謡いの稽古のイロハ


*ここに書いたことは、私の個人的体験を通じて得た情報であって、能全般について、他の演者について規定するものでは ないことをお断りしておきます。そのことをご理解頂いて、ひとつの私見としてお読みいただけたらと思います。

謡い(うたい)

能の台本を謡い本とか謡本 という。
この謡本は、能の台本だから一曲に謡われるセリフや詞章が全て書いてある。(中入りの狂言のやり取りは書いていない)
独特の台詞回しや、リズムや音階変化を伴った歌も全てこれに記してある。
能の歌は、謡い(うたい)という。
したがって、能の台本を謡う事は「謡いを謡う」とか「謡曲を謡う」という言い方をされてきた。

能を上演する時は、装束(衣装)を着た登場人が、セリフや謡いを謡って物語を紡いでゆく。
また、地謡(ぢうたい)という合唱団が、あるときは主人公を代弁し、ある時は情景を描写し、またある時は、登場人物達の心 情を謡いあげる。
能は、語り物的な性格が強い芸能なので、この謡いによって物語りが作られてゆく。

この謡だけを、独立して上演することを素謡(すうたい)という。
つまり、登場人物の動きも、お囃子の音楽も無く、ラジオドラマ的に謡いでのみ物語を語って行くのだ。室町の能楽成立以 降、能の基本構成である謡いを謡い、また、それのみを演じて楽しむことも、能の上演と並行して古来より伝えられてきた。

全曲を謡ったり、その一部分だけを謡って聞かせるなど様々な上演形態がある。


*謡いの稽古のィ

能の台本は2百曲以上あるが、等級と稽古順がある程度定めれている。
しかし、初心の曲であるからといって易しいわけではないようだ。
そもそも稽古をする為に易しい順からといって台本が書かれたわけではないので、初心の曲でも、もの凄く簡単♪
というわけではない。
謡本には、リズムやメロディなどの記号が記されているし、決まりごとも多い。
初心に稽古をする曲は、曲の内容も理解し易く、メロディ(節という)も比較的簡単ではあるが、
5線譜の西洋音階を見慣れた人は、はじめ戸惑うかもしれない。
しかし、逆に考えれば上位の曲の謡本に記された記号や謡い方が、極端に難しくなるわけではないので、ある程度稽古が進 むと、自分で謡い本を読み解く事が出来るようになる。音階も複雑ではないので、慣れるとわかりやすいと思う。

稽古は、基本正座で床に座るが、昨今は会場の都合や足の悪い方もいるので、椅子に座ってする事も多い。
条件が許すならば、下半身をしっかりと支えられる正座が一番好ましい。
(もちろん、実際の能の登場人物は立って謡ったりもするから、座らないと謡えないということではないが、長らく能舞台では 謡いは正座をして謡ってきたという伝統がある)

さて格好だが、謡の稽古では着物を着て稽古する。
(これも勤め帰りなど、事情が許さない事もあるから、必ずというわけではないが、謡いの稽古でも汗をかくし、第一ズボンが しわだらけになる。理想を言えば帯は下腹をしっかりと支えてくれるので稽古着で稽古が出来れば一番であろう)
そして、扇を持って謡いを謡う。この扇は謡いながら振りかざしたりすることはないが、ちゃんとした作法がある。
また謡本を置く見台(けんだい)という台があり、これは流儀によって両脇の彫りが違う。
通常は稽古場にあるものを借りて使う。

こうして見ると、謡いは、本さえあれば楽しめる気軽な芸能である。

謡い方は曲によって様々だが、一曲の構成には、規則があり、これが分かってくると謡いやすくなる。
また、発声は、強く深い息を出し、それに詞や音を明瞭に乗せてゆく謡い方をする。
一般には独特な謡い方だといわれるが、耳慣れてしまうと体全体から声が響き、まさに腹から声が出てくる心地よい音声で ある。
よく腹式呼吸の事を聞かれるが、お腹が動くわけだから腹式呼吸には違いないが、西洋的な発声理論から入ってきた腹式 呼吸とは違う。しいて言えば和式の腹式呼吸であるし、私的には「能式呼吸」といっている。
能は声楽のいわゆるメロディのある歌ではなく語りが基本になっている。
そして場面により音調・リズムも変わり、呼吸も自ずと千変万化する。
単純な腹式呼吸を頭でっかちに考えてもうまくゆかない。
結局その謡う場面場面に効率のよい強い呼吸が最適であり、呼吸法ありきではない。
しかし、それでも鼻から吸って腹深くにいれて、口から強く吐くのは基本であるが。
言葉にすれば息を吸って吐いて声を出すという、この簡単な事が実際に謡うとなると難しいものだ。
この辺りのことは、簡単に言葉では説明し辛い感覚がある。


稽古の基本は、オウム返しに師匠の謡いをまねることから始まる。
結局これが最も効率よく体得し学習する方法ではないかと思う。まさに学ぶは真似ぶである。

細かなことは師伝を受けていただきたいが、稽古を積めば息も強くなり、声も段々と出るようになる。
その味わいは深く、浪々と一曲を謡えるようになれば、能一曲を舞う程の魅力があるのではなかろうか。

2012.1






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