沈黙の旅2 比叡三井寺編
3月初旬
竹生島参詣の翌日。
ゆっくり朝食を取りながら地図を眺める。

癒し系のホテルに宿を取ったのは正解で、朝晩と自然食材を使った栄養豊富なメニューでもてなしてくれる。
宿泊中、毎日
食事内容を変えてもらえたのは有り難かった。

昨日は、一番行きたかった竹生島に行って、もう充分満足なので休息日でもいいのだが、なぜか朝から目覚めさわやかで、
疲れが残っていない。東京でもこんなに元気な日はあまりない。
天気もいいし、この際思い切って比叡山に行ってみるか。山の霊気も体によさそうだし。

口が利けないというだけなのだが、筆談で尋ねるとホテルマンは懇切丁寧に行き方を調べてくれパンフレットを揃えてくれ
た。言葉を使わないだけで、いつも以上にコミュニケーションの密度が逆に濃くなるよな気がした。
言葉の代わりにアイコンタクトや表情での表現や目に見えない脳波的情報交換が行われるからか。
とても暖かい気持ちにな
る。

比叡山はどうやらケーブルですぐそばまで行けるらしい。
腰かけてさえ行ければ、部屋に居るのと大差ないのは昨日の外出
で経験済みなので無理なく行けそうだ。

休養に来ている筈なのに旅が潜在能力を覚醒させるのか妙に元気になってしまい出掛ける事にした。昨日の竹生島の神気によるものか規則正しい生活によるものかわからないが、体調はとてもよい。再び電車に乗って比叡山延暦寺を目指す。

延暦寺。
云わずと知れた天台宗の総本山。最澄の開いた日本仏教の聖地である。
仏教と一口にいっても、その宗派教義は多岐に亘る。
能の中でも色々と出てくるのだが、私も把握し切れていない。
うんちくのひとつでも述べようとネットで仏教の検索を始めたら、大海を泳ぐが如きであるので、ここは各自の検索にお任せ
しよう(笑)






坂本という駅からケーブルが出ていると、ホテルのスタッフが調べてくれた通りにケーブルの登山口駅までのどかな門前町の坂を歩く。例によりシーズンオフの平日の為か観光客らしい人もあまり歩いておらず静かな町並みだ。

旅中の私の格好といえば、風邪を引かないように毛糸の帽子とダウンジャケット。そして必需品のマスクと薬効のあるミネラルウオーター。今思い返すとかなり怪しい姿であったが、その時は自分の体調をずっと気にしていたから、さしておかしいとは思わなかった。

筆談で、見知らぬ方に写真を撮ってとお願いするのもわずらわしかったので、自分の写真がないのだが、かえってよかった。読者には、修行僧のイメージを想像していただいたくと有難い(笑)。

さてケーブルだが日本最長の2025メートルの長さで、海抜654メートルまで登ってくれる。ケーブルの乗客は私の他、若いカップルがひと組たけで、のんびりと琵琶湖を見下ろしながら上がってゆく。
3月の山はまだ肌寒く、構内ではストーブが焚かれていた。







車内観光テープでは、信長の事も語られる。

戦国時代、信長が全山を火の海にして焼き打ちした時、この山を鬼と化した武者達が駆け上がったと思うと、のどかな景色も凄まじく思う。

ケーブルとは登り降りの2台の列車にロープ?が着いていてバランスをとっているらしいが、比叡山のこの二台の列車は「縁」号と「福」号と言うらしい。齢99歳の延暦寺管主の直筆の文字を、持ち帰り可のチケットに印刷してある。ご利益のあるチケットだ。
 

トンネルを過ぎればいよいよ浄域である。
上の駅に着き、そこから少しの所に、入山受付所がある。
その手前に大きな駐車場があったが、今時は皆車で来て横川まで行くようだ。次回は絶対車で来よう。(近江路編に詳しい)


さて受付を抜けると、そこはすっかり拓けていて整頓され売店やお土産グッズも売っている。
とても広々としていて、神社のような趣だ。
もう少し樹木にうっそうと囲まれた薄暗い雰囲気をイメージしていたが、ちょっと違った。
延暦寺根本中堂に着く。
 

さすがに堂内は歴史を感じさせる。いたるところにある仏像も力に満ちたお姿でただならぬ気配である。撮影禁止で残念であるが広々とした大伽藍である。

しかし、歴史的建造物や仏像を見るだけでは、延暦寺を訪れた意味がない。一度訪れただけで啓示を頂けるなどとはさすがに思ってはいないのだが、"何か" をほんの少しでも受け取って帰りたいものだ。
ただ行くだけでは、学校を訪れて知識と
精神を養わないのと同じである。

それにしても、このお堂ひとつでも、未来へと守っていくのはさぞ大変なことだろうなと思う。掃除は、どなたがいつしているのだろう。能楽堂とは広さが違う。やはり朝お坊さんが、雑巾がけしてるのだろうか?偉くなるとしないのかな?などと考える。

