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◆◆◆  伴 林 氏 神 社  ◆◆◆
と も ば や し の う じ の じ ん じ ゃ
 藤井寺市林3丁目6番30号   TEL:072-954-5126
   近鉄南大阪線・
土師ノ里(はじのさと)駅より北西へ約700m(鳥居まで) 徒歩約12
   国道
170(大阪外環状線)沢田北交差点を東へ約250m 右折して100m先を左折し170m直進
(鳥居まで)
   国道旧170号惣社南交差点の南約70mの丁字交差点を西へ約370m(鳥居まで)
玉垣沿いに咲く桜
 伴林氏神社の桜は現在
23本あります(2022.4)。その内の19本がソメ
イヨシノで、しだれ桜が
本、オオシマザクラ系の桜が1本あります。
もう1本は拝殿の前にある「左近の桜」ですが、まだ幼木です。
 ソメイヨシノは右の写真のように神社正面と西側の玉垣の内側に沿っ
て並んでいます。かなり育っていますが、さほど古木ではありません。
 写真中央の電柱の右側にも大きなソメイヨシノが並んでいましたが、
最近枯死してしまったようです。寿命で枯れるほどの古木ではないので
クビアカツヤカミキリの被害によるものと思われます。伐採された跡に
、5本の苗木が植えられていました。10年も経てば、立派な桜景観を
見せてくれることでしょう。
@ 伴林氏神社の桜(南西より)
@ 伴林氏神社の桜(南西より)    2022(令和4)年4月
  この位置からは敷地の西側と南側の両方の桜を見ることができる。
A 伴林氏神社の桜(南西より) B 伴林氏神社の桜(北西より)
A 伴林氏神社の桜(南西より)   2022(令和4)年4月
   西門側玉垣沿いの桜。左側のソメイヨシノはまだ若い。
B 伴林氏神社の桜(北西より)   2022(令和4)年4月
            写真Aの反対側より見た様子。
由緒ある式内社
 「伴林氏神社」の正式な読み方は、初見ではなかなかわかりにくいでしょう。地元でも、つい「ともばやしじんじゃ」などと習慣で俗名
を使うことが多いのが実情です。とは言え、神社そのものは由緒ある立派な神社です。平安時代の延喜式神名帳に記載されている、いわゆ
る「式内社」に含まれています。
 1945(昭和20)年に廃止された国家神道による社格では、明治5年に旧林村の「村社」に列せられ、昭和17年には大阪府から幣帛(へいはく)を受
ける
「府社」の社格を与えられました。当時、大阪府内南河内地域で府社だったのは、誉田(こんだ)八幡宮(現羽曳野市)・建水分神社(たけみくまりじん
じゃ)
(現千早赤阪村)と伴林氏神社だけでした。由緒ある道明寺天満宮でさえ郷社(府県社より下の社格)だった状況の中でのことです。
C 伴林氏神社正面からの様子(南より)
C 伴林氏神社正面からの様子(南より)   2022(令和4)年4月  合成パノラマ
   鳥居と社号標は、戦前の拡張造営の際に現在の境内地の西方に西向きに建てられた
  が、近年に現在地に移転された。立派な社号標は太平洋戦争中の1942(昭和17)年に建
  てられた。「伴林氏神社」の書蹟は元首相・近衛文麿の筆に成るもの。
歴史の波に揺れた神社
 廃止までの4年間だけの府社の社格でしたが、その背景には、この神社が背負わされてきた過酷な歴史が秘められています。この神社ほ
ど軍国主義の波に翻弄された神社も珍しいでしょう。ある時期に急に境内地が大々的に拡張整備され、社殿や手水舎が立派なものに建て替
えられると、多くの参拝者が集団でやって来るようになりました。そして、敗戦。国家神道廃止を経ると潮が引いたように靜かな境内に変
わり、一時は神職も無住の状態になったほどです。詳しくは別ページをご覧いただきたいと思いますが、現在の伴林氏神社のたたずまいか
らは想像しがたい、宗教と政治、軍事、思想の複雑な絡み合いの歴史的事実に驚かされます。
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