ドヴォルジャークのチェロ協奏曲について


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 昨日(2007年12月31日)大晦日の買い物に街に出かけたときちょっと寄った楽譜屋で、財団法人ジェスク音楽文化振興会(以下ジェスクと略す)の発行になるドヴォルジャークのチェロ協奏曲(Edition Supraphon)のスコアを見つけた。買うはずはないのに、なにげなく手に取ってパラパラ見た。買うはずはないというのは、既に40年前、 Eulenburg社の同曲のスコアを買ってあるからだ。
 ジェスクのスコア、Eulenburgよりずっと厚い。なぜかな、とめくってみると、何か楽譜の雰囲気がEulenburgの楽譜と全然違う。ちょっとだけ時間がかかったが、何が違うかわかった。Eulenburgの方は鳴っていない楽器は極力楽譜から省いているので、登場する楽器の少ない部分は室内楽のような風情だ。一方、ジェスクの方は、全てではないが、鳴っていない楽器も休符で表示してある。たとえば第3楽章冒頭はホルンとチェロとコントラバスだけで開始されるが、 Eulenburgは楽譜もそれだけを表示しているので、最初の1ページに折り返し3段で21小節目まで収まっている。一方ジェスクは全ての楽器の楽譜を書いてあるので、最初の1ページは7小節めまでしかない。こんな調子なので、全3楽章の楽譜はEulenburgで104ページ、ジェスクで140ページと、大きく差がある。Eulenburgの楽譜を買った当時、この壮大な音楽が薄いスコアに収まってしまうことに驚いた記憶がある。
 ジェスクのスコアが厚い理由は他にもあった。楽譜の前後の解説が長いのだ。それをパラパラ立ち読みしていたら、なにやら断片的に異稿のような楽譜が見えた。目が若干開いた。それがドヴォルジャークの初稿から最終版に至るいろいろな異稿であることを知るや、目をカッと見開き、気がつけば体は勝手にレジの前に立っていた。かくして40年ぶりに全く同じ曲の楽譜を買うことになった。

 このジェスクの解説、いくつかの自筆譜やジムロック社の初版も比較した考察が8人の学者のチームによりなされている。そこに書かれていることの一端は、実は私がこの曲に関して抱いていた40年来の大きな疑問、それにドヴォルジャークのプライベートなことに関して気になっていたことを同時に解くものであったのだ。
 この協奏曲に関する疑問とは、第3楽章の終わり方である。周知のように普通の協奏曲と異なり、この楽章の最後には静かでゆっくりとした終結部が置かれている。あらゆる細部まで素晴らしいこの協奏曲にあって、ここは特に白眉の部分だが、協奏曲の終わり方としては異例である。リストのソナタやメフィストワルツ第1番に似ていなくもないが、リストはクライマックスのあと突然回想するようなレシタティーヴォで、いかにも全曲のコーダといった風情の余韻を出しているが、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲は徐々にボイルダウンして、叙情的な句が延々と続く。それも今まで現れた動機を組み合わせたというよりは、比較的新しい旋律や句が次々と続く。したがってこの協奏曲の回想という感じではなく、何か人生全体の回想をこの第3楽章の終結部を借りて挿入したかのような、他に類を見ない終わり方と言える。この部分は特に好きな部分でもあるが、協奏曲のフィナーレとしてなぜこのような終わり方にしたのか、わからないまま40年が経った。
 ジェスク版の解説によると、当初アメリカで完成したときはこの遅い部分は非常に短く、引き続き最後のtuttiも短いバージョンで終わっている。両者を頭の中で鳴らして比較すれば明らかだが、アメリカからチェコに帰国したあと変えた現在のバージョンの方がずっと音楽的だ。しかし「協奏曲のフィナーレの終わり方」という観点からは在アメリカ時代バージョンの方がそれらしい。それを現行バージョンに変え、さらにかのハヌス・ウィハンの「独奏カデンツァを入れよ」という忠告を無視してこの長大な叙情的コーダにこだわった理由までが − すぐあとで少し触れるが − 書いてあった。これは非常に納得の行くものであった。

 もう一つのプライベートな面で気になっていた点というのを説明しよう。ドヴォルジャークは20才の頃ヨゼフィナとアンナという姉妹のいる家庭にピアノを教えに行っていた。彼は姉のヨゼフィナに片思いの恋をしたが、ヨゼフィナはコウニツ伯爵と結婚してしまった。そのときの悲しみと悩みは「悲哀の歌曲集」に表現されている(文献1)。結局ドヴォルジャークは妹のアンナと結婚した(文献1,2)。何人もの子供をもうけ、そのうち3人を失う(ロンドンでスタバート・マーテルのコンサートに行ったときの解説で記憶していたが、文献2でも確認される)という悲運に見舞われたが、その後もうけた子の一人、娘のオッティリエはドヴォルジャークの弟子で作曲家のヨゼフ・スク(通常スークと表記される)と結婚した。このヨゼフ・スクにはヴァイオリンとピアノのための「四つの小品」とかピアノ独奏の「愛の歌」などの有名曲がある。ヨゼフとオッティリエの孫には同じ名のヨゼフ・スクがおり、これは現存する有名なヴァイオリニストであり、スーク・トリオの主宰者でもある。
 私は、ドヴォルジャークはどのようにヨゼフィナへの片思いを忘れることができたのだろうかということが気になっていた。なぜなら、妻アンナの姉であるヨゼフィナとその夫であるコウニツ伯爵とは、ドヴォルジャークは生涯親交があったのだ。

 さてジェスクの解説には「チェロ協奏曲の終結部の書き換えは、帰国後まもないヨゼフィナの死の悲しみもさめやらぬ間にほとばしり出たものである」とある。その根拠となる出典は書いてないが、解説の他の部分のアカデミズムから察すると、信頼に値する。そしてドヴォルジャークにとって如何にそれが大切なことで、当時屈指のチェリストとしてのハヌス・ウィハンの助言など聞くわけにいかなかったことか、詳述してある。
 この解説が私の長年の二つの疑問を結びつけて解くのに十分な解答を与えるものであることは論を待たないであろう。詳細を書いてしまうのはルール違反と思われるので、あとは現物をあたっていただければ幸いである。

 総じてSupraphonの楽譜、解説が素晴らしい。現地で買ったあるいは取り寄せた楽譜として「ルサルカ」とヤナーチェクを少々持っているが、今後さらに買わずばなるまい。財布のやりくりに頭が痛くなりそうである。

[2008年1月1日 記]


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