日日雑記 April 2001

09 石神井書林の目録が届く、小沼丹読みはじめ
10 山口瞳の戸板康二追悼
11 文壇の「アンチ巨人」の系譜、久生十蘭の新刊文庫本
12 安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』が届く
13 聖金曜日の東京堂
14 歌舞伎界の「卯年」の系譜
15 戸板康二の、歌右衛門の『鷺娘』評
16 胸がしめつけられる、どうにも止まらない
17 かっこいい島田正吾、日本のシラノ、『舞台観察手引草』
18 『模倣犯』読了、「アンチ巨人」の研究
19 『目まいのする散歩』のこと
20 小沼丹の『清水町先生』を買う
23 明日はどっちだ戸板康二道
24 『俳句殺人事件』と『松風の記憶』
25 『グリーン車の子供』を読む、中村雅楽の年齢
27 『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』、殿山泰司読みはじめ、山田稔の翻訳
28 『バカな役者め!!』読了、上野の美術館とソバ屋
30 鎌倉帰り、未来展望

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4月9日月曜日/石神井書林の目録、小沼丹読みはじめ

前から坪内祐三の文章等々でその名前を聞いていた、石神井書林。
その目録を先週ついにオーダー、今日ポストに届いていた。
噂に違わず、んまあ、なんて素晴らしい目録なのでしょう。
まさしく、ページをめくる指を止めることができない。

戸板康二の本も何冊か載っている。

《雑踏のモダニズム/浅草・見世物他》の項に、

・『舞台の誘惑』河出新書[*] 、2000円
・『演劇の魅力』河出新書[*] 、2000円
・『劇場の青春』河出新書[*] 、2000円
・『演芸画報・人物誌』[*] 、5000円
・『午後六時十五分』[*] 特装50部、毛筆句入、5000円
・『回想の戦中戦後』[*] 、4000円
・『女優の愛と死(松井須磨子の一生)』、3000円

という感じに、戸板康二の名前を見つけることができる。
どの本も市場価格よりずいぶん高いけれども
(たとえば河出新書は3冊とも奥村書店で500円で買った)、
《雑踏のモダニズム/浅草・見世物他》の他の多くの書物の間に
戸板康二が並んでいる、その並び具合がとてもいい感じなのだ。

石神井書林の目録を目にする直前は、
電車のなかで、買ったばかりの、
小沼丹著『小さな手袋』(講談社文芸文庫)を読む。
あまりの素晴らしさに目がうるうるしてくる、至福の時間。




  

4月10日火曜日/山口瞳の戸板康二追悼

戸板康二を愛読するようになってからずっと気になっていたのが、
山口瞳による戸板康二追悼文って、どの本に載っているのかということ。
家にある何冊かの山口瞳の本で様々な素晴らしき追悼文を目にするにつけ、
もともと追悼文マニアのわたくしとしては、
ぜひとも山口瞳による戸板追悼を! と思うのは当然のなりゆきだったのだ。

と思いつつ、そのまま日々が過ぎていたのだけれども、
先日、金子さんのページで知ったところによると、
男性自身シリーズ『年金老人奮戦日記』(新潮社、1994年)に所収とのことなのだ!

山口瞳による戸板追悼が読めるなんて、こんなに嬉しいことはないッ、
という感じで、よろこびいさんで図書館に行ったのだったがあえなく貸出中、
のでいそいそと予約、昨日入荷の連絡をいただき、よろこびいさんで今日図書館に寄り道した。

というわけで、本を手にし、さっそく平成5年1月のあたりを繰ってみると、
まず1月23日の項で、戸板康二に関する記述を見ることができた。
読んでいるうちに感激のあまり、目がうるうるしてしまう……。

少しだけ抜き書きすると、

《戸板先生は癇癪持ちだった。僕も何回か叱られた。
『細雪』の芝居で、主役の映画女優の関西弁がめちゃくちゃで
「あれはひどいですねえ」と言ったら、
「そんなことはありません」と言下に強い調子で否定された。
それから数年間、僕は戸板先生は芝居が好きなのではなくて
女優が好きなんだと思うようになった。
手紙で僕の文章の誤りを指摘されることもあった。
叮嚀で綺麗な字だが、仮借なくやっつけられる。
ところが、次にパーティー会場なんかでお目にかかると、
先生の方が妙に小さくなっていて詫びたりするので、
こっちは恐縮してしまう。》

いいなあ……。戸板さんの人となりがよく伝わってくる名文章。
様々なひとの文章で垣間見たところによると、
戸板康二は結構な早口で、結構気が短かったという。
典型的な江戸っ子なのだ。
と思うと、あとになって「妙に小さくなって」いるあたりに
戸板さんの人柄がにじみ出ていて、とても微笑ましい。

次の段落は、《主演男優賞とか助演女優賞なんてものがあるが
チョイ役賞というのがないのが残念だと話しあったことがある》
という書き出しになっていて、「チョイ役賞」に一例に、
黒澤明の『野良犬』の信欣三の新聞記者が挙がっていた。
うーん、『野良犬』2回観たけど、不覚にも覚えがない。
今度、気をつけて見てみよう。
そうそう、たしかにふだん映画を観るときは、
いつも無意識のうちに今日の「チョイ役賞」を探していなあ
ということに気付かされた。

あとの日には、『行きつけの店』の「鉢巻岡田」の章にも載っている
「ちょっといい話」的な場面が懐かしそうな筆致で書かれてあった。
葬儀のあった日は2月だというのに20度という陽気だったとのこと。

『年金老人奮戦日記』、他の男性自身と同じように、
一度ページをめくると、時間を忘れて読みふけってしまう。
わたしも昔、女学生の頃、国立に住んでいたことがあって、
増田書店とか洋菓子の伊藤屋にロージナ茶房、紀ノ国屋といった
固有名詞がとても懐かしかったりした。
増田書店の頃は、萩原朔太郎とか小林秀雄とか坂口安吾、石川淳、
大江健三郎をよく読んでいた。クリスマスは毎年伊藤屋でケーキを買ったなあ。

あと、山崎隆夫の追悼文があって、その名前は初めて知った。
サンアドの社長で、洋画家。山崎隆夫は元サントリーの宣伝部長で、
サントリーホールには、ロビーも控え室も山崎隆夫の絵が使われているのだそうだ。
どの絵もテーマは音楽だそうで、うーむ、サントリーホールには
今まで何度も行っているのに、不覚にも覚えがない。(←こればっかし)
今度、サントリーホールに行くのは、来月のポリーニのリサイタル。
そのときに気をつけて見てみようと思う。




  

4月11日水曜日/文壇の「アンチ巨人」の系譜、久生十蘭の新刊文庫本

今日は一日中眠かった。昨夜つい夜更かしして、
山口瞳の『年金老人奮戦日記』を読み通してしまったからだ。

「宝石」の昭和37年11月号の「ある作家の周囲」は戸板康二だ。
推理小説第一作の『車引殺人事件』から
当時の最新作『ラストシーン』までの自作解説とともに
戸板さんの生活や人となりを紹介する見開き7ページの特集と、
小村寿による戸板康二論という構成の、充実した特集記事となっていて、
ファン大喜びの「戸板康二の周囲」特集である。

特に見開き7ページの特集が実に楽しくて、つい何度も見てしまうのだが、
そのなかの一項目に「テレビとネット裏」というのがあり、

《テレビを買ってから大のプロ野球ファンとなった戸板さんは、
アンチ巨人の有力なメンバーの一人。
ジャイアンツと戦っているチームは、どこであろうと応援するそうである》

