国電

1966年(S41)

 「国電」今や私語である。日本国有鉄道(JNR)の電車の略である。主都、大阪圏を走る電車の名称である。この画像は、60年代のものであるがこの型(101系)のデビューは中央線で1957年だった。高度経済成長期とほぼ同時に生まれた型である。通勤ラッシュの緩和のために大量に生産された、クルマでいえばカローラみたいな位置付けである。性能面、安全面ともに当時は未来を見越した設計であった。国電と言う名称は国鉄解体で無くなり、JRとはやりの英文略号で呼ばれていくが、愛称を公募して「E電」としたようだが、死語となっていった。JRができた頃横並びに英文略号になった。英語の雰囲気に弱い日本人は何か新しい感覚を覚えるのだろう、騙されてしまうのだ。Jがつく名称(CIなど)がやたら増えていった。昔は、NHKとYKKくらいしか無かったのに。その点で言うと、国電という名称はいい。かわいい感じもする。車体の色もおしゃれである。しかし、実際には労働者の通勤列車で「酷電」などと言われたこともありまた。今では冷房化されてるが、当時はまだ扇風機だった。70年代までは完全冷房ではありません。当然窓が開き、この型は全開しました。窓の部分が全部開くのです。夏なんか、オープンカー感覚で夏なんか風を切って景色を眺めることができました。中央線の四ッ谷のトンネルに入るとトンネルの壁が迫って迫力モノでした。うるさかったけどなつかしい。国電と言う名称の前にも「省線」(鉄道省の路線)という愛称が戦前を使われた。愛称と言うものは歴史と共に変わる、しかしそれは誰かが決めたりするものではない。


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