タイトル・Web風土記ふじいでら
top menu  タイトル・藤井寺市の交通   site map
 西名阪自動車道
 (にしめいはんじどうしゃどう)  〈 高速自動車国道(有料) 〉 〈 運営:西日本高速道路(NEXCO西日本)
 高速自動車国道路線名:近畿自動車道天理吹田線(の部分区間)   高速道路番号:E25

 《起点》松原JCT(大阪府松原市) ―― 《終点》天理IC(奈良県天理市)   《路線延長》27.2km
 車 線:松原
JCT-柏原IC〔片側3車線・6車線〕  柏原IC-天理IC〔片側2車線・4車線〕
 ジャンクション(JCT)〔松原・郡山下ツ道〕  インターチェンジ(IC)〔藤井寺・柏原・香芝・法隆寺・郡山・天理〕
 
サービスエリア〔香芝SA〕  パーキングエリア〔天理PA〕  スマートインターチェンジ〔大和まほろばSIC
 料金所:松原
(下り天理方面のみ)  柏原(上り大阪方面のみ)  天理
 開 通:
1969(昭和44)年3月21日全線開通(一般国道25号のバイパス・一般有料道路「西名阪道路」)
 開 通:1973(昭和48)年4月1日「西名阪自動車道」として高速自動車国道に昇格編入
短い高速道路-重要なつなぐ役割
 西名阪自動車道は大阪府松原市の松原ジャンクション(JCT)を起点
として
奈良県天理市の天理インターチェンジ(IC)までの27.2km
つなぐ西日本高速道路の高速自動車道で、藤井寺市内を北西から南東
にかけて斜めに通り抜けています。そして、市域のほぼ中央部には藤
井寺インターチェンジが設けられています。
 インタ
ーチェンジの出入り口は府道12号堺大和高田線に接続してい
ます。府道12号は、大阪湾岸の堺市と奈良盆地南部を東西に結ぶ主要
道路です。この府道を
200mほど東に行くと国道170(大阪外環状
線)
が南北に通っており、東西にも南北にも各方面と連絡しやすい位置
にインターチェンジが設けられています。これにより藤井寺市は、昭
40年代から急増した自動車交通の中で、その位置が中継地点として
重要な役割を持つことになりました。
 路線延長27.2kmという、高速道路としては短い路線ですが、西名
阪自動車道の重要性はその接続関係にあります。下の地図でわかるよ
疑似鳥瞰写真で見る西名阪自動車道(南より)
① 疑似鳥瞰写真で見る西名阪自動車道(南東より)
     西名阪自動車道は近鉄南大阪線・国道170号を二重高架で越えている。

             〔GoogleEarth3D画 2018(令和元)年5月〕より
うに、西名阪自動車道はその前後で他の主要な都市間高速道路などに接続・連絡しています。つまり、“つなぐ”という役割として重要な
存在なのです。起点の松原
JCTでは近畿自動車道と阪和自動車道に接続しており、大阪府内を南北へ移動する重要路線に直結しています。
さらに、その先では名神高速道路や中国自動車道という長距離重要路線にも連絡しています。そして、松原JCTでは阪神高速道路松原線に
も接続しており、阪神高速道路の路線網を経由して大阪市内外の各地に連絡しています。
 終点の天理ICでは名阪国道(国道25号バイパス・自動車専用道路)に接続していて
その先では東名阪自動車道を経由して名古屋市に至り
ます。つまり、大阪府と名古屋圏をつなぐ役割も担っているのです。   
「藤井寺インターチェンジ-藤井寺市の施設案内」
 27.2kmという短い高速道路ですが、西名阪自動車道の通過地点は比較的小規模自治体の多い地域で、意外と多くの自治体を通過してい
ることがわかります。以下に紹介しておきます。
   《 大阪府 》 松原市
藤井寺市 羽曳野(はびきの) 柏原(かしわら)
   《 奈良県 》 香芝(かしば) 北葛城(きたかつらぎ)郡上牧(かんまき) 北葛城郡河合(かわい) 生駒(いこま)郡安堵(あんど)
          大和郡山
(やまとこおりやま) 天理市        実際には市町域を2度通過する自治体
 ②  西名阪自動車道・名阪国道・東名阪指導者道の路線図 ( 2020年12月現在 ) 
② 西名阪自動車道・名阪国道・東名阪指導者道の路線図
特異な高速自動車国道-その名称と構成
 西名阪自動車道は、変わっていると言うか、ワケありと言うのか、少しばか
り特異な高速道路です。そもそも、「名阪」というネーミングは、「
古屋-
」間をつなぐ道路を表します2大都市を結ぶ幹線道路としての名称のは
ずですが、少し違います。「名古屋」は「名古屋市」ですが、「大阪」は「大
阪市」を意味していません。なぜなら、西名阪自動車道は大阪市が起点でも終
点でもなく、通ってもいないからです。「名阪」とは、「名古屋市-大阪府間
を結ぶ
という意味なってしまっています。 名神高速道路(名古屋市-神戸市)
や東名高速道路
(東京-名古屋市)とは似て非なる命名の仕組みだったのです。
もっと言うならば、「名阪」が付く道路名でありながら、実際の起点-終点の
地名は「松原-天理」というのもおかしなことです。これは、道路名の誕生が
高速道路建設構想に基づいていたからだと考えられます。
③ 藤井寺インターチェンジ入口ゲート(南より)
③ 藤井寺インターチェンジ入口ゲート(南より)
    下り天理・名古屋方面3、上り大阪方面2の5つのゲートがある。

