[2012年2月25日 記]
交差点の歩行者用信号には青になると電子音が鳴るものがある。
ひところ「通りゃんせ」が多かったが、最近はバラエティーに富む。
先日街を歩いていたときは「あんたがたどこさ」だった。
それで前から思っていたことを思い出した。
この「あんたがたどこさ」、バルトークばりの変拍子の宝庫だ。しかも調性がはっきりしない。最初の音を仮にD(レ)とするとき、これを二短調ではない。
変に西洋和声を付けるよりは無伴奏の方がよい。
(「通りゃんせ」はもっと調性がある。最初の音をAとするとき、イ短調と言える。西洋和声を縁取ってもおかしくはない。)
さてそれより感心するのは、この旋律、5度の音域に収まるたった4音から成る。それでいて結構長大な旋律だ。これはすごいことではないだろうか。
そこで前から思っていたことがあるのだが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の出だしのピアノ4小節の旋律。4度の音域に収まる4つの音だけから成る。
もう少し小節数を広げても、13小節もの間、6度の音程に収まっている。
行きつ戻りつ、悩みをつぶやいているような主旋律。
いずれこの曲は超広音域の大迫力音楽になるわけだが、その素材が長きにわたって6度に収まっているのが素晴らしい。
他にもそういう旋律があると思うが、
すぐに思い出せないので募集したいところである。
さて、その逆はどうだろうか? 逆というのは、広い音域にわたる旋律である。
もちろん長い旋律を追って行けば広い音域になることは珍しくないので、
そうではなく、
比較的短い楽想で広い音域を駆け巡る旋律で、
それでいて自然なものはないかという話である。
リヒャルト・シュトラウスやワーグナーにそういうのがある。
英雄の生涯の冒頭、低音の弦で始まる雄大な楽想。
ホ音で始まりいきなり2オクターブと5度を行き交う。
バイオリンの最低音から始まるドン・ファンの冒頭もすぐさま大きく上昇する。
タンホイザー序曲では4拍子に変わってホ音から減7分散和音を駆け上る楽想、
これは2オクターブと6度まで行く。
一つの楽器では困難なので、
楽器を引き継いで一つの旋律を奏でるものが多い。
これらの楽想はあっという間に広い音域を駆け巡るが、
無理矢理音域を広げたような不自然さを感じさせない、納得できる旋律である。
シベリウスのクレルヴォ交響曲の冒頭も広い音域をうねる。
あっという間ではなく少しうねった結果広い音域になっているが、
とぎれることなく繋がった旋律で大きな息づかいを感じる。
一般的傾向として、狭い音域の旋律は逡巡するようなところがあり、
広い音域を巡る旋律は雄大なところがある。
その逆の雰囲気を持つような旋律があればもっと面白いかもしれない。
はたしてそんな旋律はあるだろうか?
シベリウスの交響曲第2番の冒頭はどうだろう。
これも7小節にわたって3度以内の3音のみ。
これは雄大というのとは違うかもしれないが、
大らかな感じはする。
またサウンド・オブ・ミュージックの「Climb Every Mountain」も、
狭い音域ながら広壮な感じがする。
広い音域をあっという間に巡る旋律で、
どこか小心で逡巡するような旋律はないだろうか?
これは見つかったら
ブログのコメントで教えてもらえるとありがたい。
[2012年2月25日 記]