1877(明治10年)
エジソン(米)音声の記録メディア発明。
「ろう管蓄音機」・約2分。鈴箔製は1分記録。長さ10p、直径5p。200ドル。

1909(明治42年)
SPレコード・最大8分(両面)。1円20箋(1910)、250円(1953年)直径25、30p。1963年生産中止。
1941(昭和16年)
パンチカード・1枚で80文字、90桁と80桁の角穴式、80桁が主流だった。
1944(昭和19年)
米、ハーバード大でリレー式計算機、MARKー1(マークワン)完成

1945(昭和20年)※第2次大戦終わる
米、ノイマン教授プログラム内蔵方式の計算機(ノイマン型)発表

1946(昭和21年)
米、ペンシルバニア大学で真空管式計算機、EANIC(エアニック)完成
1948(昭和23年)
米、ベル研究所、トランジスタを発明


1950(昭和25年)
オープンリールTAPE・最大60分、1100円(15分)〜3000円(60分)。直径12.7〜25.4p。ソニーが発売。

1951(昭和26年)
LPレコード・最大1時間、2300円(1951)〜2800円(1980年)。直径30p。
1952(昭和27年)
磁気テープ・バックアップ用、1インチ100文字。リール径10.5p。初期はオープンリール後にはカセットテープに。
1954(昭和29年)
EPレコード・最大8分(両面)、300円(1954)〜700円(1980年)、直径17p
1955(昭和30年)
SONY東通工(SONY)、トランジスタラジオを発表

(写真は1958年製)
1957(昭和32年)
ハードディスク実用になる。データ、最大81.9ギガバイト。
1963(昭和38年)
ディスクパック・直径14インチ、3メガバイト。IBMが開発取り替え可能なディスク。
1964(昭和39年)※東京オリンピック開催
米、Dartmouth大学BASIC言語、開発される。

1966(昭和41年)
カセットテープ・録音時間30/60/90/120分、700円60分(1966年)。フィリップス社が開発技術情報を公開。
カセットテープ
1969(昭和44年)
ビデオカセット(ベータ)・最大90分、6000円(1969年)ソニーが開発。
ビデオテープ(ベータ)
「Lの字を受け取ったか?」コンピューター通信IMP(DDP516)で成功。
(カリフォルニア大学ロサンゼルス校←→スタンフォード研究所間)
1970(昭和45年)
コンピュータ通信、続いてマサチューセッツ工科大←→ハーバード大で成功。
1971(昭和46年)
インテル世界初の4ビットマイコン(i4004)を発表。マイコン誕生
日本では日立と富士通、沖電気と三菱、NECと東芝がそれぞれ提携。続いてIBMもシステム370/135を発表。
1972(昭和47年)
フロッピーディスク登場。720キロバイト〜1.44メガバイト。
インテル8ビット(i8008)プロセッサ発表
日本で「答え一発」電卓がブーム。

1973(昭和48年) ----- ※第一次オイルショック
NEC 4ビット(μCOM-4)プロセッサ発表。
全国の銀行間オンライン始動
1974(昭和49年)
NEC 8ビット(μCOM-8)16ビット(μCOM-16)プロセッサ発表。
日立4ビット(HMCS-1)発表。
インテル基板キット(i8008)米でブーム
1975(昭和50年) ※ベトナム戦争終結
日本でも国産8ビットマイコン続々登場
ソフト8080用BASICインタープリタ開発(ビルゲーツ)マイクロソフト社。
1976(昭和51年) ※ロッキード事件起きる
雑誌パソコン誌(I/O)創刊
カセットビデオ(VHF)発売される。ベータ対VHF戦争の始まり。
NECマイコンキット(TK-80)発表
シュガート社5インチ、ミニFD開発
TK-80 キット
1977(昭和52年) 日本初のマイコンショー開催、秋葉原でショップ乱立。BASIC言語主流に
雑誌月刊誌(アスキー)創刊
日本タンディ社(TRS-80)、コモドール社(PET2010)発売

|
|
1977年
アップル創業。スティーブ・オズニャックとスティーブ・ジョブス
機種:アップルU(年間13万5千台) TVにつないで楽しむ。やがて世界初の表計算ソフト「ビジカルク」生まれる
アップルU |
1978(昭和53年) ※成田空港開港

