「10万円入りの財布」


2000年10月13日の金曜日

まさか、こんな事が自分に起きるなんて...。
今でもまだ信じられない。

ワタシは意外と几帳面なほうである。

 

◇ 第一章 ◇

 

この日、ワタシはお昼まえに目を醒ますと、笑っていいともを見ながら
納豆とみそ汁で朝食兼昼食をとり、のんびりとくつろいでいた。
やるべき仕事は昨日までに全て仕上げ、今日一日何もすることがない。


さて、今日はなにをして過ごそうか...。

スニーカーが傷んできている。
そういえば、洗濯洗剤も残り少ない。

まぁ、そんな身の回りの買い物でもしてこようと考えて着替えはじめる。
ここ何日か続いたぽかぽか陽気とはうって変わって今日はどんよりと曇って肌寒い。
長袖の少し厚めのシャツを着ると、
いつも財布を置いている長いテーブルの、2台並んでいる右のパソコンの前に手をのばした。


財布がない...。
あれ??

ま、几帳面といってもワタシはロボットではないので
100%必ずその場所に財布を置いているわけではない。
バッグの中に入れっぱなしという事や
買い物から帰ってきた時、キッチンテーブルに置いてしまうことだってある。

そう気を取り直して、バッグを開けてみるが何も入っていない。
テーブルの上にも見あたらない。
....当然だ。
昨日はバッグは使ってないし、買い物へも行ってない...。 
ん? じゃあ財布はどこへ行った? 瞬間、冷たい汗がうすく全身を包む。
いやいや、まぁまぁまぁまぁ。
何を焦ってるん、自分!(苦笑)
泥棒に入られた形跡はないんだから、部屋の中にあるでしょ、そりゃあ....。
ワタシは軽くパニクったまま、前日の行動をひとつひとつ思い出してみた。

昨日は一日中コンピュータに向かっていた。
家から出たのは二度。夕方、タバコを買いに近所の自販機まで行った時と
夜中に燃えるゴミを出しに行った時だけ。
最後に財布に触ったのはそのタバコを買いに行った時だ。
しかし、落としたりはしていない。
釣り銭をしまった財布を右手に、左手にはタバコを持ったまま
部屋へ戻ってきた時の事はしっかりと思い出せる。
では、まさか? 
一瞬、嫌な想像が頭に浮かんだが、それを無理矢理押しのけ、
自分の性格のいいかげんな部分に、
この上ない期待をしつつ部屋中を探し回った。

書類や資料の山、脱いだズボンのポケット、
引き出しの中、ベッドの上、ソファの裏...

ふと、弟のことを思いだした。
彼はいつも財布や携帯電話を探している。
「母さん、オレの財布知らない〜?」
「またかね、いいかげんにしなさいよ」
実家に帰るとよく耳にするやりとりである。
しかし同じ兄弟でもぜんぜん性格の違うワタシは
財布をなくしたことなど今まで一度もなかった。

こんな時、結構几帳面な人間は寂しいものだ。
探すところがない...。
あるべき所になければ、もうそれはないのだ...。
もちろん、万が一思わぬ所からでてくる事を期待して探してみる。
しかしその期待値が文字通りゼロに等しいことはよくわかっている。

もう惰性で探していた。
冷蔵庫の中、靴箱...
トイレの便器をのぞき込んでみる。

あるわけがない。

財布の中には、2日前に下ろしたばかりの10万円が
そっくりそのまま入っている。(10万円だぞ。10万円!)
あと銀行のキャッシュカード、免許証、レンタルビデオのカード、
買ったばかりのJR3000円イオカード、
ビッグカメラのカード(残りポイントはたぶん2000円ほど)、
近所のスーパーOzekiのポイントカード
(たったの1%しか付かないポイントを2年がかりで
4000円もためているというのに)  
あと 何が入っていただろう...。 

バスタブや家庭用サウナの中まで探しても見つからず、(あたりまえ)
さきほど無理矢理押しのけた想像... 
しかし、もうこれしか考えられないという結論に達した時、

ワタシは近くのゴミ捨て場へ全力疾走した。


普段ワタシは部屋に戻るとほぼ無意識に近い動作でカギと財布を
ポケットから取り出し、パソコンが置いてあるテーブルの上に置く。

問題はその真下にゴミ箱があることである。

昨晩、パソコンがフリーズしたあの時...
無理な体勢でパソコンの裏に手をのばし再起動を試みたあの時...!?
財布がゴミ箱に落ちた...?
そしてそれに気付かずゴミに出してしまった...? ....マジっすか...。

頼むから誰か嘘だと言って。

しかしゴミ箱からゴミ袋へ移した時の感触が
鮮明に甦ってくると、それを確信せざるをえなかった。

紙くずしか入っていないはずなのに、ゴミ袋へひっくり返した時、
ドサッと何か固形物が落ちたような手応えがあったのだ。
しかし、少しも気にしなかった。
2度ほど続けて燃えるゴミの日を逃していた昨日のワタシの頭の中は
とにかくゴミを捨てる事でいっぱいだったのだ。

「白いゴミ袋が山と積まれている」そんな風景を
土下座でもするくらいの気持ちで思い描きながら、息を切らせて角を曲がる...。

頼む!ゴミの収集車がまだ来てませんように。
お願いしま

「..............。」

ゴミ捨て場は何事もなかったかのように綺麗だった。
ゴミの収集は朝10時ころである。
3時間ほど遅かった。


とぼとぼと戻ってくると、
小堺一機がテレビの中で、「ごきげんよう」と、笑っていた。

 

 

 

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