という一節があった。戸板さんはアンチ巨人なのだ。

……と思っていたら、『年金老人奮戦日記』によると、
どうやら山口瞳もアンチ巨人のようだ。
記憶によると、小林信彦もアンチ巨人だ。

うーむ、ここまで好きな書き手にアンチ巨人が揃うとなると、
わたしの心は一気に、文壇のアンチ巨人の系譜、
もしくは東京生まれのアンチ巨人の系譜へと向かっていく。
徐々に研究を重ねていこうと思う。(ウソ)



帰り道の本屋さんで、ちくま文庫の新刊の、
『怪奇探偵小説傑作選3 久生十蘭』を買った。
発売日がとても待ち遠しかった。
久生十蘭の新刊文庫本だなんて、
こんなに嬉しいことはないッ、という感じなのだ。

久生十蘭の短篇を収めた文庫本は、
大きい本屋さんにかろうじて教養文庫が売っているだけなので、
今回のちくま文庫の登場は非常によろこばしい。
パッと目次を見てみると、全て既読の短篇ばかりなのだけど、
どれも傑作ぞろい、初めて読んだときの「ゾクゾク」を思い出して、
胸が熱くなる。好きな映画を何回も見直すのと同じように、
これから先、何度も読み返していくことだろう。

先の「宝石」の「戸板康二の生活」に、
戸板さんの好きな作家のひとりとして久生十蘭の名前が挙がっている。

『五月のリサイタル』[*] 所収の「廬生の夢」という文章に、能の『邯鄲』に、
久生十蘭の短篇『予言』を類推しているくだりがあって、
この文章を目にしたのは、ちょうどわたしが久生十蘭を読み始めた頃だった。(←去年の秋)

『予言』の、思いっきりネタばれな文章だという気もしたのだけど、
どうしてどうして、ストーリーを知っていても
初めて『予言』を読んだときの驚きと言ったら! 
ラスト一行を目にしたときの、「ストーン」と体が
ふわっと落ちていくような感覚、あの感覚は今でも鮮明だ。

ところで、戸板さんの好きなお能は『山姥』『隅田川』『卒都婆小町』、
そして『邯鄲』なのだそうだ。
『劇場の椅子』[*] に「僕の『邯鄲』」という美しい文章がある。
能楽堂には一度も行ったことがないのだけど、わたしもいつの日か『邯鄲』を見たい。




  

4月12日木曜日/安藤鶴夫の『わが落語鑑賞』が届く

家に帰ると、bk1 から、安藤鶴夫著『わが落語鑑賞』(ちくま文庫、1993年)が届いていた。
北斎漫画をあしらった装幀がとてもいい感じで、しばし眺める。
注文してから届くのに時間がかかったのをみると、
現在品薄なのかしら、無事届いてよかったよかった。

この本は、小林信彦の『〈超〉読書法』(文藝春秋→文春文庫)を読み返しているとき、
「安藤鶴夫と植草甚一」という文章を見て、急激にそそられしまい即オーダーした書籍なのだ。

《ひとことでいえば、それまで卑俗なものと考えられていた落語を
文学にしたのが「落語鑑賞」一巻である。
その背景には、戦争を経て、まともな落語が消えかけていたという危機がある。
〈面白ければよい〉という笑いに対して、桂文楽の「明鳥」や「船徳」を読者に提示し、
まともな落語をやる場所(ホールなど)を提供するのを主導した。
いってみれば、正統派落語の指導者であった。
なんといおうと、安藤さんの功績はそこにあった。
そして、その運動を支えるだけの演者(文楽、志ん生、三木助ほか)がいたこともある。
昭和三十年代に正統派(〈古典落語〉ともいった)の黄金時代がきたのは当然である。》

ちくま文庫の『わが落語鑑賞』は、「落語鑑賞」と「名作聞書」の上下巻から
抜粋して再編集した改訂版とのこと。
「落語鑑賞」は、大佛次郎が中心の雑誌「苦楽」に連載されていたのだそうだ。
「苦楽」というと、鏑木清方の絵を使った表紙をまっさきに思い出す。
当時の出版界の時代背景に思いをはせ、ちょっとうっとりしてしまう。

安藤鶴夫の名前を初めて知ったのは、『あの人この人』[*] がきっかけだった。
『あの人この人』に関しては、戸板さんの文章の素晴らしさのおかげで、
どの人物にも興味を抱いてしまい、結果として、
本読みの楽しみが芋づる式に広がっていくこととなる。
人物への興味が、先の小林信彦の文章がきっかけで、さらに増強される、
そのプロセスがとても嬉しかった。

落語とかお能は実際にはほとんど触れたことがなくて、まだ本を読んで
憧れている段階なのだけど、さてこれから先どうなることやら。




  

4月13日金曜日/聖金曜日の東京堂

聖金曜日、東京オペラシティへ、
バッハ・コレギウム・ジャパンの《受難節コンサート》を聴きに行った。

少しだけ時間があったので、都営新宿線への乗換ついでに
神保町に途中下車。東京堂だけをさらっと見る。

買い逃していた坪内祐三の新刊がサイン入りで売っていたので
「おっ、これはよい機会」と購入することに決めて、
それと、金子さんの掲示板で知ったところによると、
森まゆみさんの『長生きも芸のうち』(ちくま文庫)に
ちょろっと戸板康二が登場するとのこと、
昨今の音曲への関心と宗十郎さんの『蘭蝶』を見逃してしまったこととかで
前々から気になっていた書物、「おっ、これはよい機会」と購入を決意。

とかなんとか2冊の書籍をたずさえて、オペラシティに向かった。




  

4月14日土曜日/歌舞伎界の「卯年」の系譜

歌舞伎座の昼の部を見物。詳しい感想は後日まとめるとして(って、いつ?)、
『石橋』開幕前の中村大初舞台の幕を見て胸がジンとなってしまった。
家紋とともにウサギの絵があしらってあるのが目にとまる。
1999年生まれの大ちゃんは卯年なのだ。

思えば、戸板康二も卯年で、ウサギグッズのコレクションをしていたとか、
お葬式の日の青山斎場にウサギがスーッと通り過ぎたのを見た人がいるとか、
ウサギと戸板康二は密接な関係にある。

ここで、わたしの関心は一気に、歌舞伎界における「卯年」の系譜へと向かう。
徐々に研究を重ねていこうと思う。(というのは、もちろんウソ)

『頼朝の死』で新歌舞伎について考え、『石橋』で祭祀的気分を満喫し、
『幡随長兵衛』で黙阿弥のパリッとした世話物世界を堪能、
とりわけ、『幡随長兵衛』が気持ちよくて気持ちよくて。
あとやっぱり、大ちゃんがかわいくてかわいくて。

芝居見物終了後、そのまま都営浅草線に直行して、待ち合わせて浅草に行った。
これは一ヶ月くらい前からの計画で、
「散る花にも風情があるなア」とつぶやく計画だったのだけど、
しかし、葉桜の風景というのも、
宴のあとという感じで、なかなかよろしゅうございました。




  

4月15日日曜日/戸板康二の、歌右衛門の『鷺娘』評

歌舞伎週末と化している昨日、今日。
二日目の本日は夜の部を見物。3演目とも大充実。
とりわけ、『お江戸みやげ』における芝翫と富十郎コンビが御馳走で、
文字どおりの本日のよいおみやげになった。

