げんぴんさんの事

能楽の主役はシテと呼ばれ、能の「三輪」のシテは三輪の里に住む女ですが、現代的なドラマの見方か
らすると、ワキの役の玄賓僧都が物語の主人公ともいえます。物語は玄賓僧都の登場に始まり、そこに
女が現れ、三輪の伝説へと導いてゆきます。そして三輪山の神として真の姿を見せた女神は、僧都に救
いを求めつつ神語りをして消えうせます。すべては玄賓僧都の体験する不思議な物語なのです。この玄
賓僧都がいかなる人か、平安末期の歌人・文学者の鴨長明の「発心集」に名僧として描かれている姿を
追ってみます。

それによると今からおよそ1200年前の昔、山階寺(やましなでら・興福寺の旧称)の貴い名僧であった
玄賓は、俗世を厭い、また名利俗心にまみれた仲間の僧侶達との交流を避けて、三輪川のほとりに草
庵を魅すんで隠棲していました。
時の天皇の桓武天皇は、この高潔の僧の噂を聞き、召し出だして伝燈大法師の位を授けました。しか
し、もとより本意でなかった玄賓は、平城天皇の代になり、更に大僧都の昇進を受けるにあたって、これ
を辞退し、いずくともなく出奔しました。この時、詠まれた歌が
三輪川の 清き流れにすすぎして 衣の袖を またはけがさじ
(三輪川の清らかな流れで洗い清めた 僧としての本来の生き方を 名利の為にけがすことは出来ませ
ん)
世の人々は、玄賓の思いがけない出奔を嘆き悲しみました。

年月がたち僧都の弟子だった人が北陸に用事があって旅をしていると、ある大きな川で渡し守に身をや
つした玄賓僧都を見つける。その場はやり過ごして帰りに尋ね行くと、僧都はまたいずくともなく去った後
でした。土地の人には、常に心を澄まして念仏ばかり唱える無欲な人で、皆に大層好感を持たれていた
とのことでした。
後の世に、この話を読んだ三井寺の動顕僧都は、渡し守になろうと試みて失敗に終わっていますが、そ
の志もまた貴いものでありましたと書かれています。

これより更に後、三重県の伊賀の国の郡司に正体を隠して下男のように法師として仕えた僧都は、ある
時主が国外追放の憂き目を見るに当たり、「私の存知よりの方が、国司の近辺におります」と申し出ま
す。身分の低い法師の言葉に主は驚きますが、他にあてもないので法師を伴って都に上ります。都に入
ると法師は、衣と袈裟を借りて、大納言何某の邸内に入ってゆきます。そして「申し上げたいことがござ
います」と僧都が声を発すると、その場にいた人達は、僧都を見て一斉にひざまずいたので、門のところ
で様子を見張っていた伊賀の郡司は大層驚いたのでした。大納言は大変なもてなしで僧都を歓迎し、郡
司の追放を取り消す書状をその場で書いてくれました。郡司は宿に戻って僧都にお礼を述べようと思っ
ていたところ、借りた衣と書状を置いて、またいずくともなく消え去った後でした。

名利も求めずただひたすらに仏道を求めた尊い僧であった玄賓だからこそ、三輪山の神も救いを求めた
のではないでしょうか。


トップへ
トップへ
戻る
戻る


このページは能楽師遠藤喜久の活動情報を発信しています。掲載される文章・写真には著作権・肖像権があります。無断
転用を禁じます。