サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

禅定 (jhana)

「パーリ語:jhana / サンスクリット語:dhyana(禅定)」の音写が「禅(那)」で、その意訳が「定」です。禅定 (jhana) の語源は、jha (凝視する)。 感覚器官の対象物である、光景、音、匂い、味、感触を生むもの、などに気づかないほど心が定まっている状態です。 ”凝視” するような心の集中の程度をいう時に使われます。

禅定には五つの構成要素 (精神作用) があります (五禅支)。

1. 一次思考 (ヴィタッカ : vitakka) 言葉による思考の要素
2. 二次思考 (ヴィチャーラ : viccara) 言葉によらない思考の要素
3. 喜 (ピティ : piti) 歓喜の要素
4. 楽 (スカ : sukha) 安楽の要素
5. 一境性 (エーカガター : ekka gata) ひとつの対象に集中して心が散漫にならない要素

禅定には、対象を通して到達する「色界四禅」と、対象を通さずに心だけで到達する四段階 の「無色界等至」の合計八種類があります。

サティパッターナの「正定」は「色界四禅」の説明です。

仏教には欲界・色界・無色界の三界があり、欲界から色界へと進むには禅定に入らないと往けないようです。この禅定の段階が「色界四禅」と呼ばれています。

「色界四禅」では五つの構成要素(精神作用)は第一の禅定から第四の禅定まで、次のようになっています。

色界禅定

第一禅 : 五つの構成要素の全てがあり、思考は働いていても、一点に集中し、あらゆる関わりから離れた境地。

第二禅 : 思考作用がなくなり、集中から生まれる喜びに満ちた境地。

第三禅 : 喜びはなくなり、安楽の境地になります。気づきと理解は深まり、心は澄み切っています。

第四禅 : 楽もなくなり、不苦不楽の境地。純粋な気づきの状態があります。

この四段階の禅定をまとめると次のようになります。

第一禅 : 一次思考二次思考、喜、楽、一境性
第二禅 : 喜、楽、一境性
第三禅 : 楽、一境性
第四禅 : 一境性

段階が上がるにつれて、要素が増えるのではなく減る、というところが、仏教的という気がします。

仏教の説く欲界・色界・無色界の三界では、欲界とは、五つの感覚器官から入る情報を楽しんだり苦しんだりする世界です。色界とは、物質や物質を成り立たせる空間はあるけど、その物質自体がエネルギー状態で、禅定状態を作るのにその対象に集中しているだけという世界です。

欲界には普通の善業で往けますが、色界には禅定に入らないと往けません。それで禅定自体も 「色界禅定」と呼ばれています。その色界の禅定、色界四禅が上記の四段階です。

色界の次にあるのが無色界で、無色界の禅定が無色界等至です。以下のように四段階あります。

無色界等至

五番目の禅定(空無辺処)無限の空
対象に対する意識を完全に超え、対象に触れるという意識もなく、ただ、虚空が限りない空無辺処という心の状態に到達します。壁などで仕切った「空間」を遮る「もの」が何もなく「虚空」だけという限りのない心の状態です。

六番目の禅定(識無辺処)無限の識
空無辺処を完全に超え、「識は無辺である」という識無辺処に達します。外に心を向けていた「空無辺処」から、心そのものに心を向けて、心自体が何ものにも遮られることのない限りないものだと心だけを味わいます。

七番目の禅定(無所有処)有る所が無い
識無辺処を完全に超え、「何もない(空)」という無所有処に達します。心だけ、ということさえ意識しない「何もない」状態の禅定です。

八番目の禅定(非想非非想処)想に非ず非想にも非ず
無所有処を完全に超え、非想非非想処に達します。意識はおろか、意識しようとする衝動、「想」さえ起こらない状態の禅定です。意識しようとする衝動さえ起こさない禅定で、仮死状態のような、無色界等至の最高の状態です。

上記の禅定は、何かの対象を通して到達する四段階(色界四禅)と、対象を通さずに心だけで到達する四段階(無色界等至)の合計八種類です。

九番目 : 滅尽定
心の状態に連動して、身体の働きも止まります。呼吸さえなく、細胞の活動自体が休止します。時間がなく、絶え間のない「変化」はあるのですが、身体に起こるはずの活動が起こらないので、石のお地蔵さんのような状態になります。ブッダ以前には、誰も到達したことがないと言われている状態です。

「無」へと達することが八段階の禅定なのでしょうが、九番目はその「無」さえも滅するということでしょう。この状態は「滅尽定」と呼ばれていますが、禅定という言葉もあてはまらないということです。










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