華の宴

第七章 静寂



 午後、伊勢が仕事に出かけようとしている時のこと。
「今日から行かなくてもいいんだ」
小次郎が突然言った。伊勢は何のことか分からず、「え」と、声が漏れた。
「仕事には行かなくていい」
「何、だと?」
「断ってきた」
「な、何と言うことを!!」
伊勢の怒りの言葉も小次郎には届いていなかった。
「では、我ら二人どうやって生活するのか?」
「金のことなら心配するな。お前の倍は稼いでやるさ」
「お前と言う男は・・・」
「花街にいたらすぐ見つかってしまうからな。お前はここにいるのが一番だ」
少し間が開く。
「それに、」
「嵯峨野に会うのはやめろ」
「・・・どういうことだ」
「誰の目にもお前を触れさせたくない」
「私がどういう事をして誰と会おうが、お前には関係のないことだ」
「では、みすみす見つかってしまうようなことをするというのか?」
「見つかるのはもう時間の問題だ。隠れるより戦う方がいい」
「だめだ!!」
「・・・」
「傷ついたお前を見るのが嫌なんだ」
「臆病になったのか?ここに来る前だって傷ついたことはある」
「違う。本当は傷ついて欲しくなかった」
伊勢は黙っていた。
「お前は・・・知らないだろう」
西日で小次郎の着物が橙に染まる。
「俺がどう思ってるかなんてな・・・」
小次郎の声が静かに響く。

 欲しくて欲しくてしかたがなかった。伊勢と話す者には嫉妬を覚えた。家族でさえも。登城の際も行かなくてすむように何度も師匠にお願いした。自分が代わりに行くと。
 剣を通して精神の高みまで共有できると思っていた。だから毎日一生懸命稽古をした。しかし、伊勢の心までは読めなかった。相手をしているその一瞬で伊勢を知るには難しすぎた。心の動揺と微妙な剣使いの差。 もっと知りたかった。だからいつも「俺を殺すような気持ちでかかってこい」と言っていた。伊勢は応じなかった。本心を見せず技で隠していた。

 もう、限界だった。

「お前は、本心で戦ってはいない」
「本心で戦っていない・・・?は、何を言ってるんだ」
「俺に一度も腹を割ったことがない」

 怖くて怖くてしかたがなかった。心を剥き出しにしてかかってくる小次郎が。その表情、剣から伝わる力が痛いほど自分を求めているのが分かった。剣先から自分の心が読まれるような気がして相手をすることを拒んだ。一度考え過ぎで手抜きした。結果は伊勢の負けだった。

 だから、小次郎といるのは苦手だ。

 気が付くと西日は消えていた。薄暗くなっている。静寂が二人を襲う。

「お前の魂が欲しい」
そう静かに言った。
「魂」
伊勢は小次郎を見た。見て後ずさった。

 そこには今までの小次郎とは違う、獲物を狙う目をした男がいた。伊勢には一度も見せたことのない目だった。
「小次郎・・・」

 伊勢の周りには押し殺した緊張感が漂っていた。




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'99.3.7
Gekkabijin