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「日韓戦」−サッカー・アジアユース大会−観戦旅行記

柴田 学


★本稿は、筆者のサッカー関係のメーリングリストへの投稿を、許可を得て転載したものです。


【10月29日(木)】  翌日へ

 15時で仕事を終えて日暮里駅へ、やっぱりこれからタイへ向かうと思うと気分がウキウキ。ところが日暮里駅で財布を広げるとガビーン、何とスカイライナーのチケットが入ってな〜い。記憶をたどると、昨晩は渋谷の「On the Beach」【サッカー好きが集まるバー】でエジプト戦を観戦した後にタップリ飲み、帰ってからすぐ寝てしまったので、今朝眠い目をこすりながら出発準備をしたんだっけ。その時財布の中にあったサッカーチケットの半券をまとめて取り出したんだけど、一緒にスカイライナーの券を出してしまったようだ。いきなりの大失敗(笑)。ということでもう一回券を買いスカイライナーに乗 車。そこで一安心ということで、ビールを2本程飲み干す。そしたら昨晩の飲み疲れからかすっかり寝込んでしまい、車掌に起こされるとそこは第1ターミナルの駅。本当は第2で降りるはずだったのだけど・・(笑)。普通だったら電車で折り返すことになるのだが、成田ではそのようなことができないので、無料の連絡バスで第2ターミナルに向かうのだった。タイ航空671便、19時定刻に出発。


【10月30日(金)】  前日へ 翌日へ

 0時20分、バンコク・ドンムアン空港に到着。早速眠るためにトランジットホテルへ直行するが、大幅に値上げされていて4時間で何と1400バーツ、邦貨で5000円近くもするではないか。これじゃたまらんということで、ロビーで寝ることにした。とは言ってもすぐ寝られないので、ビールを買いに行く。同じ缶ビールでも売店によって値段が1、5倍くらい差があり、入念にチェックして一番安いところで3本購入。テレビではスペースシャトルの打ち上げ準備の放送を行っており、結局打ち上げまで見てしまった。スペースシャトルの打ち上げを生で見るなんて、よく考えたら今回が初めてだ。その後ベンチで入眠。


 7:15発のタイ航空100便にてチェンマイへ、8:25チェンマイ着。いつもは通りまで歩いてバイクタクシーをつかまえるのだが、今回は疲れていたのでタクシーで市内へ。ターペー門近くのVIPゲストハウスにチェックイン。ここは高級ゲストハウスで、温水シャワーにエアコン、衛星放送付きのテレビが付いていた。とは言っても、1泊1000円くらいなんですが・・(ちゃんとしたツインルーム)。

 その後NHKニュースを見るために日本食堂「さくら」へ、ここはNHKのBS放送が見られたり、読売新聞の衛星版が置かれているので大重宝、そして大盛りのカレーライスや中華丼が150円くらいっだたりするから最高!。その後ホテルへ戻ろうとターペー門を通ると、何とフランスで半日だけ行動を共にしたOさんと偶然も再会してしまった。何と彼は仕事を休んで、日本の初戦からチェンマイに滞在しているそうだ!。いろいろとつもる話があったので(フランスでは特に住所交を換しなかった)、彼のホテルへ行って話をすることにした。話が一段落したので、タイサッカー情報のホームページを作成しているTさんの携帯電話に連絡をする(メールのやりとりで教えてもらっていた)、そしたら17時から郊外のメージョー大学(愛知の大学と同じ発音)で選手が練習をするので来ないかとの誘い。彼はタイ在住のフリーコーディネーターで、今回はマスコミの仕事で合宿時からこちらに来ているとのことだった。練習場所は本来マスコミ関係者しか教えてはいけないことになってるそうだが、一般のタイ人や情報を聞きつけた日本人も来ているので構わないとのこと。早速Oさんと待ち合わせて行くことにする。

