「10万円入りの財布」


◇第二章◇


部屋へ戻ったワタシはイエローページを手にとった。
目黒区の清掃局へ電話をかける為である。

もしかしたらまだ間に合うかもしれない。
気持ちばかりがわずかな望みに向かって先走る。
可能性はゼロではない。

しかし、その黄色いページをもの凄い勢いでめくっているものの
いっこうに清掃局にはたどり着かない...。
ワタシは手を動かしながら頭の中では未だ ずっと自問自答していた。

オレ、ホントに捨てちゃったの? うーん、でも...。
いやいや、ありえんだろ...しかし....。
やっぱマジでオレ、ゴミに出しちゃったん.....だよな。
「................。」
突然、お腹のあたりから頭に向かってカァーっと熱い波動が駆け上がると
心臓がバクバクしだし、指先が心なしかしびれてきた。
この時、ワタシは本当に
「10万円入りの財布を燃えるゴミに出してしまったのだ。」 と、
躰のひとつひとつの細胞全てで実感した。(大げさだがホントにそんな感じ。)

そして目に映っている番号の列を脳が何も処理していない事に気付いたワタシは
手を止め、天井を仰ぎ見た。

ワタシは去年目黒区民になった。
6年もここに住んでいるのにである。
それまでは静岡の実家で父の扶養家族の一員ということになっていた。
それはさておき、晴れて目黒区民になったときにもらった
「目黒区 くらしのガイド」という冊子のことを思いだした。
これなら清掃局の電話番号が載っているはず。

本棚の隅から冊子を引き抜くと素早くページをめくった。
ページの端にある、それが何のページかを示すインデックスが
次々と変わっていく。

「身近な行政」「税金」「健康・医療」.....

「いざというときに」 という項目に
一瞬、目が止まる。
今、自分の置かれているのはまさにこれだ。.....しかし残念ながら違う。
いざ というのは人命にかかわることを指すらしい。

10万円は充分に命にかかわるような気もするのだが...、まぁいい。

そして「暮らしと街づくり」のなかに 
ごみとリサイクル という項目を見つけ、
目黒区清掃事務所の電話番号を確認し、ダイヤルする。

トゥルルル....トゥルルル....トゥルルル....

なかなか応答がない。もし、まだ間に合いますと言われたら...

ワタシは清掃車いっぱいに積まれたゴミの中から
「Ozeki」と緑色の文字で書かれたスーパーの袋を
必死に探している自分の姿を想像した。

トゥルルル....トゥルルル....トゥルルル....

ガチャ、「お待たせいたしました。目黒区清掃事務所でございます。」
お年寄りの物静かな声がそう応えた。

「あのう、すみません。
お財布をまちがってゴミに出しちゃったんですけど...」
(10万円も入ってるんです!)心の中でそう付け加えた。
「下目黒4丁目なんですが...」

「いつ 出したんですか?」
「昨日の夜な...いえ、今朝なんですけど...。」
(カラス対策の為、前の晩にゴミを出すのはルール違反である。)

「今朝ねぇ...。トラックに積まれている時ならなんとかなるんだけど、
この時間じゃあねぇ、焼却場に集めちゃうと
もう、どうにもならないんだよねぇ...。」

テレビで見たことがある。
深さが20メートルもありそうな縦穴のふちに
清掃車が何台も後ろ向きに並び、荷台の箱を傾けているのを...。

テレビの画面を通しても臭ってきそうだったあのゴミに埋め尽くされた深い穴。

......ワタシの財布は既にそこにある。
「ゴミの穴へダイブする自分」を想像しかけてやめた。

「そうですか....。わかりました。どうも失礼しました...。」
ワタシは未練を残しつつ、少し寂しそうにそう言うと静かに受話器を置いた。

終わった。

チーン。ご臨終です。ご愁傷様。
一人、冗談めかしてそうつぶやいてみると侘びしくなった。

 

 

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