内藤晃氏が1年半ぶりのコンサート(
ご自身のページ参照)を開いた。プログラムから並々ならぬ意欲がうかがわれ、それは行ってみて「やはり」と納得が行くものであった。
- D.スカルラッティ:2つのソナタ(ロ短調 L.33、ホ長調 L.23)
コンサートの初めにふさわしい、透き通った演奏だった。ミケランジェリやホロヴィッツの演奏になじんだ曲だが、内藤氏独特の清澄な演奏を存分に味わえた。
- グリーグ:叙情小曲集より「春に寄す」「小人の行進」「夜想曲」「トロルドハウゲンの婚礼の日」
二曲目になりコンサートの空気にもなごみ感が出てきた。この曲も、リヒテルの演奏になじんだ耳にも全く不足なく、生き生きと聞こえてきた。
- ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109
たまたま2月に2002年日本アマチュアピアノコンクール第1位の小久保 和哉氏の同じ曲の演奏(別項参照)を聴いた。この曲自体がそもそも至高の音楽であるが、小久保氏も内藤氏も素晴らしい演奏で、たゆたう音楽の波間に心を任せて聴いた。両者の演奏には、極端な違いはないが、それぞれの特徴があった。小久保氏の方は澄み切った「花冷え」のような美しさ、そう、内藤氏の最初のスカルラッティのように、凛とした旋律美をたたえた演奏だった。内藤氏のベートーヴェンはコンサートが進んで来たこともあるのだろう、暖かく包み込むような、自然体の演奏だった。3ヶ月のうちに両方の美を味わうことができた。
- フォーレ:即興曲 変イ長調 Op.34
初めて内藤氏を聴いて釘付けになったのがフォーレだった。このフォーレを聴いて、あらためて内藤氏の感性がフォーレ向きであることを確信した。水のように無理なく流れる音楽。暖かく心を癒す音楽。
- ショパン:ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2, 夜想曲 ホ長調 Op.62-2, 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
ショパンの全曲を愛する私も、特に後期が好きだ。内藤氏が弾くショパンは後期のものが多い。それはフォーレに繋がるのも一つの要因ではないだろうか。どれも絶品だが、舟歌は感動的だった。
- メトネル:おとぎ話 変ロ短調 Op.20-1,「春」Op.39-3 (「忘れられた調べ 第2集」より)
昔はメットナーと呼ばれていたが、最近メトネルとしてその作品をしばしば耳にするようになった。私はメジェーエワのCDに一番親しんでいるが、内藤氏の演奏も大変しっくりと来るものがある。なんというか、相当前から弾きこんでいるのではないかというような感じ。いつ頃からメトネルに傾倒したのか、今度訊いてみようか。
- スクリャービン:ピアノソナタ第4番 嬰ヘ長調 Op.30
この大変な難曲は、第一楽章は内藤氏にピッタリにしても、はたして第二楽章は彼の感性にピッタリなんだろうか、と、聴く前は少し思った。ジャズとまでは言わないが、大きな跳躍を含むシンコペーションに満ちていて、曲芸的要素が演奏に不可欠だからである。彼が曲芸をひけらかすようなことをするのだろうか? しかし実際に聴いて納得が行った。すごいテクニックで弾き進むのだが、この曲を初めて聞く人がいたとすれば、おそらくそのテクニックを第一に印象付けられることはなかったのではないだろうか。それほど音楽そのものの表現に重きが置かれていた。これは最も難しいことである。ただバリバリ弾くより、その上に奏でられた音楽の方を強く印象に残すことの方が、実力的に余裕が要るからである。この曲と内藤氏がこのように結合すること知って納得が行った。
- アンコールはエルガーの「愛の挨拶」とシューマンの「別れ」。前者は彼がよくとりあげるアンコール曲のようだ。アンコールは、もっと聴きたい、という程度で終わるのが良いが、この日ももっともっと聴きたかった。しかし、もしかしたら病気回復直後でそれどころではなかったのかもしれない、と、後で楽屋を訪ねたとき感じた。