奥祖谷の二重かずら橋

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「奥祖谷の二重かずら橋」です。   「奥祖谷の二重かずら橋」

  

 「男橋」を渡り、下の川岸から上を見たところ  「男橋」を渡り、下の川岸から上を見たところ

  

「女橋」がある川岸から2つの橋を見たところ  「女橋」がある川岸から2つの橋を見たところ

   

「男橋」の入口から向こう側を見たところ  「男橋」の入口から向こう側を見たところ

  

「男橋」の入口から少し横に寄ったところから見たところ  入口から少し横に寄ったところから見たところ

  

「女橋」の入口から向こう側を見たところ  「女橋」の入口から向こう側を見たところ

 

「女橋」の入口から少し横に寄ったところから見たところ  入口から少し横に寄ったところから見たところ

   

   

渡り木の間から足を滑らして下に落ちないように 注意!! 注意!!  渡木の間から足を滑らし下に落ちないように注意!!注意!!

子供と一緒にかずら橋を渡る時は、必ず子供の手をつないで渡りましょう。

   

かずら橋入り口から坂を下っていくと「奥祖谷かずら橋」の由来が右側にあります。  かずら橋入り口から坂を下っていくと右側にあります。

   以下に内容を記します。

     「かずら橋は祖谷13橋といわれ生活道として利用されていたが、現在、西祖谷山村善徳

    と共に2橋だけが残っている。

     奥祖谷かずら橋は、約800年前、平家一族が讃岐志度の浦の戦に破れ祖谷の地に逃れ、

    後、剣山平家の馬場で敗馬の調練に、また、木挽、杣、猟師等一般に利用されたものです。

    剣山信仰のため香川県、徳島県の海部郡、高知県物部村との交易に、一般生活道として

    利用されたものです。」

   

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