東芝ワープロ(JW-10)を発表。630万円、220s
CPUインテル(i8086)、モトローラ(68000)
ザイログ社16ビット、(Z-8000)
雑誌月刊誌「RAM」創刊
ワープロJW-10
1979(昭和54年) ※インベーダーゲーム大流行
NEC(PCー8001)発売
ソフト簡易言語(VISICALC)発売、米パーソナル・アーツ社
シャープ(MZー80K)発売
日立(ベーシックマスターレベル3)発売
SONY3.5インチ、マイクロFD開発
シャープMZ-80K
1980(昭和55年)
IBMワンチップマイコンのCPU(370)を試作
1981(昭和56年)
レーザーディスク・最大2時間、7800円(映画)パイオニアLDが国産第1号。
ソフトMS-DOSを開発(マイクロソフト社)
インテル32ビットマイコン(iAPX432)を発表
IBMパソコン進出を宣言(IBM-PC)
NEC PC-8801発売
富士通 FM-8を発売
モトローラ:16ビットCPU(MC6800)マッキントッシュに搭載
PC-8801 FM-8 |
|
1981年
予定の次世代機種「Lisa(リサ)」開発が遅れる。つなぎの「アップルV」は性能が悪く失敗に終わる。
1983年
リサやっと出荷される。マウス操作で、値段は9915ドル(約230万円)
|

1982(昭和57年)
CD・音楽再生、最大75分。8〜12p、ソニーとフリップス共同開発。
エプソン(HC-20)QCシリーズを発売
NEC PC-9801、16ビット、8086/5MHz、初代を発売
ポケコン各社から発売
雑誌月刊誌「ソフト情報」創刊
IBM産業スパイ事件、日立、三菱関係者逮捕
インテル:CPU(80286)
|

HC-20 |

NEC 9800シリーズ初代機
|
1984(昭和59年)
1月、マック発売、128K32ビット(68000)搭載、2495ドル。
NEC PC-9801F3、16ビット、8086/5MHz、メモリ256KBに拡張
Windows初期バージョン登場。話題にならず
8801用(ユーカラ)発売。東海クリエイト
NEC 11月、PC-9801M2発売
OSは(MS-DOS、CP/M-86、BASIC)のいずれかに話題
OSでのデータ共有化問題で「ソフト情報」ガンバル
|
|
1984年
マッキントッシュ(128K)2495ドル。HD搭載なし、メモリ128KB、400KBのフロッピーにOSとアプリケーションを詰め込む出足は好調だった。
ジョブスがジョン・スカーリーとの対決でアップルを去る。Macは大ヒット商品となる。
<オフィス環境「マックオフィス」の構想>
当時、Macより高価だったキヤノン製エンジン搭載のレーザープリンタに文字やグラフィックスをきれいに印刷する方法で困っていたところ、アドビ社(ゼロックス社パロアルト研究所をやめた二人が作った会社)の紹介を受ける。アドビでは「ポストスクリプト」という文書をプリンタにより高解像度で印刷する技術を持っていた。ジョブスはこのポストスクリプトの技術と契約を結ぶ。
アドビ社は印刷システムとしての開発をとりやめポストスクリプトの技術をライセンス化して大成功を収めた。一方、アップルはポストスクリプト対応のプリンタを手にした。この時、新興会社アルダス社が発明したレイアウトソフト「ページメーカー」が加わり、DTP(電子卓上出版)が誕生する。
Mac512Kメモリ容量を増設。ハードディスク接続のMacプラスなどの後継機も出そろう。
DTP出版の技術は海外へ広まる。
ジョン・スカーリーはマルチメディア市場を生み出す。
|
1985(昭和60年)
CPUインテル(386)
アップルのDAINAMAC(ダイナマック)、キャノンが512KBに独自漢字ROM搭載で日本語をサポート \898,000
高くて売れず。
NEC 2月、9801M3 5月、9801U298XA 7月、9801VF29801M0/VM2
2月、ソフト「jXWORD」一太郎の前身発表される
10月、NEC自社製CPU「V30」(i8086の互換)を9801VM2に搭載
「一太郎」MS-DOS上で登場
「松」MS-DOS、BASIC、PC98XA版の3種を発表
「dBASE」「WordStar」等が相次ぎMS-DOSに乗り換え
1986(昭和61年) ※日米半導体交渉最終合意
1月、アップルPlus、$2599 ¥648000
NEC PCー980VX2、16ビット、80286/V30
ワープロソフト「松86」発売
5月、アップル漢字Talkを搭載
CPU モトローラ:(68030)
大手パソコン通信ネット開始(PCVAN、NIFTY、MIX)など
|
|
1986年
初代Mac開発のビル・アトキンソンが「ハイパーカード」を作る。(多様なメディアを混在させ他の情報とリンクさせる今日のWebに近いもの。パソコンに疎いアーテストなどがたくさんの作品を作った) |
1987(昭和62年)-----
アップルMacintoshU(68020)32ビット搭載、分割型モデル、カラー、FD \748,000
3月、エプソンPC-98の互換機を発売(PC-286)
8月、アップル「Hyper Card」マック用データ管理ツール、言語プログラム
エプソンの互換機 PC-286
1988(昭和63年)----- ※瀬戸大橋開通
CD−ROM・音楽・データ用、650メガバイト。
NEC PC-980RA2、32ビット、386、ウィンドウズが使えるようになった
CPUインテル(386SX)
ソフト新松(図形プロセッサ鶴)搭載
10月、アップルNext、日本ではキャノンが販売

