ピアノプラザ群馬を訪れて


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 ピアノプラザ群馬というところをご存じだろうか?
 主にヨーロッパピアノの輸入販売を事業とする日本ピアノホールディング株式会社が運営する、高崎市の広い敷地にいくつもの建物を有するピアノの展示場である。前橋や伊勢崎にもあるそうだが、ここ高崎が本店である。ここである休日、至福の時を過ごした。
 ここを訪れた目的は1841年製のプレイエル社のグランドピアノを試弾することであった。その経緯についてはブログに書いたので省略する。とりあえず重要情報を書くと、そのピアノはもう買い手がついたということだ。読者がこの記事を読むのが執筆時点からあまり経っていなければ、まだ見ることができるであろう。
 プレイエルのピアノはタッチが軽いことで知られ、ショパンの繊細な音楽の表現に向いていると言われている。現にショパンはプレイエルに触れながら作曲したのだ。私は現代のプレイエルピアノを触ったこともあるが、いい意味でタッチが軽く、指の感覚が何の夾雑物も介さず伝わる感じがした。
 それでもショパン当時のプレイエルに触ってみたかった。そうすることによってショパンの意図がより汲み取れるのではないかと思ったからだ。特にペダルの指示。ベートーヴェン以降、ピアノに堪能な作曲家のピアノ作品は、作曲家自身のペダルの指示が大きな意味を持っているが、現代ピアノでも全く指示通りでいいのだろうかと思うようなこともある。たとえばベートーヴェンは和声の移り変わりと無関係に非常に長いペダルを指示していることがあって、そういう箇所では独特の効果を出している。しかし当時のフォルテピアノの弦は音の減衰の仕方が違うのだから、現代ピアノでその指示通りにしてもいいところと、ハーフペダルくらいにしておいた方がいいところがあるのではないか、といった具合だ。ショパンの場合はもっと文章にしにくい微妙な感覚であるが、やはり当時のプレイエルを弾いてはじめて現代ピアノでショパンの指示をくみ取ることが必要なのではないかと思ったのだ。
 はたして結果は・・・大変な勉強になった。何がどうというと、それこそ私の文章力では表現できない。たとえば一つを強いて言ってみると、現代ピアノの方がペダルを踏んだ踏まないの効果がデジタル的で、1841年プレイエルはそれがやや連続的である。大げさに言えば現代ピアノはペダルを踏まないときは野原のように音が響かず、ペダルを踏むと残響室のように音が持続する。そう気付くと、ショパンのペダル指示をそのまま現代ピアノでやると、1841年プレイエルに比べ、無響と残響のメリハリがつきすぎてしまう。だから現代ピアノでは常にハーフペダルの可能性を考えて繊細にコントロールしなければ機械的になってしまう。
 などという分析は最初のうちだけで、ショパンが弾いたのとほぼ同じピアノを自分はいま弾いているのだと思うと、弾いているうちに理性はどこかに吹っ飛んでしまった。最初はエチュードOp.25から数曲を音響の分析がてら弾いていたが、最後はなぜかマズルカになった。そしてイ短調のマズルカになると、ピアノが勝手に音を出して私がそれに付いて行っているかのような状況に陥ってしまった。こんな状況にふたたび陥ることが可能だろうか?
 さて、1841年プレイエル試弾の副産物として、その隣に置いてあった1900年エラールと1910年エラールにも触らせてもらった。こちらはだいぶ現代ピアノに近いけれど、それでも1841年プレイエルのような味が失われてはいなかった。案内していただいたピアノプラザ群馬の担当の方の他に社長さんや技術部部長さんとも小一時間お茶飲み話をさせていただいたが、彼らならこれらのピアノをもっと音量の出る、タッチの重い現代ピアノのように調整することは可能だろうと思った。でも彼らはそうはしない。そんなことをしたら別のピアノを作ることと同等になってしまうだろう。非常に見識のある方達である。
 昨今、由緒ある昔のピアノでコンサートをすることが行われるようになって来た。それはそれで大変結構なことだが、実は「聞く」より「触る」ことが大切である。とは言っても、たとえばヨーロッパの博物館でモーツアルトやブラームスが使ったピアノの現物というのがあったが、触らせてくれなかった。まあ現物なら触ったらいけないだろう。しかし、同等品に触ることは大変意味のあることだ。それを、ピアニストだけでなく音大生や一般愛好家にも触らせてくれるということが重要なのだと思う。すそ野の人達の深い理解があってはじめてトップの音楽家も活躍のしがいがあるというものだろう。その意味で、ピアノプラザ群馬やユーロピアノが行っている「販売以外の啓蒙活動」はすばらしいことだと思う。

 補記:つけくわえて言うなら、ピアノプラザ群馬ではもちろん現代ピアノがたくさん置いてあった。C. BECHSTEIN、ベーゼンドルファー、ハンブルクスタインウェイ、ニューヨークスタインウェイ、FAZIOLI、等々。いやどれもすばらしい。しかも、特徴がたいへん異なる。同じ機種でも個体差があるのはもちろんのことである。アクースティック楽器だけはネット販売などでは絶対選べない。ピアニスト、音楽の先生、一般愛好家はこういう所に来て試弾し、型番で買うのでなく現物を選定して買うのである。まだ行っていなければ、是非行ってみることをお薦めする。

[2010年11月3日 記]


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