剣の光

第三章



 伊勢は藩主が待っている部屋まで歩いていった。隣の部屋で待たされていた。突然、何の断わりもなく襖を開けられ、伊勢は驚いた目で振り返った。八雲だった。伊勢の前に立っていた。
「・・・全く、どうして貴方が羽須美さまに呼ばれるのだ」
「貴殿はそのことに執着しておられるようだ」
「貴方は分かっていない」
八雲は口を釣り上げて笑った。
「貴方が登城したことによってこの城の全ての者に何らかの影響を与えたのだ。誰も望んでいなかったことだ」
「それはもとより承知だ」
「何」
「私はここに望んで来たわけではない。誰にも望まれようとも思わない」
「だが、羽須美さまは望まれた」
「貴殿がいやがるほど、武官としてではなく・・・な」
「そうだ」
「では聞くが、ご自分にとって不利なことをしていると思わないのか」
「そのようなこと、考えたこともない」
「美しさは一時のものだ。あと数年もすれば崩れてしまう」
八雲は高笑いをすると、伊勢を見下ろした。
「世渡りの下手な者が言いそうなことだ」
「言いたいことはそれだけか」
「ああそうだ、刀を預かる」
「なに、刀を」
「殿の寝所に入るのだから当然であろう」
「それは無理だ。あいにく、生まれてこの方、刀を肌身から離したことはないのでな」
「渡すのだ」
突然、伊勢は立ち上がると襖に手をかけた。
「待て、どこへ行く」
「もちろん、殿のところだ」
「そのような格好では行かせないぞ」
八雲の刀を抜くが速いか、伊勢は峰打ちを食らわせた。
「うっ」
「悔しいか?お付き武官の名折れだな、八雲殿」


「遅いな、待ったぞ」
白い夜着を纏った藩主が酒を飲んでいた。伊勢は面を下げた。
「殿に、お別れのご挨拶を申し上げに参りました」
「今、何と申した」
「ご挨拶に参りましたと、申し上げました」
「・・・許さぬぞ」
「百も承知でございます」
「許さん!!」
藩主は立ち上がった。伊勢も立ち上がる。
「もう、決めました。殿に止めることはできませぬ」
そう言うと伊勢は刀を抜いて、藩主に突き付けた。周りには宿直の者もいない。藩主は人払いをしていた。伊勢は脅した。
「これが分かりますか?人を斬るためのものだ」
藩主が刀を取ろうとした瞬間、刀を振り降ろした。
「うわぁっ」
夜着がするっと落ちた。すかさず、峰打ちする。斬りたくはなかった。
「貴方にはしばらくその姿でがまんしてもらおう」
伊勢は厩舎に向かった。



 翌日、小次郎は道場近くの野原で寝転がっていた。
どこからか、馬の蹄の音がしてくる。近くで止まった。
「小次郎」
名前を呼ばれて、起き上がり後ろを見た。
「これは・・・」
家老だった。
「休憩か?この間の宴では見事だったぞ、小次郎」
「めっそうもございません、何かご用でございますか」
「泥中の蓮が逃げた」
「え?」
何を言っているのか理解できなかった。
「そのうち、殿から召集がある。覚悟しておけよ」
家老は手綱を引いて後ろに向き直ると、疾風のように駆けていった。
「泥中の蓮・・・」
伊勢!
「あ・・・」
俺の力も借りずに一人で・・・。
「行ってしまった」
ああ、分かっている。あいつは誰の力も借りずに自分だけで行動できるヤツさ。いつもそうしてきたじゃないか。手を差し伸べて乗ってくるようなヤツじゃない。自分が分かっているはずなのに!俺は何を期待していた?

俺は!!

「馬鹿野郎ーーーー!!!!」



 その頃、城では珍しくあまり怒っていない藩主と側近と家老と指南役の大内がなにやら話していた。
突然、藩主が口を開いた。
「伊勢が逃げた」
「ええっ!?」
影丸と八雲、大内が驚きの声を挙げた。一人で城門を抜けたのか?
家老は知っていた。門番はあっさり殺られていた。これを近隣大名に知られたくはなかった。
「殿。あまりことを大きくしますと他の大名に知られてしまいます。ここは隠密を放った方が」
家老が藩主に促すように言った。
「いや、傷付けず生け捕りにするのだ」
「ですが、他に何か良い案でも?」
庭の池を見ながら口を開いた。
「小次郎を呼べ」

 家老と大内が出て行ったあと、影丸と八雲はそのまま藩主の部屋にいた。藩主はイライラしていた。
「羽須美さま、そのようにお怒りになさいますな」
「そうですとも。そのように出ていった者に怒ってもいたしかたありませぬ」
藩主は庭を眺めて、何も言わない。
「羽須美さま」
八雲が話し掛ける。
「私どもが極楽浄土へお連れ申し上げます」
「この世のものとも思えぬ甘美な夜を」
「お前たちが、極楽浄土を?」
しばらくして笑い出した。
「はははは!!!」
影丸と八雲は顔を見合わせた。
「ならん。お前たちでは役不足だ」
八雲の顔は鬼のようだった。その嫉妬は遠くに逃げた泥中の蓮に向けられていた。


 小次郎が呼ばれたのは昼すぎだった。道場で素振りをしていた。
「大変だ!小次郎!!」
兄弟子たちが走って来た。
「家老の使者が来て、お前を呼んでるぞ。お前、何かやったのか?」
「何も・・・」
「じゃあ、なんだ!?」
「俺は何もしていません。行って来ます」

 応接間に行くと声が洩れて来ていた。嫌な予感がした。
「・・・死んでお詫びを」
「いや、それは殿の御温厚で免れましたぞ」
少し、間が開いて使者が切り出す。
「ただ、小次郎を城に同行せよとの仰せじゃ」
「小次郎を・・・?」
「さよう」
我が師匠が悩んでいるのが分かった。我が子を取られ、今度は弟子を取られ・・・。
「そのお話、お受けいたします」
小次郎が応接間に入って来た。
「おお、では一緒に来てくれるな?」
「はい」
「小次郎、お前」
だめだ、とは言えない師匠に何も言えなかった。

 小次郎が部屋に通された時、すでに家老が待っていた。
「私の勘はあたったな、小次郎」
「・・・はい」
「何を仰せつかるか、分かっているか」
「伊勢を連れ戻せばよろしいのでしょうか」
「その通りだ」
その時、藩主が入って来た。小次郎の背中には緊張が走った。全ての元凶はこの男だ。斬り付けたくなる感情を押さえながらまっすぐ、前を見た。
「話は聞いておろう」
「は」
「連れ戻せ」
「仰せの通りに」
「では明朝より旅立て」
そう言うと藩主はそのまま部屋を出ていった。続いて家老も出ていく。小次郎は足音が消えるまで頭を下げていた。

 翌朝、まだ誰も起きない時間に小次郎は出かけた。口は噤み、開かれることはなかった。






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'99.10.3
Gekkabijin