死者は我々の内に甦る

 「物理に関してたった一つだけの文章しか子孫に伝えることができないとしたら、何を伝えるべきか?」とファインマンは提議し、彼は「物質はすべて原子およびその結合体である分子から出来ているということ」だと言った。これほど多くの物理を含む文章はないということだ。原子の概念誕生は遠くギリシア科学に遡るが、想像としてでなく科学的確信を人類が持つことが出来るようになるためには何千年の歳月が必要であった。酸素と水素が反応して水ができるときに、常にきっかり1:2の体積の割合で反応する事実からドルトンが推測したように「水は連続体でなく粒の集まりで、酸素の粒一個と水素の粒二個からできているのではないか」と十七世紀に考えられたのがきっかけであった。そして遂に1モル(室温1気圧で22.4リットル)中に含まれる原子または分子の数すなわちアボガドロ数(=6×10の23乗個)が同定されるに至り、原子や分子のイメージが推測の域を超えて具体的なものになった。
 アボガドロ数はどうやって同定されるだろうか? 筆者の知る限り、(1)ファラデーの電気分解の法則と単位電荷eから求める、(2)アインシュタインの拡散の理論と拡散係数測定値から求める、(3)結晶のX線回折で決定した単位格子長と結晶密度(グラム当量)測定値から求める、の三種がある。こう書いていて今思い着いたが、(3)の変形として、最近では走査型トンネル顕微鏡で直接結晶格子が見えるので、アボガドロ数の直接数え上げ(数えられるだけ数えて体積比相当倍する)なんてのもあるかも知れない。精度がいいかどうか知らないが。

 このアボガドロ数がいかに莫大な数であるかを示す物理の問題がある。コップ一杯のインクを海にたらし、均一になるよう海をかきまぜたとしよう。そして海の水をコップ一杯取り出したとき、もとのインクの分子は何個コップに入っているだろうかという問題だ。これは海水の体積さえわかれば、アボガドロ数からすぐに計算できる。だれかが計算したところによると、答は10の2乗個のオーダーだそうだ。アボガドロ数は何と莫大なことか。(100個しかないんですか、という人もいるかもしれないが、ここでは「100個も入っているんですか!」とすなおに思ってください。)
 さて、この話はいろいろバリエーションができる。多少話は落ちるが、だれか不届き者が海に向かって放尿したとしよう。十分時間が経った後あなたが海水浴をして水をガブリと飲んでしまったとすれば、その分子を100個は飲んでしまったことになる。実際にはそんなに速く拡散現象が起きるわけはない、という反論もあろう。そんなに速いなら、日本海に投棄されたロシアの核廃棄物はもう全世界に回っているはずだ。では大気ならどうだろう。大陸の黄砂が日本上空にも達するように、大気なら拡散が速いと考えられる。そこでどんなバリエーションができるだろうか?

 外国人と雑談をしていると、よく風習の違いが話題になる。日本では死者をどのように埋葬するのかと訊かれたことが何度かあった。火葬だと答えると、意外な顔をする人も多い。世界的にみると、火葬でなくそのまま埋葬する習慣がかなりあるのである。さて、火葬すると当然死者の体は気体となって大気中に拡散するわけだが、その分子が我々の肺から体内に取り込まれ同化することは容易に想像できるであろう。大気は密度も体積も海と違うが、結果が何桁も違うことはないだろう。この話をしたところ、あるインド人は感慨深い顔をして「死者が次の世代の人々の体に再構成するんだね。火葬には深い意味があるんだ」と、話が哲学的方向へ。
 というわけで、アボガドロ数の問題から飛躍してたどり着いた結論:「死者は我々の内に甦る」。


[最終稿:1998年5月5日]
科学の間に戻る
詠里庵ホームに戻る