昼夜共に吉右衛門がすばらしく、
中村大初舞台と『お江戸みやげ』における富十郎と芝翫、
それに福助も素敵だ。本当に役者が揃っていて、
一月たりとも歌舞伎座から目が離せない。

ところで今日、福助の『鷺娘』を観ていて思ったのは、
最後の「責め」における形相が歌右衛門にそっくりだなあということ。

去年10月に、早稲田の演劇博物館で、
《五代目歌右衛門展》の関連講座において、
芝翫さんのお話を聴く時間があって、
そのとき芝翫さん少年時代の映像を収めたフィルムを観ることができた。

芝翫さんのお父さん、すなわち歌右衛門のお兄さんの
早世した五代目福助が主に撮影したものとのことで、
当の五代目福助の姿もちょろっと映って、そのときに芝翫さんが
「手前どもの福助によく似ておりまして……」と
おっしゃっていたのがとても印象的だった。

新之助が十一代目團十郎にそっくりだとよく言われているけれども、
成駒屋においても隔世遺伝が見受けられるようだ。
(そういえば、今月号の「東京人」の関容子さんの文章で、
福助が自分の祖父のことに深い関心を持っているというくだりがあった)。

なので、福助が、お祖父さんの弟である歌右衛門に似ているのは当然なのだ。

……というようなことを思いつつ、家路について、
部屋で渡辺保の本をめくってみると、歌右衛門の『鷺娘』が忘れられないと
昭和25年8月の東京劇場の思い出を記したくだりがあった。(『歌舞伎手帖』より)

そういう文章を見てしまうと、当然、
戸板さんの劇評がどんな感じなのか非常に気になってしまう。

というわけで、本棚から、当時の劇評集である『今日の歌舞伎』[*] を取り出した。
当の昭和25年8月のページを繰ってみた。

が、《芝翫は初花のあと「鷺娘」でもう一度髪をさばくのはつきすぎる感じだ。
このおどりを新舞踊風の装置・照明にしたのは賛成出来ない。》
と、ずいぶんあっさりしたものだった。ちょっと残念。
まあこれも一興。




  

4月16日月曜日/胸がしめつけられる、どうにも止まらない

古本屋での再会の日を夢見つつ、図書館へ
山口瞳の男性自身シリーズ『年金老人奮戦日記』を返却。

入れ替わりに、同じく男性自身シリーズの『巨人ファン善人説』を予約。
他館に所蔵されているそうで、一両日中には届くとのこと。
先週、にわかに「アンチ巨人」研究を志したわたくし、
この本の存在は、またもや金子さんの掲示板で知ったのだった。
ここで、わたしの「アンチ巨人」研究は新たな展開を迎えることとなろう、か?

『年金老人奮戦日記』のなかの、
武田百合子さん追悼の文章がひどく心に残っていて、
昨日の真夜中に、ひさびざに『富士日記』をペラペラと読みかえし、
ある箇所で、大泣きしてしまった。

山口瞳の百合子さん追悼は、ごく短い文章なのだけど、
百合子さんのことを鮮やかにとらえた素敵な文章だった。
本が手元にないので、ここに引けないのが、残念。
それにしても、胸がしめつけられる。

ところで、友だちから借りたばかりの、
宮部みゆきの新刊『模倣犯』を読み始めたのだが、
いやあ、もうどうにも止まらない。
なんだか麻薬のようだ。
ああ、もう一刻も早く読み通してしまいたいッ。

その一方で、読み終わってしまう時が来ると思うと
残念という気持ちもある。
そんな相克の中で『模倣犯』にかかりきりなのだが、
それにしても、すごい。




  

4月17日火曜日/かっこいい島田正吾、日本のシラノ、『舞台観察手引草』

日暮れ時、早稲田大学演劇博物館へ行った。
沿道の八重桜がハラハラと散っていて、とても美しい。

今日の目的は《島田正吾と新国劇展》の見学。
一室のみの小さな展覧会なのだけど、たくさんの舞台写真が展示してあって、
往年の新国劇の舞台のことをあれこれ想像して楽しむ。
あと、島田正吾はかなり絵が上手で、
娘さんにプレゼントした手作りのカルタや
北條秀司宛の絵手紙がとても素敵で、役者の余技以上の素晴らしさ。
いいものを見させてもらったなあと、とてもよい気分になった。

わたしが島田正吾の舞台を初めて観たのは、
ちょうど歌舞伎を本格的に観るようになった頃の、
1998年夏の勘九郎主役の『荒川の佐吉』の舞台だった。
親分役の島田正吾はとにかくものすごくかっこよかった。

ところで、戸板康二の『百人の舞台俳優』[*] という本がある。
見開き1ページに一人ずつ、吉田千秋の白黒写真とともに
戸板さんの短めの文章が載っている本なのだが、
この本で特に印象的なのが、島田正吾。とにかくかっこいい。

わたしは90歳を過ぎてからの島田正吾しか知らないのだけれども、
今でもとてもかっこいい舞台姿だが、そのかっこよさは昔からだったのだなあと
いろいろ想像が広がってワクワクする。

そういう想像が広がるのは、写真をパッと見ての印象ももちろんだけど、
やはり戸板さんの文章に刺激されてのこと。

曰く、《素顔の島田は、さりげなく見せてはいるが、
たいへんなお洒落とにらんでいる。渋いスタイリストである。
小次郎の扮装にも、あのとりすましたポーズにも、
そんな島田の反映があるように思われる》。

島田正吾に関する記述というと、
『わが人物手帖』[*] に載っていた文章が
とても印象的だった。その冒頭をここで抜き書き。

《銀座の並木通りを横切ろうとしていた。
角に甘栗屋が出ていて、秋だった。
向うから鳥打を冠りレーンコートの襟を立てた人が来て、
ぼくとぶつかりそうになり、二人で同じ方に除けようとして、
また顔を合わせた。相手の目がキラッと光った。
次の瞬間、「失敬」とその人はいって、
身体を斜めにして、すれちがって行った。
「失敬」と言った途端に、それが島田正吾だというのを知ったのだが、
ぼくは声をかけるのをやめて、そのまま歩いて行った。
「失敬」という前に、目がキラッと光った時に、
あるいは、島田だとわかったような気もしている。
俳優の華やかな雰囲気がなく、孤独な感じを、彼はその時もっていた。
月末の、芝居が終った頃だったと思う。
ぼくは島田という人には、「冬の紳士」という印象を、
舞台から、しばしば受けている。……》

秋の日の少し冷える銀座の街角の風景が頭の中に広がる。
さりげないけれども、そのさりげなさのなかだからいっそうのこと、
目の前の情景がパッと鮮やかに頭に浮かんでくる名文章だと思う。

そのあと明治座近くの喫茶店で、
「端然とすわっている」島田正吾に遭遇したくだりがある。
《新国劇の人は、日頃の嗜みからか、概して姿勢がいいが、
島田が朝の喫茶店にいる姿は、およそ崩れのない、悠々とした風貌を見せている。
試合の開始を待っている剣士のようであった》とのこと。

わたしが本格的に歌舞伎を観るようになった頃の1998年の夏の、
歌舞伎座の『荒川の佐吉』で観たかっこいい島田正吾。
その印象はいまでもとても鮮やかで、去年の5月、新橋演舞場の一人芝居、
同じく『荒川の佐吉』を観たときも見とれっぱなしだった。
ピシッとまっすぐな背筋は、90歳を過ぎた今でも健在である。

