沈黙の旅1   竹生島編
〜諸国一見の能楽師〜

さて、数日間の旅でしたが、療養中のの患者とは思えない盛り沢山の名所巡りになりました。
もっとも、声が出せないだけで、体は元気でしたので、当然といえば当然でしたが。

琵琶湖周辺は交通の便もよく、実際はあまり歩きもせずに無理せず悠々と巡っていましたが、それがかえってよかったようす。免疫力が 高まったのか潜在能力が覚醒したのか、はたまた仏のご加護なのか、日に日に体調が良くなるのを実感していました。
口の利けない一人旅で最初はちょっと不安だったのですが、終わってみれば「旅は一人に限る。そして、筆談に限る」とまで思った、実に良い旅でした。
口は利けなくても文字は打てるので、自分宛の携帯メールに書き込んだ旅の覚書をもとに、今回の旅行を振り返ってみます。よろしければ暫くこの旅行日記にお付き合い下さい。なお、現地についての詳しい情報は、今やネットで簡単に入手出来
るので省略しました。興味のある方は、更にお調べ下さい。 果てしなくハマること請け合いです。     2007年3月初旬

西国行脚の日記

竹生島編
生まれてこの方、1週間も喋らなかったことはない。1週間も人に会わないこともなかった。
しかし、今回は、この1週間完全な沈黙が守れるかどうかで、今後の声の良し悪しが決まると医師に云われれば、なんとしても沈黙を守るしかない。
しかし、鬱々と家に居るのは気が重い。
で、退屈せずに1週間の沈黙を守るには一人旅が一番と、医師にも許可を得て旅に出ることにした。
そして、余り思慮もなく決めた静養の地は、琵琶湖であった。
激しい運動が可能であったなら、きっとサーフィンの出来る南国だっただろうが、そこまでは当然許可されていない。
また、風
邪をひいたりするのはなんとしても避けたかったので、寒い北国は候補から外れた。
自然、ゆったりと出来る風光明媚な琵
琶湖あたりに行くのがよかろうということになった。

口が聞けなくても、今やネットで予約も出来るし、ホテルとメールでやり取りできるので困ることはない。ホテルは大津に程近 い石山駅周辺に決めた。
静養の地に選んだはずだが、謡曲史跡巡りの拠点にはあまりに好都合だと宿をとってから気づく。
東京から新幹線で2時間弱。京都から30分とかからずに石山のロイヤルオークホテルに着く。
ひとまずゆっくり休んで、明日以降元気が出たら琵琶湖竹生島、石山寺、三井寺あたりは行こう。
丁度、社中の初心のお弟
子方の稽古で「竹生島」を課題にしているので、是非行っておきたいところだ。
流石に退院して直ぐなので、初日はホテルに
来るまでにすっかり疲れた。六時にはホテルで優雅に夕食をとって休む。
月夜が美しい。東京よりはさすがに星も多く見れ
る。


翌日。
ゆっくり起きて一時間かけて朝食をとりながら滋賀近江路のガイドブックを読む。
こちらは天気もよく思ったより気温も暖かい。
ぐっすり寝たせいか体調も良いので思い切って長浜経由で竹生島に渡る事にした。
急ぐ旅でもないし、くたびれたら引き返して帰ってくればよいのだから。

さて、いざ行動開始となれば筆談だと不自由かと思いきや、ホテルのスタッフをはじめ何処に行ってもとても親切にされる。
全く問題がない。日本っていい国だなとしみじみ思う。
石山駅から琵琶湖を廻る列車に乗って一時間近くのんびりと揺られてゆく。今回の旅の最中、どこに行くにも電車はずっと座って乗って行けた。座れさえすれば、電車の旅は楽チンである。戦国時代劇ではお馴染みの地名の駅を次々に通ってゆく。
信長で有名な安土もこの辺りか。なるほどよい土地柄だ。

近江路は天下を目指す道なのだ。車窓から見える琵琶湖が旅情をくすぐる。私にとっては初めて見る景色だが、湖あり山あ
りの景色は見ていて飽きない。そういえば、近江猿楽発祥の地もこの辺りなのだろうか。もう少し下調べをしてくればよかっ
た。
ガイドブックを読んでいるうちに、あっという間に長浜駅につく。ここは秀吉の城として知られるが、今あるのは、近年に作られたものだ。駅からも良く見えて目印としてもとても良い。長浜駅から長浜港まで15分。地図で見るよりは遠い道のりを歩く。
タクシーなんてあまり通らないのだ。まして平日、都会の喧騒を離れたこの土地では、あまり人にもすれ違がわない。
乗り場に行ってみると、観光船もシーズン前とみて客は十数名ばかり。
20分程の船旅で島を目指す。
琵琶湖は外周235キロもある日本最大の古代湖。日本のヘソに位置し、さらにその湖のヘソに竹生島があるそうだ。日本を人間の体に例えると、琵琶湖は子宮だという人もいる。能楽師にとって声は命だから、その再生の旅に母なる島に帰るのは図らずも実にぴったりである。





