日本の小さい兄弟たち

 

和歌山の兄弟の家
640-8124 和歌山市雄松町2-38若松荘8号室 
073-436-8528
 Fax 073-425-0981
Email fratjp@wakayama.email.ne.jp
 

和歌山の兄弟の家
兄弟の家の入っているアパート

Gさん   ベトナム出身。現在旋盤工員として働く。

 「労働者として生きる事はイエスに倣うことです。ナザレという無名のところで生活し、働かれたイエスは、人と神がどれほど近いかを表しています。ナザレの労働と沈黙がどれほど素晴らしいか。すごい魅力があります。ごく普通の日常の中で、小さい人々の中で、大工として、人間として、喜びも悲しみも感じたイエスの姿は、人間の普段の生活が御父に届くということを表しています。ですから、小さい人々の心でもっと御父と対話するのです。人間らしい生活で神に近づくのが一番素晴らしいのです。なぜならそこにナザレのイエスの生活があるのですから。」

Mさん   夜回り会のメンバー

 「イエスの福音は誰でも救う、皆を救うと多くの人が言います。それはもちろんそうですが、社会全体を暖めるには下から暖めなければならない。つまり一番下から働きかけないと社会全体には及ばないのです。ですから、私たち兄弟の間では、こういうふうに言います。『イエスの偏った愛』と。イエスは一番弱い立場の人々を愛するのです。イエスは差別されている人たちとかかわったのです。イエスは自分たちのグループを多くしようとはしませんでした。彼が望んだのは、出エジプトをした共同体、つまり奴隷や差別のない、兄弟姉妹としてすべての人が生きられる社会でした。人間イエスへの理解が最近では深まったのでしょう。『イエスの生き方を見ればわかる』というふうに、小さい共同体で庶民の中へという私たちの生活も理解されてきました。シャールの『人々の間で、人々の中に』という人々に近づいていく姿勢が一般の信徒にも理解されてきているのではないでしょうか。」

Nさん   東京都出身。06年4月より志願者として兄弟会に入会。08年7月8日初誓願。

 前橋での修練をのぞみさんと二人で1年間過ごしました。赤城山を仰ぎながら、からっ風に吹かれて、辛い時もありましたが、毎月和歌山から兄弟が訪問してくれて、なんとか無事に済ませることができました。
  一人で修練をすることは、稀なことですが、これを許してくれた兄弟会に感謝しています。神様からの恵みを頂くことが何よりでした。一人であっても、いつも神様が共にいてくれたのだと思います。7月に アンドレさんと義さんのいる敦賀で初誓願式を行いました。敦賀教会のジョイ神父様、イエズス会のリバス神父様、カルメル会の新井神父様、名古屋教区の平田神父様、さいたま教区の吉川神父様、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。      

Aさん   フランス サンテティエンヌ出身。

 昔、戦争で敗れたフランスの若者たちがドイツで強制労働をさせられました。そこでそういう若者たちの世話をするためにフランス人のイエズス会の神父さんがドイツに行きました。おそらく彼が労働司祭のさきがけであったろうと思います。私は、彼の書いた本を読んで、本当に苦労して働いている人たちのことをもっと知りたくて、高校を卒業して、兄貴のいるチュニジアに行きました。18歳でした。2000ヘクタールもあるアーモンド畑で朝から晩まで働きました。しばらくしてから、私はエルアビオドにある兄弟会の本部に手紙を書きました。「見に行きたい。黙想したい。」と。それからそこを訪ねました。21歳でした。初めて兄弟の家を一週間訪れたときに、一目ぼれしてしまいました。とても素晴らしい雰囲気でした。私の求めていたものがすべてそこにありました。祈りたい、働きたい。ただそれだけでした。それからフランスで徴兵を二年間務めて、志願者として受け入れてもらいました。
  ある時、ヴォワイヨームさんが日本に行きたい人はいませんか、と皆に尋ねたのです。私は子供の頃、故郷サンテティエンヌの教会で指導してくださった神父様のことを思い出しました。彼はかつて日本の神学校の先生をしていました。ですから、私は彼からよく日本の話を聞いていました。子供ながらに日本人は繊細な心の持ち主であるという印象を抱いていたのです。私は、日本に行きたいと即座に手を上げました。私も繊細なところがありましたから。
  そして、1956年11月2日に日本に来ました。三ヶ月かけて横浜港にたった一人で到着しました。当時はまだ終戦後、お米も配給制でした。それから川崎で働きました。住まいは、ある家族との共同生活でした。一つの部屋を三つに分けて暮らしました。楽しかった。
  その後、1964年に義さんが日本に来ました。それからルドさんが来て、マサルさん、のぞみさん、ジャンさんが兄弟会に入りました。

Nさん   現在、大船渡へ出向中(201010月までの予定)