わたしの知らない若い頃の中年の島田正吾も、
戸板康二の文章によって、クールビューティーならぬ
クールダンディな姿として鮮烈にわたしの胸に焼き付いているのだ。



あと、展示品の『白野弁十郎』の衣装を目にして思い出したのが、
またもや戸板さんの文章で、『ロビーの対話』[*]
「日本のシラノ」という文章。

『白野弁十郎』は、エドモンド・ロスタンの
『シラノ・ド・ベルジュラック』の翻案台本で、
戸板さんは『シラノ・ド・ベルジュラック』という戯曲がとても好きなようで、
随所でその名を目にする。たとえば、『助六』に関する文章でも、
《助六の啖呵は、フランスはロスタンの名作「シラノ」における、
かの鼻の大きな主人公の皮肉と詩精神、
情熱と虚無とをみごとに盛りあわせた毒舌を連想させる。
花川戸助六とシラノ・ド・ベルジュラックとは、東西のあくたいの双璧である。》
と記していたりする。(『歌舞伎ダイジェスト』[*] より)

「日本のシラノ」は、日本におけるシラノの数々の書き替えについて
綴った文章で、わたしが特に気になったのが、
《久生十蘭の捕物帳の顎十郎は、鼻のかわりに顎の長い探偵の謎ときで、
顎十郎は弁十郎から来ているのだと思う。》という一節。

久生十蘭の捕物帳、まだ読まずに
これからのお楽しみにとってあるのだけど、
こういう文章を目にすると、非常に非常にそそられる。
戸板さんは久生十蘭をかなり愛読しているようで、
好きな作家が好きな作家について書いている、そのつながりがとても嬉しい。



日没後、古本屋街を特に目的もなく、サラッと棚を眺めつつ通り過ぎた。

今日は大収穫があった。

杉贋阿弥の『舞台観察手引草』(演劇出版社)という本。
この本は大正時代の「演芸画報」の連載をまとめたもので、
この本の名著ぶりは『夜ふけのカルタ』[*] に詳しい。
比較的良心的な価格設定の奥村書店でわりと高価な値段がついていた(と記憶する)
この書物が、とっても安かったので、思わず購入。
そういうわけで、よい機会なので、丸本歌舞伎の研究をしようと思う。




  

4月18日水曜日/『模倣犯』読了、「アンチ巨人」の研究

昨日も夜更かしして読み続けてしまい、
行きの電車のなかで、宮部みゆき『模倣犯』読了。

特に長篇ミステリを読むときは、読み終わりのタイミングが重要だ。
帰り道の喫茶店で濃い珈琲を飲みながら
じっくりと結末を追う、という展開が理想のパターンで、
そうなるように、いつも読書配分に気をつけている。

しかし、今回ばかりは抑制心が完全に吹っ飛んでしまった。
まさしく麻薬のように吸いよせられて、一刻も早く
『模倣犯』全体の世界を見通してしまいたいという感じだった。
なので、行きの電車のなかで読了なんていう、
最悪のパターンになってしまった。

宮部みゆきの才能ぶりはいつもながら、すごいものだ。

上下全1400ページの『模倣犯』は三部構成で、
第1部から第2部にうつるとき、第3部に入るときに、
軸がパッと転換する、その見事なプロット。
加害者側とその家族たち、被害者側とその家族たち、
刑事、マスコミ、単なる通行人、そしてメディアを通して事件を見る人々、
そのそれぞれの立場が鮮やかに描き出され、
それぞれの立場の交錯ぐあい、そしてディテールの人物造型がすばらしい。

……とかなんとか、どうもしらじらしい文章になってしまうけれども、
『模倣犯』を読んで本当によかった。

特に感激したのが、有馬義男の人物造型。
有馬義男に出会えてよかった、だなんて、
フィクションなのに本気で思ってしまう。

ネタばれになってしまうといけないけれども、
冒頭の少年が物語の進行とともに変化していく、
なにかから解放されていく、そのプロセスもとてもよかった。



というわけで、帰りの電車のなかで
読む本がなくなってしまったのだったが、
ちょうど図書館に、山口瞳の男性自身シリーズの
『巨人ファン善人説』が届いていたので、大丈夫だった。

まっさきに「巨人ファン善人説」のページを開いたのだが、

《私は、特に、巨人ビイキの老人が好きだ。
頑固一徹の老人が、実は涙ぐましいまでの
巨人ファンであることを知ったりすると嬉しくなってしまう。
こういう人は、テレビの番組でいうと、
「水戸黄門」や「銭形平次」のファンなのである。》

という一節に大笑い。

さて、アンチ巨人の戸板さんは、『女優のいる食卓』[*] 所収の、
「玉子焼」という文章で、「巨人大鵬玉子焼」という言葉に関して、

《ところで、さっきの言葉について、最近ぼくにひとつの発見がある。
あるハイキングで、弁当が配られて、みんなが一せいに食べはじめた。
見るともなしに見ていると、そこらへんにいた大人が全部、
まず玉子焼から箸をつけているのである。
じつは、ぼくも、そのひとりであった。
「巨人大鵬玉子焼」とは、とりあえず箸をつけてみる、
ということではないか。ぼくの新説である。》

というふうに結んでいる。

わたし自身が野球に疎いため、
「アンチ巨人」の研究はどうしても頓挫してしまうのだけど、
とりあえず、「アンチ巨人」問題は深い問題である、
ということはよくわかった、ような気がする。




  

4月19日木曜日/『目まいのする散歩』のこと

このところ、プレトニョフのカーネギーホールリサイタルのディスクに夢中だ。
今日も朝の身支度の時間は、ブゾーニ編曲のバッハのシャコンヌ。

今日は行き帰りとも、武田泰淳の『目まいのする散歩』(中公文庫)を読んだ。

4年くらい前に一度読んだきりなのだが、武田泰淳の文章はもちろんのこと、
後藤明生の解説も素敵で、本全体が大のお気に入り。
当時この本を買った目的は言うまでもなく奥さんの百合子さんことがきっかけで、
『目まいのする散歩』は、主人公は百合子さん? というくらい、
百合子さんの姿がいつまでも心に残る書物だった。
それは、この本の口述筆記を担当したのが百合子さんだったから、というだけではなさそうだ。

で、今日、4年ぶりに『目まいのする散歩』を手にしたのは、
昨日図書館で借りた『巨人ファン善人説』で読んだ、
山口瞳による武田泰淳追悼の文章に刺激されてのこと。

戸板康二追悼文目当てで借りた『年金老人奮戦日記』に
百合子さんの追悼が載っていて、
戸板康二がきっかけで無責任にアンチ巨人に興味を持って、
そのタイトルに惹かれて借りた『巨人ファン善人説』には
泰淳の追悼が載っているという、
この一連のつながりには、どうしても運命的なものを感じてしまう。

山口瞳による武田泰淳追悼の文章は、
『目まいのする散歩』のことをこれ以上ないくらい適確に語ってくれていた。

《武田さんの『目まいのする散歩』(中央公論社刊)を読んだとき、
私は、信頼する三人の編集者に同じことを言った。
「これはいけないよ」
「………?」
「これは武田さんの小説ではないし、武田さんの文学でもないよ」
「どうして」
「武田さんの小説はロマネスクなんだよ、本来、こういうものを書いちゃいけない。
もっとも口述筆記らしいけど」
『目まいのする散歩』は、文芸雑誌の合評欄でも書評でも、すこぶる評判がよかった。
「これは、武田さんの小説ではありませんよ。
これはね、武田さんの、奥さんに対する別れの挨拶なんだ。
長い間ご苦労、実は、俺はお前をこんな深く愛していたんだ……。
それを口に出しては言えないので、書いてしまったんだ。
男がこれを書いちゃいけない。これを書くのは最後の時なんだ。武田さんは死ぬよ」
山本周五郎の晩年にも似たようなことがあった。》

