チケット確保


 三ツ沢での試合を見て、私と家内はいたく感動したというのが本当だったろう。すぐ翌日にまたまたチケットぴあにチケットを買いに行っているあたり、今思うと健気であった。

 5月にはあれだけ余っていたチケットが、6月ではすでにJリーグブームが始まっており、サントリーシリーズ(1STステージのスポンサーがサントリーだったのでこの名称だった)のチケットはすべて売り切れとなっていた。この段階ですでに「どこのチームでも良いから見たい」というわけではなく、「なんとか横浜フリューゲルスの試合を見たい」という風になっていた。

 たしか7月頃に2NDステージ(こちらはニコスシリーズと呼ばれていたが)のチケットが販売された。徹夜して並んだが、ただの1枚も取れなかった。周りに並んでいた人はほとんど鹿島か川崎ねらいの人ばかりだったが、それでも「横浜フリューゲルス」の試合を見ることができなかった。

 結局次に横浜フリューゲルスの試合を見ることが出来たのは「ナビスコ杯」の時だった。さすがのJリーグもナビスコ杯の国立競技場までは埋まらなかったらしく、なんとかチケットを確保して国立競技場へと向かったのだった。

 この試合の時にはじめて応援団が2つに分かれていることに気がついた。ゴール裏の太鼓が多くある集団と、ややバックスタンドよりで応援している団体と。この2団体が横浜JETSであり、TIFOSI(この当時は私設応援団と称していたが)であった。

 この時はJETSが応援すると、TIFOSIも一緒に応援し、逆にTIFOSIが応援をはじめるとJETSもついていくという状況で、まだ応援パターンに差はほとんどなかったし、なぜ分裂して応援しているかなどは観戦2度目の人間になどわかるはずもなかった。

 試合は相変わらず面白かった。ブームということもあったのだろうかすさまじい歓声と、スカイブルーのフラッグのうち振られるスタンド、歓声に答える選手。いまビデオを見たりすると正直雑なプレーは目立つし、展開もお粗末な面もあったが、そこには「時の勢い」があった。森選手のファインセーブに拍手し、前田選手の走りに絶叫する、そんな光景に酔っていたのかもしれない。

 その次の試合で、JETSがクラブ公認のサポータークラブだということで入会した。また同時に翌年のシーズンチケットの予約もしてしまった。なんでも年間シートを買えばいちいちチケットぴあに並ばなくてもホームゲームのチケットは確保できるというではないか。夏のこともあったので正直ちょっと悔しかったが、翌年の分はキープしてしまった。

 おまけにその時そばにいる人と仲良くなったりで急にチケット事情が好転してきた。元来社交的な性格ではあるので友達を作るのは苦ではない。チケットというものは不思議なもので、売り切れていても都合で行けない人がいたりで必ずどこかで余っている。あとはその情報が入るようになりさえすれば意外と入手できるのだった。こうしてその年のその後の試合はほぼすべて見ることができるようになったのだった。





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