雨上がりの三ッ沢


 「私は子供の頃からサッカーをやっていて、高校ではサッカー部でDFをしていた………」とここに書けたらさぞかし格好もついたのだろうが、こんなところでウソを書いても無意味なので正直に書く。

 私は、体型からもお察しの通りあまりスポーツをするタイプではなかったし、今もフットサル位は出来るようになったものの運動音痴であることにはかわりがない。そんな私の中でサッカーという存在は、非常に小さなものでしかなかった。大学時代のサークルには熱狂的なサッカー好きがいて、毎週のように部室で「サッカーマガジン」を読んでいた。そんな雑誌の表紙は見ていたし、さすがにマラドーナやクライフくらいの名前は知っていたが、それ以上の存在ではなかった。

 そのような状況を一変させたのが、1993年のJリーグの開幕だったのは間違いようがない。それまでプロ野球観戦もほとんど行ったことがなかった自分を、渋谷のチケットぴあに足を運ばせたのは、川崎対横Mの開幕戦のTV中継だった。

 システムの仕事をしていた関係で残業も多く、いつもはなかなか帰れなかったのだが、あの日はなぜか家に早く帰ることが出来て、これまた珍しくTV中継を見ていた。バブリーな時代の余韻もあって、セレモニーの華麗さには食傷気味だったのだが、いざ試合が始まってみると攻守が鋭く切り替わるスタイルは新鮮だったし、なによりも選手の一所懸命なプレーは見ていて楽しかった。それと同時に「随分と点が入らない競技だな〜」と思ったのもまた事実だった。

 すでに今の奥さんとは結婚準備に入っている状況だったので、そのTVの話から、ぜひ一度生でそのプレーを見てみたいということになり、翌日の昼休みにいそいそとチケットぴあに出かけていったのだった。

 チケットぴあに行ってみると、まだチケットは随分余っていた。しかし、まだJリーグのブームに火がつく前だったにも関わらず、横浜Mと川崎関係のチケットだけはきれいに売り切れていた。お恥ずかしい話だが、その当時は日産と読売クラブという強豪チームがその2チームの前身だという事さえ知らなかった。

 残りのチームで、一番目を引いたのが「横浜フリューゲルス」だった。なんか知らないがやたらと名前が長い。おまけに横浜だ。どうせ応援するなら地元のチームがいい。これしかないでしょう、という感じで6月9日の三ッ沢での対JEF戦を2枚買った。

 その日は、皇太子殿下と小和田雅子様のご成婚の日でもあった。朝から雨が降っていて、パレードを見に行くのは大変だろうなと思ったのを覚えている。しかし雨は昼過ぎから徐々に上がりだし、試合開始の時には夕焼けが見えるほどまで回復していた。

 三ッ沢球技場というのははじめてだった。三ッ沢というバス停があるのは知っていたので、そこで降りれば近いだろうくらいの認識でしかなかった。結局開場1時間後についた私達は、コーナーの一番後ろの方にしか座れなかった。一方で「横浜フリューゲルス」というチームについては、実はチケットを買ってから気になって、新聞上でチェックしたりしていた。「どうやら前田治選手が得点源らしい」「何人か外国人がいるようだ」というレベルだったが。

 試合が始まって、すぐに覚えたのは「モネール選手」だった。あの格好、競技場の上の方から、裸眼でもはっきりわかるのはお得だと思う。そしてもう一人、GKの「森選手」も間違いようがなかった。当時のデータを見ると、出場しているのはその後チームを背負っていくフルメンバーなのだが、その時の私達には誰がだれなのかよくわからなかった。

 試合以上に驚いたのが応援だった。当時はチアホンは規制されていなかったので、ちょっとでもチャンスとなれば「ぷーぷー」と大音響だったが、今まで思い描いていた応援と随分と違っていた。プレーの動きと一体感があって、随分主体的に応援して、応援している側も楽しんでいるように思えた。かく言う私も、思わず周りにつられて手をたたき、歓声をあげていたのだった。

 試合はテンポよく、なかなか見ていて楽しかった。JEFもリトバルスキーを中心にそこそこ攻めたが、後半終了間際にアウドロのシュート(カウンターだったと思う)で1−0で勝っている。このようにして記念すべき観戦第1戦、1993年サントリーシリーズ第8節は終わった。





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