《十月六日。『目まいのする散歩』について感想を述べた三人の編集者のうち、
二人から電話が掛かってきた。
「予言が当りましたね」
「だからさ、予言っていうもんじゃないんだよ。
武田泰淳がおのろけを言ったら、それでオシマイなんだ。
告白をする作家じゃないはずなんだ。
武田さんの小説は百合子さんがモデルだろう。『風媒花』にしてもさ……。
だから、あの小説は、奥さんに、有難うって言ってるんだよ。
これは予言ではなくて私の批評なんだ。》

このあと、《終戦直後というべき時代に、百合子夫人は神田の『ランボオ』という
喫茶店に勤めておられて、私は何回か見かけている。いろいろな思い出があるが、
武田さんとは関係のないことである。》という文章がある。
百合子さん追悼の文章には、そのときのことが少し書いてあった。
大輪の花のように美しかった百合子さん。

……とかなんとか、ここ数日、山口瞳の男性自身がきっかけで、
立続けにかねてからの愛読書を読み返して、そして立続けに胸がしめつけられてしまった。




  

4月20日金曜日/小沼丹の『清水町先生』を買う

このところ、さるセロ弾きの学者さんのページを読みふけっていて、
その文章の一節がきっかけで、昨夜、寝る間際にイヤホンで、
ベートーヴェンの弦楽四重奏、《ラズモフスキー第1番》を聴いた。
この曲って、こんなにいい曲だったかしら、とびっくり。
すっかりよい気分になり、うつらうつらと聴いていた。

ベッドの脇には、小沼丹の『小さな手袋』(講談社文芸文庫)が置きっぱなし。
先週買って、少しずつ大事に読んでいくつもりが、結局一気に読んでしまった。

その『小さな手袋』を《ラズモフスキー》を聴きながら、ペラペラとめくる。
弦の音をバックに読む、小沼丹の文章、さらによい気分。
とりわけ、第二楽章のスタッカートを耳にしながら、
小沼丹の文章を追っていく瞬間の、至福と言ったら!

……というわけで、一夜あけても、小沼丹の余韻は消えず、
こうしてはいられないと、夕方、東京堂に寄った。

講談社文芸文庫とどっちにしようかしばし迷ったけれども、
解説が庄野潤三なので、わたしの、小沼丹2冊めは、
『清水町先生』(ちくま文庫)に決定。

今日は、ミラン・クンデラの『無知』を読んだ。




  

4月23日月曜日/明日はどっちだ戸板康二道

先日、戸板康二著書一覧コーナー に>> click
わたしの部屋の書棚にある本の、書誌データをこっそり付け加えた。
軽い思いつきで作り始めたものの、やり始めると結構時間がかかり、
その一方で、こういう作業がわりかし好きな方で、思いっきりハマってしまったりで、
「果たして意味はあるのかッ!」という問題提起を意識的に避けつつ、
苦節数カ月、ようやく日の目を見ることとなったのだ。

この書誌データのよいところは、
表紙の画像とともにその書籍の目次が掲載されていること。
それだけでも、どんな本なのか、
かなり具体的にイメージできると思う。(ということにしておく)

そういうわけで、書誌データ完成記念と称して、
わが戸板康二道をここで少し振り返ってみよう。

なによりも、わたしの中で大きな位置を占めているのが、暮しの手帖関連の4冊。

● 『歌舞伎への招待』(衣裳研究所、昭和25年)[*]
● 『続・歌舞伎への招待』(暮しの手帖社、昭和26年)[*]
● 『歌舞伎ダイジェスト』(暮しの手帖社、昭和29年)[*]
● 『卓上舞臺』(村山書店、昭和33年)[*]

『歌舞伎への招待』の正続は花森安治の依頼で書き下ろされたもので、
『歌舞伎ダイジェスト』と『卓上舞台』は、暮しの手帖の
創刊号から30回にわたる連載をまとめたもの。
『歌舞伎への招待』というタイトルを今のわたしが聞いても、
べつだん普通のタイトルだなあと思ってしまうけれども、
当時としてはかなり洒落たタイトルだったそうだ。
花森安治がウェーバーの《舞踏への勧誘》をモジって、付けたのだそうだ。
そう思うと、『歌舞伎ダイジェスト』というタイトルもかなり新感覚のような気がする。
それから『卓上舞台』というのも素敵。
暮しの手帖社から出版された3冊はすべて花森安治の装幀。
本全体がなんともいえない香気を放っていて、
何度読んでも、とうか、読めば読むほど深みが増す、一生の宝物の本である。

花森安治の装幀と言うと、あと2冊。

● 『歌舞伎ダイジェスト』【新書版】(暮しの手帖社、昭和40年)[*]
● 『歌舞伎十八番』(中央公論社、昭和30年)[*]

『歌舞伎ダイジェスト』は、上記の『歌舞伎ダイジェスト』と
『卓上舞台』に載っている全30演目を、
18本ピックアップして再編集した、新書判の本。
表紙は藍色の小袖、裏表紙は赤色の帯、背表紙はピンク色という感じで、
手にとってみると、とてもかわいらしい書物である。
ここで18本選んだのは、戸板さんなりの
「歌舞伎十八番」という意味合いを込めてのことだそうだ。

そして、『歌舞伎十八番』、これは浅草のきずな書房で300円で買ったのだけど、
献呈署名入りという、嬉しいおまけが付いていた1冊だ。
そして、買った当時は気付かなかったのだけれども、献呈先の人物は、
戸板さんのエッセイの随所に登場するおなじみの人で、戸板さんの先輩。
年下の戸板さんと同年代の友人のように交流していたとのこと。
もちろん戸板さんよりもずっと前に亡くなっているのだけども、
巡り巡って、わたしの書棚に来ることとなった『歌舞伎十八番』、
花森安治装幀の戸板本にはこういう幸福がよく似合う。

装幀と言う観点からみると、目を引くのが、
戸板さんの暁星時代の幼馴染み、串田孫一による本。

● 『俳優論』(冬至書林、昭和17年)[*]
● 『劇場の椅子』(創元社、昭和27年)[*]
● 『劇場の青春』(河出新書、昭和30年)[*]

『俳優論』はデビュウ本。串田孫一の尽力で出版にこぎつけた、戸板康二唯一の戦前の著書。
スキャナではよく映らないのだけども、なかなか洒落たデザインである。
総じて、串田孫一は格子デザインがお好きなようだ。

『劇場の椅子』は、かの渡辺保が、戸板康二の書物の中での
一番のお気に入りとして挙げている。
なかでも、「ある感慨」という一遍が忘れられない、とのこと。

終戦の年の東京劇場の『阿古屋琴責』の舞台、
一ヶ月後に雇い人に惨殺されることとなる十二代目仁左衛門、
七代目宗十郎の「歌舞伎の入り日の最後の残照」の表情、
そして、暖房のない底冷えする劇場の椅子、
それから、終戦後の不便な生活を強いられつつもすべてを受け入れる、
一人の江戸っ子、K老人の、明治の東京人の最後の残照とも言うべき美しき姿。
全体が一遍の詩のような、美しい美しい文章である。

