天女の舞い降りた湖 余呉湖

 

 

 余呉湖の玄関口JR余呉駅を出てしばらくの三叉路を右にとると、静かな湖がひろがります。左右にひろがる田園をしばらく歩くと、湖の辺に大きく枝葉を広げたこんもりと繁るアカメヤナギに出会う。天女伝説の柳です。「衣掛柳」の側に佇み、背後にひろがる小さな漣を立てている湖に目をやると、今も天女が水浴びをしているかのようです。
 余呉湖と賎ヶ岳をはじめとする湖に面している山々は、余呉湖に四季を知らせます。天女のアカメヤナギは、今も初夏には青々とした新緑の衣に身を包みます。夜の静寂に包まれたころ、アカメヤナギの葉と葉の囁きは、古の物語を織っているかのようです。東の空が白み始め、空の色が紺青から赤紫に染まるころ、天女の柳に山から顔を出した日が射し、新緑の瑞々しい葉はその日の新しい光を照り返す。一日という時間の流れの中で呉湖はいろいろな姿を見せてくれます。朝陽が顔を見せるその日の始まりから、うたた寝をもよおす昼下がり、そして、夕暮れは細部を塗りつぶし、全てを同一平面に化そうとし、ついには闇に包まれるまで、余呉湖の姿を追っていっても飽きないでしょう。辺りが暮色に染まる頃、対岸の照明と列車からの車窓の灯りを一筋の流れとして湖面に照り返す。静止している灯りと、スーと走っていく灯りは闇の色に変わった湖に照り返されていた。湖が民家や街路の灯火だけを映す夜のしじまに、規則的で低く疎く響く音とともに流線型の灯りが走る。列車の車窓の灯りの行進は、寝静まった湖をふと目覚めさせます。
  
春、柔らかい風が湖の面をなでると、眠そうな湖面の水は上下に緩慢な起伏運動をします。柔らかい風 は湖辺の木々の芽を誘い出します。
  
月に照らされた湖面は深く沈んだ湖を月の落子達がせわしなく駈け回り、湖面に生まれる細波は月光の 波長を増幅させるかのようです。
  
晩秋の頃、ミルク色のベールに包まれた湖岸の民家や街路の灯火は光芒を、にじんだスポットライトの ようだ。霧の間から朝の陽光が見え始め、やがて湖との区別ができる頃、霧はスーと晴れていく、ドラマ チックな演出をするかのように。
   賎ヶ岳から舞い降りる雪は余呉湖が冬の装いに変わることを告げます。湖に吸い取られる雪。周囲の 景色を白に変えていく雪、でも、湖は雪を吸い取っていきます。

 余呉湖に惹かれて何度私は足を運んだことでしょう。書斎にいて、窓の外のひっきりなしに降る雪を見ると、私の脳裏には、雪のもたらす情景を静かに受け入れていく余呉湖が目の前に浮かびます。と同時に、私は車を琵琶湖の北へと走らせています。春の空気の流れが完全に止まってしまっているような眠りを誘う日、この日こそ鏡のような余呉湖が湖の春眠を映しているだろうと、余呉湖を訪れたことも何回あったでしょう。夏の真上の太陽を照り返す余呉湖の表面から醸し出される蜃気楼は天女の姿かと錯覚します。晩秋の早朝に訪れた日のミルク色の濃い靄に包まれた余呉湖。陽が上る頃になって次第に辺りの景色がぼんやりと認められるようになっていく、時間の移ろいを体験した日のことは忘れることができません。
 
ひっそりと静まり返った余呉湖のそっと大切に仕舞い込んだ、切なくも哀しい話を聞きたくなったなら、ここ余呉湖の辺に佇み、そっと、湖の声に耳を傾けて下さい。湖と周囲の景色が織りなすスクリーンに湖の話をつづってくれることでしょう。忘れてしまった自然の優しい心を思い出させてくれます。

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