H.C.ベランさんの思い出

ベランさん宅突撃訪問記
〜インスブルック郊外の美しい村、ランス村を訪ねて〜


輝く新緑が目に映え、眼下にはインスブルックの街並みが見下ろせる、そんな素晴らしい眺めの山道を、タクシーはランス村へ向かって登って行く。後方にちらりとアンブラス城の白壁が見えた。目指すはランス村に住む、画家のH.C.ベランさんのお宅。会ったこともない、名前も知らない、本で絵を見ただけの日本からの旅行者を、ベランさんは家に招いてくれたのだ。こんな展開になろうとは思ってもみなかった。インスブルックのホテルでレセプションの親切な女性が電話帳で調べてくれた、その番号に電話したことからこの突然の訪問は始まった。

“Kommen Sie.” 電話に出たベランさんは英語があまり通じなくて、聞き取れたドイツ語はこの一語。「いらっしゃい。」
半信半疑のままとにかくタクシーに飛び乗った。ランス村に入ってからはタクシーの運転手さんも何度か道に迷い、携帯電話でベランさんに電話して道を教えてもらいつつ、やっと到着。郵便受けにH.C.BERANNと書いてなかったら、見落としてしまいそうな変哲のないチロル風の小さな家。


本の写真で見たベランさんは精悍な風貌に鬚を蓄えた鋭い目の芸術家だったが、ランス村の自宅の居間で迎えてくれたベランさんは、真っ白い鬚は写真の通りだけれど、優しい面持ちの老人だった。確かもう八十歳を越えているはず。英語があまり通じないので片言のドイツ語を交えてのたどたどしい会話だったが、訪問をとても喜んでくれていることは良く分かった。考えてみれば見ず知らずの日本人の突然の無遠慮な訪問を怪しむどころか、旧知の友人のように迎え入れてくれたベランさんの厚情に敬服する。

ベランさんは奥様を亡くし、娘さんは遠くに住んでいるため、ランス村での一人暮らし。お手伝いの年配の女性が鍵を持って入って来た。片言ドイツ語で、どうやらアトリエに案内してくれようとしていることが分かった。近くにアトリエがあるとは知らなかったので感激。

アトリエは自宅とは細い通りを挟んだ反対側にある。自宅より大きいのではないかと思うような立派なアトリエだ。大きな作品を出し入れするためか、ガレージのような大きな扉。
案内してくれたベランさんは高齢のためか、ときどき足元がちょっと覚束ない。

アトリエに入ってまず中の広さにびっくり。次に目に飛び込んで来たのは、アトリエの壁一面に並べられた大作の数々。パノラマ地図のような商業的な絵に親しんで来たが、ベランさんの本領はここに並ぶ純粋絵画の方にあったのか。若い頃の作品なのだろう、画面に込められた力は並大抵ではない。ドラマチックで神秘的な色彩。どこか宗教的なものを感じさせる主題。大衆受けはしなかったかもしれない。が、ここに表れた緻密な描写力があったからこそ、あの壮大なパノラマ地図が描けたのだと納得する。最近はベランさんを真似たようなパノラマ地図をよく目にするが、ベランさんのパノラマ地図ほど精緻なものはない。その理由が分かった気がした。

アトリエの中央に大きな仕事机があり、様々な画材が並べてある。イーゼルには描きかけの作品。広いアトリエ内にはあちこちにソファが置いてあるが、その間には世界各地の工芸品が並んでいる。世界中で描いているから(日本にも来たことがある)、旅の途上で買い求めた工芸品なのだろう。あるいは記念に贈られたものかも知れない。特にチベット風のものが多いのは、あのエベレストの大作を描いたときの思い出の品かも・・・と勝手に想像を巡らす。

ベランさんが奥の小部屋から小さな画集を持って来た。サインをしてくれる。予期せぬプレゼントに感激していると、「そうそう」という感じでまた小部屋に戻り、今度は作品を印刷したグリーティング・カードを持って来てくれた。この、どこの馬の骨とも分からぬ訪問者に、何か記念にあげられるものはないかと思案しているのが分かって、涙が出るほど嬉しい。

ゆっくりお茶でもと薦められたが、外にタクシーを待たせてあるので長居はできないと説明すると、本当に名残惜しそうに通りまで送ってくれた。手を握り合ってお礼と別れを言い、タクシーに乗った。もう少しドイツ語ができたら、もっといろんな話ができただろう。が、言葉はたどたどしくても心は通じるものだとも思った。拙い片言ドイツ語を真剣な眼差しで聞いてくれた蒼い目を、今も思い出す。
(1998年・春)

ベランさんはこの訪問の翌年逝去されました。インスブルックの町を見下ろす山の中腹の、色とりどりの花で溢れる墓地に眠っているそうです。

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