 夕方ターペー門で、帰りの足の確保を兼ねてトゥクトゥク(3輪タクシー)をチャーターしてメージョー大学へ。ちょうど選手のバスと同時刻に到着。レギュラー選手はスパイクを履かずランニングとストレッチのみ、清雲監督(以下・清雲)の後ろ、ちょっと離れたところに小野伸二(以下・伸二)が続き、その後ろにレギュラー組の選手が続いてランニング&足上げなどをしてるのが印象的だった。控え選手は清雲の指示に従ってミニゲームを行う。Tさんの話によると、最近になって選手がやっと清雲の指示を聞くようになったとのこと、最初の方は清雲が「後り15分もっと早く」と言っても選手はたらたら動くだけで、それにもめげず「後り10分」と大声を出していたそうだ。18時を過ぎて日が暮れてくると、選手は数人づつ固まって芝生に座り込み、3週間近く練習をしたグラウンドに思いをはせている感じ。そこへ清雲が手を叩きながら、「さあ終わりにしよう」とあちこちの輪を回ったが、すぐ動く選手は皆無、しばらくして各選手が立ち上がった。ちょっと間をおいて選手がロッカールームからバスへ移動、観客はそれほど多くないので、サイン・記念写真は簡単にしてもらえ、レッズサポーターの私は伸二からサインをもらちゃった(笑)。そして、フランス個人旅行者の有志で作ったオリジナルの応援用バンダナを差しだすと、快く受けとってもらえる。インターネットを愛好してる伸二なので、もしかしたらホームページ見てくれるかな?(噂によると海外のクラブチーム研究のためインターネットを活用してるとか・・)。

 その後チャーターしたトゥクトゥクでチェンマイ市内へ戻り、ナイトマーケットをぶらついた後に夕飯を食って、この日は早く眠りについた。


【10月31日(土)】  前日へ 翌日へ

 午前中は市内をぶらぶらするが、暑いので「さくら」へ行ってビールを飲む。しばらくすると、昨日大学のグラウンドでちょっとだけ言葉を交わしたNさんがやってきた。改めていろいろ話すと、何と彼はフランス滞在中、私のサッカー仲間の一人と野宿仲間になったそうだ。彼らはワールドカップ期間中、パリにいる時はモンパルナス駅で、地方へ行った時は駅か公園で寝ていた。その後いろいろと話が弾んだ。ワールドカップが終わると、ヨーロッパからイラン、パキスタン、インドを抜けてタイへやってきたそうだ。Oさん同様、日本の初戦からチェンマイにいるとのこと。その後BSで「ジュビロvsエスパルス」を一緒に観戦する。チェンマイまで来てJリーグに日本食と、何だかいつもの生活と変わらない(笑)。それでもテレビで生中継のサッカーを見るのは超久しぶりだ。いつもはレッズの応援でどこかしらのスタジアムへ行ってるもので・・。ちなみに食堂内に20人以上の日本人がいたが、サッカーを見ていたのはわずか3人。

 静岡ダービーを見終えると、いよいよスタジアムへ。Oさんを含む日本人数人で、ソンテウ(乗合ミニトラック)をチャーターして向かう。スタジアムに着くと、ちょうど3位決定戦の「サウジVSカザフ」の試合が始まった。座席近くにTさんがいたので、一緒に観戦する。Tさんの計らいで、我々はマスコミにしか配られないカラーパンフレットを手に入れることができた。でもこのパンフレット、だいぶ前に印刷したらしく伸二と市川の名前が入ってなかった。【伸二と市川はワールドカップ組なのでメンバーから外れていた】その後しばらくして、Nさんがやって来る。「柴田さん、太鼓叩けますか?」と聞かれるが、サッカー仲間の先生(音楽担当)から音楽2の通信簿をいただいた私に叩けるわけがない(笑)。理由を聞くと、最後の試合で悔いを残さないため、ウルトラスのするような応援をやりたいとのこと。日本人会から太鼓を借りる交渉も成立したらしい。それまでの応援といったら、テレビで知っての通り、ドラムを持ち込んでのチャカチャカチャン。あれは日系企業に勤めるタイ人がやっていたそうだ。予選リーグの日韓戦では、植田朝日【日本代表サポーターのリーダー的存在】らはスタンドで彼らと意見が食い違ってゴール裏の聖火台へ登ったらしい。ちなみにウルトラス【日本代表サポーターの総称】のタイ滞在の面倒を見たのは、Tさんだそうだ。あの日はレッドデビルズ【韓国代表サポーターの総称】も来ていて、彼らはいつもの応援をしていたので非常に悔しかったとのこと。話は元に戻る。私は応援なら協力できると申し出て、Oさんを交えて作戦を考える。できるだけシンプルな応援の方が良いだろうとのことで、歌を3曲に絞った。しばらくしてNさんが、Jリーグの応援で太鼓を叩いたことのあるという元ドラマーを探してきた。

