れるとともに、それを超えて感嘆の連続する演奏だった。ドゥダメルの指揮も大変わかりやすく、音楽を聴きながらそれを楽しむ余地を聴く者に与える、余裕たっぷりの指揮ぶりと演奏だった。これは名演だったのではないだろうか。(ただしまたぞろ途中の静かな箇所でホルンが音を外したのはいただけなかった。いちいち指摘するのはやはりなんとかして欲しいという思いからだ。) この曲は(1)より頻繁に美しいソロヴァイオリンが出て来るが、シュトイデの音色はピッタリだった。シュトイデは体の動きも音質もコンチェルトを弾くヴァイオリニストのような扇情的なことはないが、概してオーケストラ曲のソロはこの人のように若干ストイックな方がいい。この曲は最後ソロヴァイオリンと管の和音のフェルマータで終わるのだが、音が消えてからさらに休符のフェルマータがあるかのようにドゥダメルの静止ポーズと静寂が続いた。ドゥダメルがポーズを崩したら万雷の拍手。立ち上がって拍手する人もかなりいた。
 アンコールが一曲、ヨハン・シュトラウス 2世の「エジプト行進曲」が演奏された。この曲は初めて聴いたが、なかなか絶妙な選曲だ。シェエラザードの中近東イメージを引きずる曲であるとともに、ウィーン・フィルが自家薬籠中の音楽としてレパートリーに入れているシュトラウス一族の音楽だからだ。その両方を満たす解は少ない。この曲、中間部でオーケストラ団員の合唱が入ることがあるが、実際それが入った。それもピッタリ息が合っていた。やはりウィーン・フィルと相性がいいのだろう。

 最後になるが、ツァーに郡山が入っていることをプログラムで見て、いささか感じ入った。郡山は、福島第一原発から新幹線に垂線を下ろした付近、つまり新幹線では最も近い位置である。放射能漏れに対する外国人の細部を見ない荒っぽい潔癖感に少なからず接した私としては、よく郡山入りしてくれたと、その理性と勇気をありがたく思うのである。(ちなみにウィーンと原子炉に関する別記事もご参照あれ。)


[2014年9月30日 記]


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