『劇場の椅子』を買ったのは、去年の5月の連休の自由が丘だった。

それからほどなくして、

● 『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫、平成8年)[*]

という本に出会った。
そして、「ある感慨」のK老人のことを初めて知った。

その人の名は、川尻清潭。

荷風の『断腸亭日乗』にも何度も登場する人物だそうで、
荷風に『墨東綺譚』の映画化もしくは舞台化を勧めて、
それを荷風が固執するというくだりが特に有名である。

大のお気に入りで、何度読み返したかしれない『あの人この人』のなかでも、
わたしが一番好きな文章が、「川尻清潭のナイトキャップ」という文章。
とにかく、わたしは川尻清潭という人物が大好きになった。

川尻清潭については、後日詳しく書きたいと思っているのだけれども、
川尻清潭を大好きなってしまうと、自然と興味は、
明治から昭和初期まで刊行されていた演劇雑誌、「演芸画報」へと向かっていく。
演芸画報にまつわるあれこれが気になって気になって仕方がないッ、
なーんて思っていると、戸板さんが、

● 『演芸画報人物誌』(青蛙房、昭和45年)[*]

という本を書いてくれているのだから、もうたまらない。

この『演芸画報人物誌』についていずれもっと詳しいことを書こうと思っている。
いつになるかわからないけれども……。
わたしにとっては、『演芸画報人物誌』には非常に思い入れがあるのだ。

ところで、「演芸画報」絡みで、このところ、
しみじみ饗庭篁村に興味を抱いているのだけれども、
現在目下刊行中の筑摩書房の「明治の文学」のなかの一巻に
饗庭篁村が登場するそうで、しかも編集は坪内祐三だそうで、
なんとまあ、発売が今から待ち遠しい。

……とかなんとか、思い入れたっぷりの本はまだまだあるのだけど、
今日のところは、このへんで。




  

4月24日火曜日/『俳句殺人事件』と『松風の記憶』

週末、小旅行に出かけた。その折、駅の売店で、
齋藤愼爾の編集による短篇ミステリのアンソロジー
『俳句殺人事件』(光文社文庫)を買った。
駅の売店で本を買うのは生れて初めて。

この本の存在を知ったのは、またもや金子さんの掲示板がきっかけで、
この本には戸板康二の中村雅楽シリーズの単行本未収の一篇が
収録されているそうなのだ。「えー! なんですってー!」と
すぐに買いに行こうと思っていたのだけど、
そのままになっていたのが、思いがけなく駅の売店で遭遇。
そんなこんなで、思わず買ってしまった次第であった。

で、昨日パラパラとめくり、まっさきに戸板康二の『句会の短冊』を読んだ。
それから、松本清張と中井英夫による短篇を読んだ。

しかし、上記の3人以外は、
いまいちなじみのない作家ばかりだったこともあり、
ひとまずここでお休みして、齋藤愼爾の解説に目を通した。

この『俳句殺人事件』、セレクションは渋めだが、
編者の齋藤愼爾の心意気には非常に好感を持ってしまう。

右ページ下に一句ずつ句が載っているという仕掛けも素敵だし、
編者前書きの「俳句にはミステリーが似合う」という言葉もいい感じだ。
俳句にほとんど親しんでいないわたしからみると、
「そう?」とちょっと不思議に思ってしまうのだけど、
編者の齋藤さんは俳人であるとともに、ミステリの愛読者でもあるのだろう、
その姿に、歌舞伎の専門家である一方で、ミステリの愛読者でもあった
戸板康二の姿をつい重ね合わせてしまったのだ。

自分の好きな対象に関して、いろいろと類推して、
それらの類似点を探る行為はとても楽しい。
現に、戸板さんも丸本歌舞伎とミステリの類似点に関する文章を書いているし、
わたし自身も丸本歌舞伎の構造はミステリのトリックそのものだと常々思っている。
それから、個人的にはわたしはいつもクラシックと歌舞伎の類似点について
あれこれ思いを巡らせて、独り、悦に入っていたりしている。
『俳句殺人事件』の編者、齋藤愼爾も同じように、
俳句とミステリのつながりに思いを馳せ、胸を踊らせていたに違いないと思うのだ。

……というようなことをぼんやりと考えつつ、今度はあとがきの解説に目を通す。
各々の書き手と収録作品に関して詳しく丁寧に書かれてある。

戸板康二のところを「ふむふむ」と読んでいたそのとき、
《戸板の俳句を素材とした長篇推理小説は、
昭和34年(1959)、東京新聞に連載した『松風の記憶』で、
中村雅楽が句会に出した俳句で犯人がわかるといった結末が鮮烈な印象を残す》
という結びの一文に、わたしの目は釘付け。

「えー! なんですってー!」と、あわてて本棚から、
当の『松風の記憶』[*] を取り出した。
そして、表紙を見てみると、んまあ、鷺娘ではありませんか!
鷺娘といえば、先週の歌舞伎座で福助の素晴らしい舞踊を堪能したばかり。
で、戸板さんのあとがきをさらっとチェックすると、
初出当時の『松風の記憶』の副題は「鷺娘殺人事件」だったのだそうだ。

この書物、去年の年末に購入してからずっと本棚に入れっぱなしだったのだけど、
こうして俳句のアンソロジーを手にしたばかりで、
それから『鷺娘』の舞台の思い出も鮮明ないま、まさしく機が熟したといえる。
いよいよ、『松風の記憶』を読むときがやって来たのだ。

というわけで、本日の車中の読書は『松風の記憶』。



戸板康二の小説はほとんどが短篇で長篇は3つしかない。
『松風の記憶』がそのうちの一遍で、
これも歌舞伎の老優・中村雅楽の名推理が光る、
おなじみの中村雅楽シリーズである。

戸板さんの長篇を読むのは今回が初めてで、
読みはじめる前は「どうかな?」と少し心配だったのだけど、
そんなことを言ってられたのは読みはじめる前までこと。
読み始めたとたんに、いつものように、ついつい次から次へと
ページをめくってしまい、いわゆるひとつの
「ページをめくる指が止まらない状態」だった。

いつも読んでいた雅楽シリーズはいつも短篇で、
そして、短篇だからあっという間に終ってしまう、
そのあっという間なのが少し寂しい時もあった。
(もちろん、読後の余韻は短くないのだけど。)
のだが、今回は長篇、なので、しばらくその小説世界は続く、
そのことが単純に嬉しかった。

始めに登場する女子高校生の修学旅行とか演劇のシーンには、
正真正銘の少女の頃に、少女小説を楽しみに読んでいた当時と同じような感じで、
結構、楽しんでしまった。修学旅行先は広島、少女の高校は大阪で、
大阪の街かどに、去年の年末に初めて行った大阪のことを懐かしく思い出したりも。
少女の作った戯曲と実際の事件との交錯具合とか、
『鷺娘』の舞踊と女子の様々な感情の交差とか、物語の構造もとてもいい感じ。

しかし、なんといっても、雅楽が登場、それがとても嬉しい。
犯人と対峙する雅楽の姿はとても温かく、殺人という穏やかでない事態への
残念な気持ちと、もちろん殺された少女への哀惜の思いを持ちつつ、
犯人を当てるだけでなく、犯人の立場をも思いやるという、雅楽の温かいまなざし。
そのまなざしにいつもと同じように、一番胸を打たれた。