1989(平成1年)
CPUインテル:(486)
アップルSE/30(68030)1.44MBのドライブを装備MS-DOSデータが読めるようになった。
アップル「System7」、IBMの次世代OS、OS/2を意識したもの
6月、東芝「ダイナブックJ-3100」発売
9月、アップル、ポータブル発売。 \998,000 価格が高く不評
ダイナブック J-3100
●1990(平成2年)
CPU モトローラ:(68040)
日本IBM、(DOS/V)を発表
MDミニディスク・音楽再生、最大80分、980円、ソニーが開発。
10月、アップル「Classic」価格引き下げ(50%OFF)で普及をねらう
Mac Classic
●1991(平成3年)
CPU インテル:(486SX)
クラブ「しろがネット」誕生
ワープロソフト「松Ver5」 発売

|
|
1991年
クイックタイム(QickTime)登場。
アップル「Quick Time」動画、サウンドを再現するソフトを実現
10月、アップル「クアドラ700、900」(68040)搭載で処理速度が速くなった。ブックパソコン(PowerBook)も発売。
アップル、IBMと提携、モトローラとの3社でCPU開発を目指す |
1992(平成4年)
NEC PCー9801FA2、486SX
ソフト (一太郎)Ver5発売
CPU インテル:(Penteum)
ソフト (ウィンドウズ)Vre3.1米で発売
|
|
1992年
3月、アップルCD1503番目のCDーROMドライブ システム7、
10月、アップル PowerBook Duoアダプタでデスクトップ利用ができる機種発売。
箱根でマルチメディア国際会議箱根フォーラムが開かれた。ジョン・スカーリー新メディアCD-ROMをパソコンへ標準搭載するよう提唱する。アップル、富士通などメーカー数社これに合意。マクロマインド社(現在はアドビ社の一部)の「ディレクター」というソフトと「QickTime」との結合により百科事典、ゲーム、定期刊行物、素材集、アダルトコンテンツなど各種のコンテンツ作製の場面でMacは中心的存在だった。
日本でも一般消費者(コンシューマー)向けとして「パフォーマ」シリーズが人気を博し、マックユーザーが増える。
<アップルの互換機問題>
1992年頃 互換機ビジネスに乗りだし、日本のパイオニア、米国モトローラ社、他10数社が互換機を制作販売していた。パワーコンピューティング社は高速で廉価な機種を発売。
・開発中止の「コープランド」を「マックOS8」と改名。
|
1993(平成5年)
ソフト(ウィンドウズ)Ver3.1 日本で発売
NEC PCー9821Ap、486DX2
1994(平成6年)
インテル:(IntelDX4)
|
|
1993(平成5年)
8月、アップルNewtonマックワールド会場で3日間で売り切れ、が、バグがあった。
10月、アップルCentris AV最新モデル
1994(平成6年)
3月、アップルPower Macintosh シリーズ発売
この頃、アップルのモデルチェンジは激しくユーザーの不評を買う。
Power Mac
<アップルの崩壊>
1994年頃
・膨大な研究費の注入、社内の無法地帯化、開発プロジェクトの乱立
・二つの次世代OSの頓挫。「コープランド」、「スタートレック」(マック以外のパソコンで動く?)
・新聞には連日アップル買収の記事。AT&T社、サン・マイクロシステムズ社、ソニーなど買収に興味を持つ。
・ソフト開発者の離散。ギル・アメリオ深刻な財政問題を解決すべく再建に乗り出す。創業者スティーブ・ジョブスアップルに復帰。ジョブス、クーデター画策しアメリオを追放
|
(パソコン史Aへ続く)

※使用した画像には著作権で保護されているものがある場合があります。お気づきの画像がありましたらお知らせください。
|