1月12日...最悪のクリスマスイブ
 
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
 
いや〜、やっとパソコンが修理から戻ってきましたぜい!
マザーボード交換でウン万円かかってしまいましたが、ハードディスクは無事で「ホッ」と一息といったところです。
え?どうしてパソコンが壊れちゃったのかって?
それは、あぁ・・・あの最悪のクリスマスイブをまた私に思い出させるのですね。
やっと忘れかけていたというのに…。
 
12月24日の朝、私は福岡空港から鹿児島行きの便に乗っていました。
2ヶ月ほど前から商談を続けていた伊集院町のお客さんのところへ向かうためです。
そして、その日の午後、私は鹿児島空港から福岡に戻ってきました。
心に、失注の痛手を負いながら。。。
「はぁ〜、ろくな年末じゃないなー」なんて。
 
落ち込んだまま天神のオフィスにたどり着いたのが午後3時頃。
机の上には私の上司からの『戻ったら電話ちょうだい』のメモが置かれていました。
あわてて電話すると、
「実はねぇ、異動の話がチラホラ出てるんだよ、アジ介くんの。福岡もう何年になるんだっけ?4年?う〜ん、覚悟だけはしといたほうがいいかもなぁ…」
一瞬のうちに、糸島の海から遠く離れてしまうこと、引越しの準備のこと、子供たちの転校のこと、慣れない転校先で不登校とかなったらどうしようということ、仕事の引継ぎのこと、新しい赴任先の仕事のこと、慣れない職場と慣れない生活環境で溜まるストレスのこと、多分今の通勤時間の倍以上の通勤地獄が待ってるかもしれないということ、いろんな意味で妻と子供たちに負担を強いなければいけないこと、などなどを考えて、またもや落ち込んだのでした。
「はぁ〜、ろくなクリスマスじゃないなー」なんて。
 
いつかはまた転勤しなければいけないということは頭ではわかっていながらも、ブルーな気持ちを押さえきれずに、この日は早めのご帰宅。
(まだ転勤と決まったわけじゃないから、妻に言うのは時期尚早かな)なんてことを考えながら、夕食後にノートパソコンをいじっていますと、
「ゲームさせて〜」とR紗が私のひざの上に乗ってきました。
準備が遅れてしまった年賀状作りをパソコンでやっていた私は、画面をオセロゲームに切り替えてR紗にマウスを渡したのでした。
 
オセロに負け続けたR紗が他になんかゲームはないのかというので、次にピンボールゲームを出してやりました。
すると、やり方のわからないR紗の横からY介が、
「僕が教えちゃる!」と身を乗り出してきて、ご丁寧にキーボードに被せてあった半透明の樹脂カバーをはずし、
「このキーとこのキーで…」と手を伸ばした時に、パソコンの横に置いていた私の飲みかけのお茶が入った湯飲みを引っ掛けて、ガチャン!
 
キーボードの上にお茶がビシャッ!
 
その直後にパソコンがブツッ!(電源の落ちる音)。「・・・」
 
「はぁ〜、最後の身代わりはパソコンだったのかー」なんて。
実は一昨年の厄年突入以降、何故か我が家の家電製品が次から次へと壊れていったのです。
結婚を機に買い揃えたものが多かったので、
「家電製品は10年が寿命なんだねぇ」なんて妻と話していたのですが、ある日ふと、(ひょっとしたら厄年の俺の体がぶっ壊れる身代わりに、こいつらが壊れてくれてるんじゃないだろうか?)などという不条理な発想をするに至りました。
それくらい次々と壊れていったんですよ。
 
ビデオ、石油ファンヒーター、炊飯器、と小物が続いて壊れた後にテレビが壊れ、洗濯機が逝ってしまったと思ったら、とどめに冷蔵庫が水ダダ漏れ。
冷蔵庫で打ち止めかと気が緩んだところに、最後の最後でパソコンが待っていたという次第です。
 
まあ、おかげさまで私自身は大過なく昨年で後厄も無事終了し、新たな気持ちで新年を迎えることが出来たのですが。
 
これまでに撮りためていた、膨大な量のデジカメデータを失っちゃったかもしれないと考えて気が遠くなりそうでした。
目前に控えていたパソコン任せの年賀状の宛名書きができなくなり、「今年は年賀状出すの止めた止めた!」と投げ出しそうになりました。
 
そうして、その夜から突如として38度5分の熱が出てしまい、次の日以降も38度から熱が下がらず、仕事納めの最終日もフラフラで出社するという悲惨な年末に。
あとで妻には「発熱の原因はパソコンショックしか考えられないのよ」と帰省先で笑い者にされてしまいました。
 
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