……というわけで、『松風の記憶』とともに合った、
本日の本読みの時間はとても幸福だった。



『松風の記憶』は戸板康二にとっても、とても思い入れの深い作品のようで、
後記の文章も少し長めだ。東京新聞の連載小説だった『松風の記憶』を、
師の久保田万太郎は毎回読んでくれていて、いろいろな感想を述べたという。
そして、句会のところに関しては一言も言わなかったというのがまたいい。

「宝石」昭和37年11月号に載っている、自作解説では、

《踊りの世界と雅楽の結びつきに工夫をこらしました。
はじめと終りが先きに出来ていました。
毎日三枚を一週間まとめて書いて渡しましたが、
こんな作家ははじめてだとおおよろこびされました。
これを書いている途中で、直木賞が決まったのです。》

というふうに、述べている。いつも誠実な仕事ぶりの戸板さん、
そんな戸板さんの姿がここにも伺える。

それから、同じページに、
「直木賞受賞の感想」(宝石・昭和35年3月号)の抜粋が載っている。

《一月二十一日の昼間、東京新聞社へ行ったら、「今夜直木賞の発表だね」と
いわれたが、自分には直接関係のない話だと思っていた。
演劇評論の仕事のかたわら、何となく書きためたものであって、
五つ目のが雑誌に載る頃、本にしようという話があった時も
「えッ?」と訊き返したくらいである。
「宝石」に書く機縁を与えられたのも、みんな江戸川さんの厚意によるものである。
思えば、江戸川さんと知るようになったのは、
東京創元社の推理小説全集がはじまる直前で、推理小説好きというだけの理由で、
座談会の末席に列なった、それが発端である。
思いもかけなかったこの幸せを、あだにしないためにも、
これからも、いいものを書かなければという自戒を、記すほかないのである》

その発端の座談会、戸板康二が江戸川乱歩に初めて会った座談会で、
そこに居合わせたもう一人の人物が花森安治。

その座談会記事をどうしても読みたくて、先日、
国会図書館にまで行ってしまったが、まだ見つかっていない……。
都立中央図書館にありそうだったのだけど、その座談会が載っているところだけが
狙ったかのように欠本だったのだ。歴史的座談会への道は遠い。




  

4月25日水曜日/『グリーン車の子供』を読む、中村雅楽の年齢

昨日の『松風の記憶』の余韻が消えず、
今日も、未読の戸板康二の中村雅楽シリーズを読んでしまった。

なかなか古本屋でお目にかかれない雅楽シリーズ。
お目にかかれたとしても「いくらなんでもこれはちょっと」という
高価な値が付いていることが多い雅楽シリーズ。
そんなわけで、わたしにとっては本棚の雅楽シリーズはとても貴重なのだ。

なので、できればしばらく読まずにとっておきたい、
お楽しみはあとにとっておきたいと思っているのだけれども、
誘惑に負けて、つい『グリーン車の子供』(講談社文庫)を本棚から取り出してしまった。

『グリーン車の子供』[*] は10篇収録の短編集。
いつもながら、雅楽シリーズに流れる空気がとてもいい感じで、今日も幸せな気分になる。
殺人事件を扱ったものは2篇のみで、あとは、誰かが行方不明とか、
誰かの奥さんに関するちょっといい話とか、子役に関するちょっとした事件などなど、
といった感じの「日常の謎」系のミステリで、
そして、その「日常の謎」系が雅楽シリーズにはいかにも似つかわしいのだ。

やっぱり「いいな」と思ったのがタイトルにもなっている『グリーン車の子供』。
他の同じく子役もののお話で、『寺子屋』の場面のことが立続けに出てくるのも楽しい。
デビュウ作が『車引殺人事件』ということもあり、雅楽シリーズには
『菅原伝授手習鑑』に関するものがわりかし多いという気がする。(気のせいかも)

そして、雅楽シリーズを読んでいつも感じるよろこびを今回もしみじみ噛みしめる。
雅楽登場の空気がよいというだけではなく、
歌舞伎に関するいろいろな記述がとても楽しいという、
ミステリ好きの歌舞伎ファンにとっては、
いつもながら、これでもかと本読みのよろこび全開なのだ。

先月、仁左衛門らによる『沼津』や
菊五郎らによる『忠臣蔵』の通しを堪能したばかりのときに、
それらの演目の名が登場するシーンを読む、そのタイミングも嬉しかった。

なので、先に書いたような、
読むのがもったいないなんてケチなことを言わずに、
日頃の歌舞伎見物の折に、何度でも同じ作品を読み返す、
そういう接し方が一番よいのかもと思った。



ところで、『グリーン車の子供』を読んで目に止まったのが中村雅楽の年齢。

雅楽は、昭和42年の『新薄雪物語』の正宗以来、
神経痛で足を痛め7年間、舞台から遠ざかっていた。

『グリーン車の子供』は、雅楽が7年ぶりに
『盛綱陣屋』の微妙に出ようかなというところで、
そのとき雅楽は80歳だという。

うーむ、となると、明治20年後半から30年にかけての頃に、
雅楽は生れたということになるのだろうか。




  

4月27日金曜日/『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』、殿山泰司読みはじめ、山田稔の翻訳

先月中旬に本屋で衝動的に購入しそれっきりになっていた、
藤本義一著『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』を昨日読んだ。

なんというか、もう目が醒めるくらいに面白くて面白くて、
いてもたってもいられない感じだった。

藤本義一は川島雄三の脚本を手伝ったりとかの「助々監督」の仕事をしていた。

《「いいですか、普通の人の場合、物事に思考を巡らす量を100としましょう。
それを言葉で表現した場合は十分の一の10になります。
さらに、それを文字で表現しようとすると十分の一の一になります。
頭で考えていることを文字にすれば、百分の一です。
1パーセントです。これが普通人の葉書、手紙、その他の文章です。
ところが、プロはこれでは通用しません。
君は天才でもなんでもないのですから、
1を1.1、あるいは1.2ぐらいに表現しないといけません」》

という、川島雄三の言葉が冒頭のエッセイにさっそく登場するのだけど、
なんていうかもう、冒頭のエッセイしょっぱなから引き込まれてしまう。

この本の構成は、川島雄三についてのエッセイ、小説、講演記録、
それから、長部日出雄、殿山泰司、小沢昭一との対談、
最後に、藤本義一と川島雄三の共同執筆脚本『貸間あり』というふうになっているのだが、
なかなか見事な構成の1冊で、どれもこれもとても面白く、一気に読んでしまった。

特に、小沢昭一の発言にうーむとうなるところ多々あって、
『貸間あり』のシナリオも、んまあなんて愉快なのでしょう。

表紙の川島雄三の写真がまた、クセモノ臭をプンプンと漂わせていて、とてもいい感じ。

とにかく、ここまでツボな本だったとは、予想だにしていなかった。



そして今日は、『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』と
セットで先月に購入し、それっきりになっていた
殿山泰司著『バカな役者め!!』(ちくま文庫)を読み始めたのだが、
まあまあ、これもまあ、目が醒めるくらいに面白くて。

カバーの刊行案内のよると、ちくま文庫の殿山泰司はあと5冊もあるようだ。
楽しみがまだまだあって、嬉しい。

今日は一気に『バカな役者め!!』を読んでしまおうかというところだったのだが、
途中、思いがけなく、岩波文庫の『フランス短篇傑作選』を購入。
山田稔の訳なので、「おっ」と思って、買ってしまったのだ。
初版は1991年なのだが、この本の存在は今日初めて知った。
山田稔の翻訳というと、無視できない。