 19歳の春、復活祭に受洗。修道者としての召命を探していた時、友人が貸してくれた一冊の本、「シャルル・ド・フコーの霊的遍歴」 を通して兄弟シャールの生涯を知った事がきっかけとなり、小さい兄弟たちと一緒に生きるという幸運に恵まれ、現在に至っています。兄弟たちを通して、ナザレトのイエス様から頂いた数々の恵みは、言葉では語りつくすことは出来ません。
  現在は、健康上の理由で前橋市の「あかつきの村」(ベトナム難民の施設)のすぐそばの丸木小屋のような家でのんびりと暮らしています。労働はせず、兄弟シャールのメッセージを伝えるため、依頼された所(各地の教会、修道院、信徒のグループなど)に出掛けて行って話をする事が、今のところ、私に与えられた主な使命です。
  孤独のままで御聖体の内に生きておられる主イエスに支えられ、養われ、照らされ、そして導かれる祈りの生活。そこから湧き上がる友愛の道。「最も貧しく、見捨てられた人の友達になりなさい。」という兄弟シャールの呼びかけは祈りと友愛の道を歩くことによって少しずつ拡がっています。
  私があかつきの村のすぐそばで生活している理由は、孤独の内に味わう主イエスとの親密な交わりと同時に、心の病ゆえに友を持つことの難しいベトナムの人たちにほんのわずかでも友愛を示したいからなのです。私はベトナム語を喋ることもできませんし、彼らの世話をする人たちは別にいますから、私にできることは、彼らと一緒に食事をすることを通して彼らと「一緒にいること」、ただそれだけです。
  兄弟シャールの心を打った福音の言葉、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい人にしたことは、わたしにしたことである。」(マタイ25章)
  この御言葉に生かされ、この御言葉を活かせる日々でありますように!

Lさん   ドイツ出身。26聖人のルドビコ茨木の名をもらって、日本国籍を取得。

 「私はドイツで14歳の頃、ジルベール・セスブロンの『聖人地獄に行く』という小説を読んで感動しました。労働司祭の話で、もちろん今では小説だなと思うし、私にもどこか英雄的なあこがれがあったのでしょう。そんなとき『小さい兄弟たち』がスラム街にいると聞きました。そこに近い駅で降りて、駅員に聞くと、『そんなところに行くのはやめとけ』と言われるほどの街だったのです。街の中で小さい兄弟たちの住む家を見つけました。2部屋の狭い空間で1部屋が聖堂。もう1部屋が寝室でベッドが船室のようでした。兄弟たちはひとりが街の清掃、ひとりは下水の工事、もうひとりが工場で働いていました。私は週末彼らと過ごすようになりました。兄弟たちが本当の無名の貧しい人になっている姿を見て、神にささげた生活はこれだと思ったのです。
  イエスはもちろん教会の中にもいるけど、この貧しい人たちの中にもいると強く感じました。年齢よりも老けたように見える子供。暴力を受けた奥さん。酔っ払って傷だらけで寝ている男の中にも。その人たちこそ、特にイエス様に大切にされた人々なのです。そして、今もこの和歌山にもイエスはいます。」

帰天:Gさん   フランス アンジェ出身。2010610日 敦賀にて帰天。

義さんの写真 16か17歳の時、ルネ・ヴォアイヨームの本(『人人のあいだに 人人の中に』ドン・ボスコ社)を読んで、これじゃないかなと思った。その後、19歳で志願したけど、3ヶ月で逃げちゃった。厳しくて。朝も早くてね。それでもその後2年くらい徴兵に行ってから戻ってきたんだ。修練はスペインとフランスだった。その時の修練長は結婚しちゃったけどね。兄貴がベトナムで20年間神学校の先生をしていて、アジアに興味があったから、アジアに行こうと思ってた。アジアに行って自分の信仰を輝かす、つまり信仰で生きてみようと思ったんだ。ヴォアイオームさんに言われて日本に来たのは25歳の時だった。アンドレさんがいる川崎に来た。2年ほど日本語を勉強した後、国立(くにたち)で喫茶店のウェイターをやったり、車の工場で働いたりした。それからルドさんがいる敦賀に来た。兄弟げんかもよくしたよ。その時にいた志願者が驚いてたよ。ケンカしても3分すると二人はすぐ仲直りしちゃうんだから。それからフランスに少し帰った後、名古屋でちり紙交換を始めたんだ。ちり紙交換で出会う人たちはスピーカーから私の声を聞いて、「あっ、義だ。」って待っててくれたんだ。
 ある朝、なんだか目の前がボンヤリして見えたから仕事をやめて帰ろうとしたその矢先、突然脳梗塞で倒れてしまった。1997年4月23日だった。その日から1年間病院で過ごした。1ヶ月位全く全く動けなかった。ジャンさんが足の裏を鉛筆でギュっと刺して「まだ生きてる」って、そう言ってるのは分かるんだけど、何も反応できなかった。兄貴が来て話しかけられても応えられなかった。全て覚えてるんだけど、どうしてか感情が沸いてこないんだ。とても不思議な感じがしたよ。
(敦賀ではAさんと二人で暮らしていました。)

敦賀の小さい兄弟の家

敦賀の兄弟の家は30年の間、敦賀の皆様方に支えられ続けてきましたが、2010年の秋に兄弟が和歌山に引っ越し、その幕を静かに閉じさせていただきました。長い間、敦賀の皆さん、ありがとうございました。


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