 3位決定戦が終わりいよいよ決勝戦。スタンドはみんな座っているので、邪魔にならず立って応援できるところを考え、真ん中よりちょっと後ろの出入り口前に陣取る。Nさんが日本人会へ太鼓を借りに行く。ところがガッカリした表情で戻ってくる。どうやら太鼓を持ってくるはずの日本人が、仕事で来られなくなったらしい。こうなったら声で勝負ということで、NさんとOさんと私の3人で頑張ることにした。選手入場直前に韓国のドラが鳴りやむのを見計らって、3人で「ニッポンコール」を思い切り叫ぶ。かなりの人がそれについてきてくれた。テレビで聞こえたでしょうか?。その後は日本人会も「ニッポンコール」をするようになったので、我々はそれに合わせるようにした。その後もかなり頑張って声を出したのだが、いかんせん韓国サイドの応援にはかなわない。彼らは2〜30人であの応援をやってるのに、我々日本人ときたら・・。応援は完全に負けていた。日本サイドに座っている観客の半数以上はタイ人だったが、それにしても日本の応援は寂しかった。

 試合後、選手に「お疲れさま」を言うためにメイン入り口へ。すぐ清雲が出てきた、ちょうどその時一人の記者が「清雲さん、まだ監督続けますか?」の質問、ほとんどしゃべらずにすぐバスに乗ってしまった。この辺の経緯はスポーツ新聞にも載ってましたね。試合の評価などは、小野コーチが長い時間にわたって答えていた、どっちが監督だか分からない。その後試合に出た選手に握手をして「お疲れさま」を言う。本山はいい奴で、こちらが声をつぶしていることに気付いて、私に「お疲れさまでした」と言ってくれた。最後に伸二、バスに乗る直前に握手して「お疲れさま」と言った後、「お疲れだけど、帰ったらレッズで頼むよ!」と言うと、にっこり笑っていた。キャプテンの重圧から解放されて、レッズの伸二に戻ったような表情だった。

 この時のちっとしたエピソード。ユニフォームの上着だけでなく、レプリカのパンツまではいていた私は、タイ人の女の子からサインを求められてしまった。同行していた日本人が英語で、「こいつは選手ではないよ」と言ってくれたのでサインをすることはなかったが、中東じゃないんだからこんな年取ったユース選手がいるわけないじゃん(笑)。

 ソンテウで街に戻り、日本人10人くらいで飲みに行く。そのうち半数は、たまたま長期旅行の途中でチェンマイに来ていて、アジアユース開催を聞いてスタジアムへ足を運んでいたそうだ。みんなサッカーが好きになったようで、とても良かった。その中の一人の兄ちゃんは、ベイスターズのユニフォームを着ていた。その服で旅を続けているそうだが、何と胸には伸二のサインが!。白地にとても目立っている。予選リーグの時、試合後にもらったそうだが、その時の経緯には面食らってしまった。メイン入口で待っていたら伸二が出てきたので、サインをもらいに行ったが、何と隣りの稲本に「小野さん、サイン下さい」と言ったらしい。当然周りが凍りついた(笑)。それでも稲本はきちんとサインをしてくれたそうだ、その後まわりの一人が「小野はあっちだよ」と小声で教えてあげると、間違えたことに動じず、今度は伸二からサインをしてもらったそうだ。知らないとは恐ろしい。彼は「日本に帰ったら稲本を応援するぜ!」と言っていたが、当然だ!。


【11月1日(日)】  前日へ

 5時に起床。昨晩2時(日本時間4時)近くまで飲んでしまったので、3時間しか寝ていない。あ〜、起きられて良かった(笑)。フランスのワールドカップへ行った時は、寝坊してしまい帰国が1日遅れた(でもそのおかげ?でブラジル戦を見れた)。眠い目をこすり、シャワーを浴びて6時にゲストハウスを出る。トゥクトゥクをひろって空港へ。7時15分のフライトでバンコクへ。同じ飛行機に韓国の選手団が乗っていて、バンコクの空港ではミーハーな日本人の女の子に混じって、人気者の李東国(20番・エースストライカー)からサインもらってしまった。しかも一緒の記念写真まで(笑)。日本から決勝点をもぎ取ったので、李東国はご機嫌だった。最後に例のバンダナを渡したら、きちんと受け取ってくれたよ。

 18時に成田着。外苑前の「やる気茶屋」へ直行、サッカー仲間のフットサル大会打ち上げが行われていて、私の愛称の「ロボ」コールで迎えてもらった。


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