                   2015(平成27)年10月
 写真③は藤井寺インターチェンジの入り口ゲートの様子です。左側の3門が下り天理方面の入り口ですが、上の行き先表示を見ると、な
ぜか終点の「天理」よりもずっと先の「名古屋」の方が上に示されています。対して、右側の上り松原方面入り口の表示では松原の表示す
らなく、これもまた、他の高速道路を経由して行く「大阪」が上に表示されています。藤井寺市も大阪府内なので、この「大阪」は明らか
に「大阪市」のことです。高速道路の利用者にとっては、その路線で到達できる代表的都市名を表示してもらう方がわかりやすいとは思い
ますが、それにしても、「名古屋」と「大阪」とは‥‥。いかに「
名阪」ということが強く意識されてきたかを示していると思います。
道路名「西名阪自動車道」の背景
 「西名阪自動車道」の名称や位置づけには、少しばかり複雑な背景があります。まず、法律上の正式な路線名としては、『国土開発幹線
自動車道』に定められた予定路線名では「近畿自動車道名古屋大阪線」です。ここで言う「近畿自動車道」は、大阪府内で一般に言う吹田
JCT-松原JCTの近畿自動車道ではありません。国土開発幹線自動車道の「近畿自動車道」は5路線が予定路線として定められ、「名古屋
大阪線」はその1つです。古屋-大」のそもそもの起こりは、この名称にあると言えるでしょう。
 一方、『高速自動車国道』の路線として定められた「近畿自動車道」としては、「近畿自動車道天理吹田線」がその名称です。つまり、
現在の吹田
JCT-天理IC間のことです。その内、吹田JCT-松原IC間がNEXCO西日本による道路名「近畿自動車道」で、松原IC-
松原
JCT間が「阪和自動車道」、松原JCT-天理IC間が「西名阪自動車道」です。「西名阪自動車道」は「近畿自動車道天理吹田線」の
一部区間だということです。一般に、NEXCO西日本
(旧日本道路公団)が定めた道路名」が高速道路名として使用されていますが、実は法
律上制定されている路線名称とは必ずしも同じではないのです。ちなみに、『高速自動車国道』として制定された「近畿自動車道」は7路
線あり、各路線で供用されている「道路名」を合わせると
20以上にもなります。
 西名阪自動車道が特異な高速道路であることは、ネーミングよりももっと特徴的な路線構成に象徴されます。すでに上の地図でおわかり
のように、「名古屋-大阪」間をつなぐ「近畿自動車道名古屋大阪線」と言っても、実際には3つの道路の組み合わせで成り立
っています。
これには、この路線が構想され建設される過程における様々な背景が影響してきた歴史があります。
西名阪自動車道の誕生
 西名阪自動車道は、1969(昭和44)年3月21日、当時の日本道路公団管理の「一般有料道路西名阪道路
(一般国道25号)」として、旧松原
(現松原JCT)-天理IC間が開通しました。1年後の1970年3月15日には大阪府吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会(EXPO'70)が開幕しま
した。と言うより、万国博の開幕に合わせて西名阪道路の建設が進められたのです。当時の大阪府内外では、万国博開催に向けてのアクセ
ス道路の整備が大々的に進められていました。大阪外環状線
(現国道170号)もその1つで、西名阪道路に遅れること9ヶ同年の12月に
沢田交差点以北が開通しました。
これにより、藤井寺ICから外環状線などを経由して、吹田市の万国博会場へ行くことができるようになり
ました。
 その後、1973(昭和48)年4月1日、高速自動車国道「西名阪自動車道」に昇格しています
。そして、1988年3月17日、近畿自動車道の全線開
通により同自動車道と接続され、同時に旧松原ICは松原ジャンクションとなりました。現在の西名阪自動車道は、松原
JCT-天理IC間
27.2kmです。
つぎはぎの「近畿自動車道名古屋大阪線」
 「西名阪道路」は開通当初、天理IC以遠も続きの道路が建設されていて、最終は名古屋市までつながっていました。ただし、その道路
構成は上の②図で示したように、少しばかり複雑です。現在も、大阪府・松原
JCTから愛知県・名古屋西JCTまで
確かに1本の道路とし
て通っていますが、道路名は3つに分かれます。大阪府側と名古屋側の両端の部分が高速道路で、間の最も長い部分は自動車専用道路の一
般国道です。道路の名称は西から
「西名阪自動車道」「名阪国道(国道25号)」「東名阪自動車道です。大阪-名古屋間という、大都市
間を結ぶ高速道路網の区間としては、大変珍しく変則的な道路構成になっているのです。多くの人が疑問に思うのは、名阪国道の部分がな
ぜ高速道路になっていないのか、ということだと思います。
 この疑問の背景には、名阪高速道路の建設構想が建設計画に具体化する段階で、いくつもの課題が重なったことがありました。名阪高速
道路の構想に先だって、我が国で初の長距離都市間高速道路として「名神高速道路」が開通していました。この名神高速道路の迂回路線と
なる名古屋-阪神地区間の高速道路として構想されたのが「名阪高速道路」でした。急速に拡大する自動車輸送の需要に対応するために、
名神高速道路の補完路線が必要とされました。この時期に
、「日本万国博覧会(EXPO'70)」の大阪府での1970年開催が決まったことも、名阪
高速道路の建設計画に少なからず影響を与えています。つまり、この万国博開催に名阪高速道路の開通を間に合わせることが追求されたの
です。さらに
名阪国道の部分については、国道25号のバイパスとして無料道路を望む地元の強い意向とそれに連動する用地買収交渉の問
題など、いくつもの条件がからみ合って具体化したのが、西名阪道路・名阪国道・東名阪道路という道路構成の姿でした。なお、名阪国道
は、西名阪自動車道・東名阪自動車道の開通に先立つ
1965(昭和40)年に開通しています。1969年に西名阪自動車道、翌1970年に東名阪
自動車道という順で順次開通しました。
 西名阪自動車道は開通が急がれたため、開通当初は多くの区間が対面通行の変則形態で開業しています。その後、車線増設の工事が進め
られ、現在のような車線構造となりました。柏原IC以西の藤井寺市を通る部分は、現在は上下線とも3車線になっています。また、名阪
国道は片側2車線の全線4車線となっています。名阪国道の一部区間では、最高制限時速が
70km/hに引き上げられています。
進む新たな代替路線の建設
 「名阪国道」の区間が高速道路化されれば、当初の「名阪高速道路」構想は実現するのですが、実際には今になってこの区間を高速道路
化することは困難です。自動車専用道路の一般国道と
されたことで、道路そのものが高速道路規格で建設されていないことが最大の壁です。
高速道路にするためには大幅な改造をする必要があります。また、ルートの変更を必要とする部分もありそうです。天理東IC-福住IC
間の急勾配の連続カーブは、長距離高速道路では普通にはあり得ないカーブです。
 名神高速道路の補完路線として構想された「西名阪自動車道・名阪国道・東名阪自動車道」の路線ですが、名阪国道区間の問題もあり、
輸送量の増加を求めることは難しいでしょう。一方、本家の名神高速道路も年々通行量が増えていき渋滞も頻発していました。一部区間を
複線化するなどの対策も行われましたが、それも限界にきています。阪神淡路大震災などの大災害発生もあり、東名高速道路・名神高速道
路の代替路線の新設が急務とされました。そうして始まった新高速道路建設事業で進行中なのが、「新東名高速道路」「新名神高速道路」
の建設です。「新名神高速道路」も、②図にあるようにかなりの部分が開通しています。全線の供用が実現した時には、西名阪自動車道の
通行事情にも一定の変化が見られるものと予想されます。
 

