黒い森

第十四章



その頃、王室は騒然となっていた。サガは、女官長に姫君の湯浴みをさせるよう申し付けた。すると、10分もたたないうちに、女官長がバタバタと走り込んで来た。
「大変です、陛下」
「何事だ」
「あの方は女性ではありませんよ!男の方です!」
「思った通りだ」
「え?」
「男の服に着替えさせよ。持って来た衣服はすべて捨てるんだ」
「・・・かしこまりました」
女官長が去った後、すぐに別の使いがやってきた。
「お調べした結果、持ち物すべてにお名前はありませんでした」
「そうか・・・。では乳母に聞く以外あるまい。なんとしても口を割らせろ」
「良いのですか?そのようなことをしても」
「生まれる前に王宮を出たのだから、手がかりがないのだ。ここには。それともこちらで決めた名前で呼んでも良いが?別に悪いことをしている訳ではないのだから、彼女には答えてもらわねばならない」
「は。かしこまりました」
青年王の前には、入れ代わり立ち代わり側近がやって来ては新しくやって来た彼のために、王の指示を仰いだ。
「御教育については、基本的なことから始めた方がよろしいでしょうな」
「そうだな。テーブルマナーや立ち居振る舞いに関して言えばまあ合格点だ。しかし、それ以外は全然だな。何しろ人間のことを動物だと思ってる。彼の教育には優れた人格者で何でも質問できるような者に任せたい」
「ではそのような教育者を探して参ります」
「あー、あとは武道もやらせねば。ひととおりのことはこなせるように」
「かしこまりました」
サガは、これから増々忙しくなってくるなと、ため息を吐いたのだった。

そうして数週間が過ぎた。王は、大臣など主要な役職に就いている者に、義弟を紹介することにした。ミロも例外なくその席に召集された。
「ミロ様、王室より正式な文書が届いておりますが」
ミロはルイから書状を受け取ると、中身を確かめた。内容を読んで行くうちに、彼の顔色が変わった。
「弟」
もう一度、口に出してみた。
「おとうと・・・?」
私は彼女を愛していた。
ここに、迎え入れるつもりだった。
それなのに、「王の弟」とは一体どう言うことだ。
「ルイ・・・新しいロイヤルのお披露目だそうだ。ここへ来ていただいた、あの方は、」
言いながら、顔を手で覆った。
「国王の弟君だそうだ・・・」
「えっ!?」
ミロに渡された書状を受け取り、中を見た。
「なんと・・・」

私はまだあなたを愛しています。

ルイが重い口を開いた。
「・・・当家は、何か処分でもあるのでしょうか」
ルイはミロが心配だった。当然だ。
「それはない。王太后の件もあるし、こちらに非はない。心配するな」
ただ、あの地図には森の所在を明記しなければならなくなったが。
そうして手の届かないところへ行ってしまわれた、彼の人を思った。
「お茶にしよう。紅茶の水色は紅い方がいいな」
「かしこまりました」
ルイが書斎から出て行った。

あなたは、どんな風に変わったのだろう。さらに美しく、さらに儚く・・・?
私は遠くで見守ることしかできません。紅茶の水色を見ながら、あなたの目の色を思い、あなたに渡す小さなメモを書くことしかできません。哀れな男だと思われていることかもしれません。私の記憶は、庭で見たあなたの美しい笑顔で止まっている。あなたのことを知りたいのです。私と話して欲しいのです。
ミロは紅茶が自然と波打っているのに気付いた。
「ほら、こんなに」
次は紙に付いたしみ。
「前が見えません」


その日の朝、正装した王宮の重鎮たちが続々と絢爛たる造りの間にやって来た。彼らも新しい王族に興味が非常にあるらしく、その手の話題は当然尽きなかった。また、広間に横たわっている噂もミロの耳に入って来た。
「今度の弟君、実はモーゼル公の領土で見つかったと専らの噂ですな」
「地理院の職には傷が入らなかったということはやはり・・・」
そこから先は王室の暗い話題になり、それは暗黙の了解だった。
そしてしばらくたつと、大広間に王室が入って来た。先頭に国王がゆっくりと歩いて来た。
続いて歩いて来たのは・・・。新しい王族。端正な顔の国王とは違う美しさを感じる。儚くも強くも感じた。
一同は顔を見て、ある姫君を思った。

痛々しいぐらいに、似ていらっしゃる。
不幸なことだ・・・。姫君ならまだしも。
あれでは王太后を逆撫でする。お気の毒だ。

玉座に座った国王は片手を上げると、「私の弟だ。よろしく頼む」と言った。そうしてミロは、裏切られたような顔つきで、国王より少し前に座ったその人を見ている自分に気がついた。
馬鹿らしい。彼が悪いのではない。そういう教育だったのだ・・・。
「カミュ・アルフォンス・ヴェルフェンです」
初めて名前を聞いた。カミュ。カミュ・・・。ミロは心の中で、滑らかに何度も名前を呟いた。しかし、これからは、「王子」と呼ばなければならない。
大臣から一人ずつ名前を呼ばれ、カミュの前に歩み出て行った。名前を呼ばれた者は、最敬礼をしてまた元の場所に戻って行く。
「地理院長官 ミロ・エセルウルフ・モーゼル!」
ミロはカミュの前に歩み寄った。一瞬、カミュの口が、「ことりさん」と形作ったように見えた。それは、とても小さくあるいは無声だった。ミロはそれには応えなかった。そして最敬礼しようとした瞬間、カミュはミロに、控えめに手を差し出した。
「ミロ、許されたぞ」
後ろから見ていた国王が、笑いながら言った。
「誠に光栄でございます」
ミロは手を取るように見せ掛けて、メモをカミュに掴ませた。そして自分は、カミュの手の甲にキスをした。手を放すと、最敬礼してその場を離れた。
カミュはびっくりしていた。心臓が破裂しそうになって、その後は上の空だった。早くメモが見たい。何が書いてあるんだろう。彼はなんと言って来たんだろう?

お披露目が終わり、カミュは部屋へと引き上げていった。長い廊下を国王と歩いている時、そのメモをさっと見た。
「親愛なる王子様 所縁の地のことは今後仰せになりませんよう、お願い申し上げます」
簡潔だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。カミュは部屋に着くと、泣いた。

ミロは自己嫌悪に陥っていた。
これが貴族のやり方だ。守るべき土地がある。でも、あの程度のことなら言わなくても良かったのではないか?ああしかし、これぐらいしかあなたを守る手段がありません。
どうしたらいいんだ。
「どうしたらいいんだ・・・」
ミロは、そう呟きながら執務室の窓から遠くを眺めていた。



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2002.4.20
Gekkabijin