そして、ランチタイムのドトールでペラペラと読み始めたのだが、
これがまあ、目が醒めるくらいに素晴らしくて素晴らしくて。

……とかなんとか、目が醒めてばかりいた、昨日今日の読書であった。

明日も、今日みたいに殿山泰司と山田稔の翻訳を交互に読みすすめていくとしよう。

そうそう、殿山泰司は1915年生れ、戸板康二と同年だ。
そんなこんなで、わたしの頭の中は一気に
「大正四年生まれ七人の旋毛曲り」構想でいっぱいになる。
って、あと5人は探索中だけど。




  

4月28日土曜日/『バカな役者め!!』読了、上野の美術館とソバ屋

今日は必要以上に朝早く起きてしまい、しばし時間が合ったので、
殿山泰司の『バカな役者め!!』(ちくま文庫)をおしまいまで読んだ。

とにかく面白かった。

帯には「三文役者の小説集」と銘打ってあるのだけれども、
一見エッセイ風の散文なのだが、読み通してみると、
まぎれもなく小説であるということがよくわかった。
その点では保坂和志にも少し似ているかもしれない。
そして、わたしはそういう小説が大好きだ。

特によかったのが、「見ろッこの長蛇の列を」と「泣いてくれわが性の果て」。
子ども時代のお友だちのこととか、徴兵中の出来事あれこれといった、
過去のことと、ロケ地への移動といった現時点のこととが
絶妙に交錯し溶け合って、そこからあらわれてくる世界がとてもよかった。
これぞまさしく、小説そのものという感じの文章世界だった。

……なんていうのも野暮な話か。殿山泰司の音楽のような文体のリズム、
「スウィング感」とでも言ってしまおうか、
そこに身をまかせていると、胸がキュイーンとしてくる。それが全て。

そして、全体を読み通して心に残るのは、殿山泰司のダンディズム。
とにかく、むちゃくちゃかっこいい。

文庫解説は、殿山泰司に小説執筆をすすめた当の編集者、
大村彦次郎によるもので、その文章もとてもよかった。
テトラポッドの埋められた新潟海岸の浜茶屋、泳げない連中は海風とビール、
そして、海中には見事な泳法で泳ぎまくる殿山泰司と田中小実昌の図、
つい頭のなかで空想して、その光景にうっとりしてしまう。

そうそう、昨日、殿山泰司と戸板康二が同年生まれなのが嬉しくて、
坪内祐三の「慶応3年生まれ」の真似をして、
「大正四年生まれ七人の旋毛曲り」構想を練り始めたのだったが、
殿山泰司の本のちょっとした記述、たとえばサイレントの映画館の風景
といった光景が、戸板康二の文章で読んだのとまったく同じ空気だったりして、
二人の間にはやはり、意外なほどに共通の時代感覚を見ることが出来た。
なので、今後も「大正四年生まれ七人の旋毛曲り」構想を続けていこうと思う。



今日は早起きできたので張り切って、三百人劇場の川島雄三特集に出かけた。
二週間前から始っていたのだが、ついつい行き損ねていたのだ。
今日観たのは、『東京マダムと大阪夫人』という映画。
そのタイトルに非常にそそられていたのだけど、
実際に観てみると、まあまあ面白いのだが、期待したほどでもなかったかなあという微妙なライン。

力が抜けるようなハズレがあったかと思えば、意外にいい感じの佳品もあれば、
『洲崎パラダイス赤信号』みたいな大傑作もある、
その一筋ではいかないところに川島雄三の川島雄三たるところがあるのだ。
今日、5回券をつい買ってしまったので、あと五本見に行く予定。



さて、映画のあとは千石からバスにのった。
千駄木を通って根津を通って、上野広小路に至る。バスはたのし。

友だちと待ち合わせ、国立西洋美術館の《イタリア・ルネサンス》展を見物。
やはりイタリアルネサンスはあまり好みでなかった、ということを再確認。
なので、今日は、美術史のお勉強に徹した見物となった。
フィレンツェとヴェネツィアのルネサンス美術の展開具合を
対照して見ることが出来たのが、まあよかったような気がする。

今日はむしろ、常設展の見物がとても楽しかった。
常設展だけでもかなりの規模で、特に堪能したのが《フランス素描名作展》。
なんとなく、本の挿絵をイメージしてしまい、
そして昨日読み始めたばかりの、山田稔訳の
『フランス短篇傑作選』のことを思い出してついうっとり。

夕方まで美術館で過ごし、それからソバ屋で夕食。
先月、森まゆみさんの『一葉の四季』を読んでからというもの、
行きたいなあと思っていたお店に思わず行ってしまった。
天ぷらソバを食べた。帰り、とあるお店で佃煮を購入。




  

4月30日月曜日/鎌倉帰り、未来展望

昨日は、鎌倉ピクニックだった。

いつもは北鎌倉からのコースなのだが、
昨日は初めて小田急の特急で藤沢、藤沢から江ノ電というコース。
海が見えると嬉しいお子様なわたくしとしては、江ノ電の車窓に大感激。

極楽寺から長谷、鎌倉文学館、由比が浜の散歩、
鏑木清方美術館、神奈川県立近代美術館の《岸田劉生展》という道のり。
鎌倉はたのし。初めて行った近代美術館に大感激。
窓から見える、雨模様の池がとてもきれいだった。



近代美術館の別館では《ウィリアム・ブレイク版画展》が開催中で、
昨日は閉館まで《岸田劉生展》にひたっていたため、見逃してしまった。
というわけで、また近々鎌倉を再訪するつもり。

今度は晴れた日に、材木座の海岸を歩きたいなと思う。
久生十蘭と久保田万太郎が住んでいたあたりの道。

戸板康二の『五月のリサイタル』[*] に「久保田万太郎遺跡」という文章があって、
久保田万太郎が住んでいた場所をたどるという感じの内容なのだが、
それはそのまま東京の都市論的文章にもなっていて、とても面白い。

久保田万太郎の鎌倉時代は戦後の十年間。この時期に関しての記述は、

《ぼくは、先生が社長をしている日本演劇社で、演劇雑誌の編集に従っていたから、
その間、この家によく行った。会の帰りに、酔った先生を送ってゆき、
泊ってしまったことも何度もある。先生は二十一年十二月に、きみ夫人と結婚した。
先生が気分的に若返った姿をこの家で見た。
小さな家であったが、海岸地らしい白い砂がまばゆく、部屋の中でその反射が明るかった。
先生が朝、座敷のとなりの茶の間の長火鉢の前に、絆纏を着てすわり、
ひとりで小鍋で煮物をしていたのが目に残っている。
犬も一時いた。愛猫のトラは、この家から東京まで、つれて行かれることになる。》

というふうになっていて、「久保田万太郎遺跡」の文章の締めくくりに、
三田についで鎌倉が久保田万太郎にとって新鮮な生活だったという気がする、と記している。

《その証拠に、先生の鎌倉の句は、いずれも、その土地に対する愛着を思わせる。
先生は、文体や芸術観を生涯かたくなに変えない人だったが、
人間的には、大きく変化していたと思われる。》とのこと。

思わず、長々と抜き書きしてしまったが、
戸板さんのこういう文章を目にしてしまうと、
久保田万太郎の鎌倉に関する句をぜひとも読んでみたいッ、と思ってしまうのだ。
こちらも近々必ず。




  

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