剣の光

第一章



 広間には家老以下総勢二百名が黙って主を待っていた。十郎太は弟子を一人、連れてきていた。二人は並んで座っていた。
 すると、遠くからドスドスと足音が聞こえてきた。皆頭を下げて待つ。
「面を上げよ」
主が一言発する。それはさざ波のように広がって家老から下々の面が上がっていった。
 藩主の両脇には供が座している。その中に見慣れぬ顔が混ざっていた。十郎太は不安と期待の入り混じった面持ちで我が子の顔を見た。しかし、父の様子は子からは見えなかった。子は俯いていた。そして隣に座っていた弟子からもその者の様子はしっかりとは見えなかった。

「今宵は無礼講じゃ」
満月を愛でる宴が始まろうとしていた。すでに膳が運ばれて来ていた。
「伊勢、酒を持て」
そのとき初めて、皆の視線が名を呼ばれた者に集まった。
「は」
お付きの者が差し出した漆塗りの盃に酒を注ぐその姿に、皆の思考が交錯した。
『なぜ、お付きの者にさせないのだ』
『あれはどこかで見たことのある顔だ』
家老は顔を見た瞬間、思った。
「また殿の悪い癖が・・・」
指南役の隣に座っているのが場違いな程、流麗な物腰に透き通った顔容。
「真に・・・この細腕で剣が振れるのだからな。余程指導が良かったと見える。のう、十郎太」
皆の視線が一斉に十郎太に移った。
「滅相もございません」
『あれは十郎太の息子か』
『父親に似なかったのが災いしたか・・・』
家老が咳払いをすると静かになった。

「殿、今宵はすばらしい満月ですなぁ」
家老が話題を月に移す。
「うむ。眩しいくらいじゃ」
間が開く。
「おおそうじゃ。伊勢、あの月を二つに割ってみよ」
家老がすかさず、援護した。
「また、そのようなお戯れを。今宵は月を愛でる宴なれば、斬ることはできませぬ。また日を改めなさいませ」
「何」
藩主は無理難題を突き付けることで有名だった。再び周りが騒ぎ出した。
「それは良い考えですな、殿。伊勢殿がいかほどか我らも知りとうござりまする」
家老に反する者が、藩主の機嫌を取るために発した言葉。自分の子を城に仕えさせたい者がそこらじゅうにいた。伊勢はじりじりと追い詰められていく。
誰かが、叫んだ。
「殿が御所望じゃ!」
 十郎太、伊勢、弟子の三人には耐え難いことだった。

剣を見せ物にするなどと!

それも、気分屋の藩主の一言など、いつ覆されるか分からぬものを。弟子は伊勢を見ていた。膝の上で手を握りしめている様子が痛々しい。
 こんな思いをさせるならあの時、行かせなければ良かった。今、どのようなことをしているのか。あの馬鹿な藩主から何をされているのか・・・。弟子はいたたまれなかった。
「では、拙者が」
そう言うと、弟子は立ち上がり、縁側を降りて庭の池に向かった。あっけに取られている皆をよそに飛び石に立つ。
『あそこで何をするつもりだ』
弟子は太刀を鞘から抜くと、風が止むのを待った。
少し経つとぴたりと風が止んだ。
「はあッ!!」
池の水面めがけて剣が弧を描いた。月光が下がり水に浸かるとまた上がって来た。水飛沫は出なかった。
その数秒後まで月は二つに割れていた。
「おおっ!!天晴れじゃ!!」
『十郎太には逆らえんな。あの弟子に斬られるのはごめんだ』
感動と、驚愕と。すべての感情がざわめきになる。
弟子は太刀を鞘に戻す前、目の前で面を裏返した。ギラリと光る。

お前をいつか斬る!!
睨みながらそう思った。

それを見ていた藩主が不機嫌になり、こう言った。
「余に、刃を向けるか!」
十郎太は焦った。ここで藩主を怒らせてしまったら、我が子の運命は・・・!
「月を斬って返り血がないか、調べた次第にございます」
「ふ・・・ははははは!!!気に入った!」
その瞬間、十郎太の力が抜けた。
「名を何と言う」
「猪野小次郎と申します」
「小次郎、褒美を取らす」
「は。有り難き幸せ」
「十郎太はお前の師匠か?」
「さようにございます」
「いい弟子を持ったな」
藩主は十郎太を見ながら言った。
「襲名はしないのか」
それは、暗に伊勢を手放せと言っていた。
「まだまだ未熟者にございますゆえ、襲名などとてもできませぬ」
「そうか・・・皆の者、飲み直せ」
またいつもの宴が始まった。
小次郎は伊勢を見たが、伊勢の目が小次郎に向けられることはなかった。



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'99.9.15
Gekkabijin