祖谷のかずら橋

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大きな木とツルで引っ張ってあるのがわかります。   これだけの頑丈さがあれば、この橋を渡るのも怖くない?

祖谷のかずら橋を道路側から覗いたところです。   祖谷のかずら橋です。

   

    

橋の出口側から振り返って見たところ。その1。   橋の出口側から振り返って見たところ。その2。 橋の出口側から振り返って見たところ

 橋の出口側から振り返って、下を覗いたところです。  かずら橋を出口側から下を見たところ

    

     下に降りて、川岸から橋を見上げたところ   下に降りて、川岸から橋を見上げたところ

    

    

「祖谷のかずら橋」の解説です。  かずら橋入り口の左側にある説明

  以下に内容を記します。

    「徳島平野を貫流する四国三郎吉野川の上流祖谷川は、四国の霊峰剣山に源を

   発する渓谷で、谿は極めて深い、それがため祖谷川を挟んで両岸に集落ができて

   からも、お互いの間の往来は阻まれていたのである。指呼の間にありながら直接

   行き来できない歯痒いさを長年味わって、住民たちが工夫の末編み出したのが、

   このしらくち蔓で作った蔓橋である。

    伝説では、弘法大師が当地巡業の際創めたとも、また平家が讃岐志度の戦いに

   敗れて、この地に逃げ込んだ時、源氏の追手を拒むため、断ち切り易いこの橋を

   平国盛が考案したとも言われている。

    それはともあれ、両岸の住民は毎年寒峰、熊谷等一千メートル以上の山に自生

   する直径八センチもある、しらくち蔓を秋の収穫を終えた、十二月初め頃、約五トン

   採取して架替作業を三週間余りかかって行ったが、大正十二年通学生のために、

   板の吊橋が出来てからは、三年に一度の架替となった。

    昭和三十年二月三日、重要民族資料に指定して、これを保存することになった

   のは、ワイヤーを用いない吊橋は、しらくち蔓を数網に五本壁編に左右ニ本ずつ、

   それに両岸の大木より、丸太や割木のサナギと称する橋桁を細かずらで、古法を

   今に存しているところからであって、おそらくは千年に近い古において、火で焙って

   自由に編むことのできる、この蔓を材料に選択し案出したものと思われるが、自然

   を自由に駆使したその独創力は今日の眼にも驚嘆に値するわけで、先人の工夫努

   力の良き記念として長く保存したいと考える所以である。

    昭和三十年二月、重要民族文化財指定を記念に架替えた、蔓橋の全長及び高さ

   等は下のとおりである。

      長さ 四十五メートル

      幅  ニメートル

      高さ 十四メートル(中央水面までの高さ)

   重要文化財保護委員会  

   西祖谷山村教育委員会  

   西祖谷山村 」

    

    

今年からライトアップされた、祖谷のかずら橋の夜景です。その1。  今年からライトアップされた、祖谷のかずら橋の夜景です。その2。 夜景に映えて美しい。

      古代、源平合戦の叫び声が聞こえてくるようです。

    

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