J人気の中で


 Jリーグ2年目の開幕前、J人気にあやかって色々な場所でプレシーズンマッチが行われた。なかには東京ドームにカーペット状の芝を敷き詰めてゲームを行ったチームもあった(このときはドームに籠もった芝生のにおいを消臭剤で消すなどで苦労したようだったが)。横浜フリューゲルスも、南米のクラブチーム「コリンチャンス」とキャンプ先の沖縄でゲームを行っていた。

 このシーズン前にクラブはバウベル、服部、原田選手らを補強し、東選手をガンバ大阪から獲得していた。服部・原田両選手とも大学では出色の選手で、「よくぞフリューゲルスを選んでくれた」という気持ちがあった。先のKさん夫妻は大学サッカーにも造詣が深く、色々説明してくれたがよくはわからなかった。

 バウベル選手は、先のブラジルのコリンチャンスというビッククラブに所属していたが、加茂監督がプレースタイルを気に入って獲得した選手で、逸材である。フリューゲルスのサポーターがブラジルに行った時にも「バウベルは元気か?」と聞かれたそうだから、随分と人気のあった選手だったようだ。

 東選手は小柄ながら読みでカバーするタイプのDFで、薩川選手のように足は速くはないが、適切なポジショニングとハードマークで守るタイプだった。

 このOFFに、公認サポーターのJETS主催のボーリング大会が開かれている。田町で行われた行事には、石末・内藤選手も顔を出して盛況だった。

 3月5日にはゼロックススーパーカップが行われた。リーグ優勝の川崎と天皇杯の覇者フリューゲルスの一戦は、仕事の関係でどうしても見に行くことは出来なかった。試合には負けこそしたが、山口選手が後に述懐しているように、コンパクトなサッカーとしては一つの頂点を極めるほど素晴らしいパフォーマンスを見せた。

 3月に平塚と磐田の2チームが昇格し12チームで戦うことになったJリーグが開幕すると、横浜フリューゲルスの快進撃がスタートした。元旦の天皇杯優勝に自信をもった若手もかみ合い、エドゥー選手を起点とした攻撃に前園選手やアマリージャ選手がからむ。アマリージャ選手がポスト役となり、前田治選手がゴール前で勝負するといった場面が多くなり、得点機会も増えた。DF陣も岩井選手がラインをコントロールする形でラインディフェンスを敢行、裏へのボールには森選手が対応するというように、加茂監督のもと、コンパクトなサッカーを現実のものとしつつあった。

 「ゾーンプレス」といわれるようになったこの戦術は、マスコミが横浜フリューゲルスの近代的戦術として大きく扱うことが多かったために定着したが、ネーミング先行のきらいがあったものの、ファンも自分たちのチームの形が出来上がったきたことに満足していた部分もあった。

 チームは、緒戦のアウェーの清水戦を落としたものの徐々に実力を発揮しだし、ホーム開幕戦のJEF戦では4−1と勝利。このころから前園選手のドリブルが冴えてくるように(目立つように?)なったように記憶している。逆に言えばそれまでの前園選手はそんなに特殊な選手ではなかったと記憶している。

 そんなある日、たぶん平日の休みの日だったと思うが、近所を散歩していると見かけた髪型の外人が歩いていた。エドゥー選手だった。よく見るとその先にモネール選手までいる。Kさん夫妻に「市が尾にフリューゲルスの練習場があるらしい」とは聞いていたが、まさかこんなに家の近くに練習場があるとは思いもよらなかった。後をつけていくと、そこには出光興産のグランドがあった。家から歩いて5分くらいのところだった。

 思えば、近所のイタリアンレストランにフリューゲルスの大旗が飾ってあったので不思議に思っていたが、これまた加茂監督のお気に入りでよく選手とのパーティーに使っていたのだという。フリューゲルスは全日空の菅田グランドでの練習が多かったが、菅田は人工芝であったので、たとえハゲハゲでも天然の芝(というか草)のグラウンドで練習する場合に出光グランドを使用していたのだった。#もちろんこの時期には東戸塚のグランドはない。

 そんなに近くで練習しているのなら、見に行こうということでそれ以降ちょくちょく練習を見に行った。当時は出光グランドの存在もあまり知られていないこともあって、あまり練習を見ている人はいなかった。車で来る選手も多かったが、中には自転車で通ってくる大嶽選手のような方もいて、それはそれで面白かった。若手は今の都筑区あたりに住んでいる選手が多かったので、そうなったのかもしれない。

 Jリーガーといえば、野球選手に劣らない有名人であったから、なかなか声はかけにくかったが、どの選手もファンに丁寧に受け答えしている姿は新鮮だった。サインを求められればいやな顔ひとつ見せずにサインをして、握手する。「若いのにすごいことだ」と思った。

 エドゥー・モネール両選手の人柄に触れることが出来たのも、この練習場でのことだった。エドゥー選手はフィールドの上では怒りまくっていて、怖い印象だったが、どうしてどうして素顔はジェントルだった。今思うとブラジル人としてはおとなしいくらいの感じだ。握手するとき目をじっと見る、当たり前だがなにか心に残る不思議なものがあった。言葉が通じないのが残念。

 モネール選手は陽気。いつも他の選手とじゃれているという感じだったし、ファンサービスもしっかりしていた。日本語はかなりうまかったので、話もしたかったのだが、時間の関係もあってあまり話せないで終わってしまった。

 グランドは桜の木が多く、花の時期はそれは素晴らしかった。グランドの管理人からなにかいわれる訳でもなく、見学者もボール拾いを手伝ったりしながらののどかな練習風景だった。

 チーム成績は堅調に推移し、ついには2位につけるまでになった。しかし「応援」の問題はすでに抜き差しならないところまで悪化してきていた。





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