波を蹴立てて快速艇で渡っていると謡曲竹生島の一節が浮かんでくる。
しかし医師に完全沈黙で、ソッとも謡ってはいけないと言われているので、ぐっと堪えて兎も走る白浪の上を黙って滑って行く。
旅の間天気にはずっと恵まれたのは何よりだった。

島に近づくと港からすぐ上に登る階段と幾つか社が見える。
ご存知弁天様と龍神さまを祭る宮代だ。そして、ここは西国33箇所の観音霊場のひとつでもあるのだ。
島の南に港があり上陸する。
島全体が神域である。165段の石段はかなり急勾配だ。大事をとって同乗していた年配者よりも遅れてゆっくり登る。
急がない焦らない。
日頃の自分からは考えられないペースなのだが、これが意外にも旅を楽しくさせる。
まずは都久夫須麻神社(つくぶしま)神社にお参りをする。社殿は国宝だそうだ。詳しい謂れは、ネットでお調べいただきたい。(もうホントに詳しく書いてあるので)   




その神社の目の前に海に向かって龍神さまを拝む神棚かある。能「竹馬島」では、竜神がシテなので、私的には神社本殿や観音堂よりこちらが気になる。龍神祝詞が書いてあるが残念ながら声を出して読めない。
今、目前の海上が渦巻いて龍が現れても何ら不思議はない景色だ。   






龍神拝所の方はかなり修繕しがいのある状態で、趣はあるが痛ましい。さて、国宝の社殿抜け、そこから船廊下を渡って観音堂へ。観音霊場の30番目の札所だそうだ。合掌。



   
そして弁天様のお堂にむかう。こちらはなかなか立派で新しい。
神仏分離の後、暫くは放置された後、近年お堂を得たらしい。厳島、江ノ島と並ぶ日本三大弁財天である。合掌。

今回の旅では、これから本当に沢山の観音様や神様を拝むことになるのだが、その時はそんなことは考えてもいなかった。
そういえば、順序が後先になったが、こちらの手水舎は、なんと湖底から水をくみ上げているそうな。何でも夢のお告げで掘った霊験あらたかな水だそうで、これは喉にも良いに違いないと、龍吐水で手を清めた後、口に含み祈念をする。この龍が生きているように見えて、なんだか効きそうな感じがした。

お参りを済ませ資料館へ行く。此処には謡曲「海士」でお馴染の面向不背の玉があると聞いていたので、来るのを楽しみにしていたのだ。館内撮影禁止なので残念ながら撮れなかったが、レプリカが欲しくなるような魔法の玉の如き物であった。喩えが悪くて申し訳ないが、大きさ的にはガチョウの卵とか龍の卵位だろうか。ちゃんと中に仏様がおわします。ただしその時代にホノグラムはないから360度どこから見ても仏が表を向いているというわけでなく仕掛けはあるのだけど。
この他、平経正が島に上陸の際に奏でた琵琶のバチやら、三条の小鍛冶宗近作の鎧通しなど謡曲に馴染みの物があって楽しい。
一時間程の上陸時間で充分見て回れる。
帰りの乗船時間が来たので、名残惜しいが島を離れ帰路についた。港上空にはカモメではなく鷲が悠然と舞って船を見送ってくれた。
島のすぐ周辺は水深100メートルもあるそうで海底から突き出た塔の先端が竹生島にあたる。
島近辺の海底には土器などが見つかっていて海底遺跡があるそうだ。
その財宝を今も龍が守っているのかもしれない。
遠く離れてゆく島を見ながら、気分はさながら映画「ジェラシックパーク」のラストシーンであった(冒険を終えた気分ね)

長浜港に戻り、駅に帰る途中、近年再興された長浜城に立ち寄る。
中は資料館になっている。エレベータがあるのが有難かった。

最上階は琵琶湖が一望でき、後ろには戦国時代の古戦場が見える。
 秀吉は、ここから天下取りを夢見たか。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」(秀吉辞世の句)


西日を受けて銀色に光る湖面がとても美しかった。

つづく

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