 西名阪自動車道建設をめぐるおもな歩みを簡単な表にまとめてみました。
年・月・日 で き ご と
1969(昭和44)年  3月21日 日本道路公団の一般有料道路「西名阪道路(一般国道25号)」として、松原IC(現松原JCT)
天理
IC間が開通。当初は、松原IC-柏原IC間は4車線、柏原IC-天理IC間は暫定2車線。
1973(昭和48)年  4月 1日 西名阪自動車道」として高速自動車国道に昇格編入。
12月25日 松原IC-柏原IC間が6車線化、柏原IC-天理IC間が4車線化される。
1974(昭和49)年 10月 1日 香芝SA・下り線(天理・名古屋方面)の供用を開始。
1975(昭和50)年  3月19日 香芝SA・上り線(松原・大阪方面)の供用を開始。
1980(昭和55)年  3月 1日 阪神高速14号松原線が開通し、松原ICと接続。
1988(昭和63)年  3月17日 近畿自動車道が全線開通し西名阪自動車道と接続。同時に松原ICは「松原JCT」となる。
1999(平成11)年  4月 料金所で多発の渋滞緩和のため、大阪方面行き車線用の通行料金所を柏原に新設して移転。
松原料金所は下り車線専用となる。
2012(平成24)年  7月 4日 大和まほろばスマートIC」(名古屋方面入口・大阪方面出口)を新設、供用を開始。
2014(平成26)年  3月23日 大和まほろばスマートIC」(名古屋方面出口・大阪方面入口)を新設、供用を開始。
2015(平成27)年  3月22日 「郡山下ツ道JCT」が開通し、京奈和(けいなわ)自動車道と接続。

menu site map