お坊さんをあまり見かけないのだが、昼間は皆どこにいるのだろうか?どこでどんな修業をしてるんか?興味津々であった。
「一隅を照らす」という張り紙がしてある。これは天台宗の改祖、伝教大使・最澄さんが云われた言葉として今日に伝わっている。
自らがいる所で頑張って自らが光り輝いてまわりの他者を照らす人になりなさい。そういう人が国の宝なんですよ
という素晴らしい教
えである。

ここには最澄の開山以来1200年以上燃え続けいている消えない法灯がある。不滅の法灯といわれ、最澄の教えとともに今日に受け継がれている。現在この教えは「一隅を照らす運動」として、ここ比叡山天台宗が本部となって世界規模で行われている。
千年以上の時を越えて燃え続ける火。人々の祈りが凝縮されたかのような橙色の炎が、中堂の中で燃えていた。

中堂から観光バスも出ているようだが、まだ冬季シーズンらしく西塔、横川などへは不通で行けなかった。横川までいけばかなり宗教的雰囲気が濃く残っていると聞く。アジャリが山を駆け歩くのも横川の方らしい。謡曲「橋弁慶」の冒頭に謡われる西塔までは行きたかったが、少し山道を歩かなければならないので静養中と自分に言い訳して再びケーブルで下山した。
次回は是非訪ねたい。

山の上から見れば地上はまさに下界のようである。
喉が治れば、再びあの人々の渦の中で戦わなくてはいけないと思うと、出家したい気持ちに駆られた。まあ、修業はいずこも厳しいだろうから、せいぜい私がなれるのは山の居候くらいだろうが。
そういえば叡山で鐘を撞かせて頂いた。山にこだまする鐘の音がとても心地よく、合掌して下山した。




ベンチを掃除する箒がかわいい。


さて、ふもとの坂本には都の鬼門を守る日吉大社があり参拝。
通称 山王権現。全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮で、本殿は国宝である。
大物主神と大山咋神を祭っている。
シーズンでないせいかここも静寂につつまれていた。


比叡山の僧兵が強訴の為に担ぎ出したのが、日吉大社のみこしである。
織田信長の比叡山焼き討ちの際に、日吉大社も一度、灰燼に帰している。
今日あるのは
その後に再建されたものである。

西の本宮

さして歩いてもいないが、静養の割には山まで登ってしまってくたびれた。
でもなかなか来られないからと欲を出して帰り道に三井寺駅で下車。駅は鎌倉の江ノ電とかわらぬ感じ。
家並みの中に唐突
に駅がある。

三井寺まで十分ほど歩くが夕方になったので余り人にもすれ違わずに国宝の寺に着く。なんと本堂は巨大な工事テントで覆われていた。修復工事が行われるようだ。しかし中には入れるのでお参りをする。ご本尊は弥勒菩薩だが秘仏で見ることは叶わない。
   
ここは正式名称長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といい、天台寺門宗の総本山である。
伝承によれば、能「国栖」(くず)の題材となった壬申の乱で、大友皇子(天智天皇の子)と大海人皇子(天智天皇の弟、後に天武天皇)が争い、敗れた大友皇子の子が、父の霊を弔うために寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが始まりとされている。
この戦により天智天皇が大津に遷都した理想郷は、わずか5年で廃都となる。
後に、能「忠度」(ただのり)の中で歌われる、「ささなみや 志賀の都は あれにしを むかしながら の山桜かな」の「ながら」とは、この辺りのことで、滅亡に向かう平家の公達が、かつての大津の皇族の戦と自らを重ね合わせたのであろう。

三井寺といえば晩鐘だが。ここでも鐘を撞かせていただき満足であった。
能「三井寺」の中では間狂言の役者が「じゃーんもーんもーん」と擬音で鐘の音を再現する場面がある。
三井寺の鐘は三大名鐘だそうだが(音の揺らぎが違うらしい1/f 揺らぎというやつかな)、私的には山に響く叡山の鐘が広々
としてよかったか。琶湖を望む境内で謡曲史跡保存会の立て札を琵見つけニヤリとする。
残念ながらまだひと声も謡えない
のだ。
近江八景のひとつ。三井の晩鐘。


三井寺(寺門)と叡山(山門)は、、かつて抗争関係にあり、叡山との争いの時、かの武蔵坊弁慶が三井寺の鐘を引きずって山に戻ったという。その痕のある、引きずり鐘。とても人間技とは思えない。その怪力たるやギネスブックものである。
 観月舞台


  境内で見つけた石の観音様にふと心惹かれる。
古いものではないようだが、なんともたおやかで美しい。暫し見とれて撮影する。合掌。
この観音様の美しさに、帰りにも足を止め、何度も見返って眺めた。

 
東京に戻っても妙に忘れられず、とうとう思い出しながら粘度で造った物。写真左
更に自らオリジナルの右

その時は声が出せなかったので、黙って粘土をこねて観音様を作っていると不思議とありがたい気持ちになった。

三井寺はなかなか広々としたお寺で、のんびりと歩いて西国33箇所に指定されているご本尊の観音様を拝んで駅に向かった。
いや今日はよく歩いた。 もうこれで名所巡りは充分ではないかと思う。
明日からはホテルでゆっくり過ごそう。 今日も六時に夕食を取り、のんびりと過ごす。

つづく

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