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『ドストエフスキーの作家像』(鳥影社・2016年8月19日刊)

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あとがきに代えて

 ―プロの裏切り、この悪夢はいつまで続くのか―

 

私は本書、第七章のエッセイでこう書いた。

「亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』第一巻が出たのが二〇〇六年九月で、それ以来この九年間、ドストエフスキー文学の翻訳に関しては、私は何か悪夢を見せつけられているような気がしている」(375頁)。こう記したのは昨年四月あるが、この悪夢は、今年、二〇一六年に入って、さらに増幅する気配を見せている。

『カラマーゾフの兄弟』の誤訳、テキスト歪曲、恣意的な解釈をものともせず、「読みやすさ」を売り物にする出版社の戦略に無批判に乗っかって、出版市場を席巻した人物は、その余沢にあずかりたい他の大手の商業出版からも、大衆迎合の低レベルのドストエフスキー本をこの数年間に数冊出したあげくに、こんどは、『カラマーゾフの兄弟』の原作者と競合するかのような『新カラマーゾフの兄弟』の作者としてデビューした。通常ならば、このようなリメイクの場合、モチーフとして原作名を挙げながら、別の題名を付けるのが常識というものであろう。

ドストエーフスキイの会の先頃の一月例会で、早稲田の大学院生のTさんが、モスクワ芸術座の演出家ポモゴロフの舞台「カラマーゾフ家の人々」と題する破天荒なリメイクの芝居を紹介してくれたが、副題に、「ドストエフスキーの小説をテーマとした演出家K・ボモゴロフのファンタジー」という断りがあるとのことである。このように原作との一定の距離を明示するのがリメイクの基本的な作法というものであろう。

ところが、日本のこちらのリメイク本の宣伝文句(朝日新聞、二〇一五・一二・五)はどうか。「発売即重版 あのミリオンセラーの翻訳者がドストエフスキーの未完の傑作を完結させた!」「ドストエフスキーが憑依している」(辻原登)、「これは文学的事件だ」(東浩紀)、「常人の業ではない」(沼野充義)、「すべての読書人に勧める」(佐藤優)。

これではあたかもドストエフスキーに成り代わって書いたかのような宣伝である。ここに透けてみえるのは、ドストエフスキーの名を騙り、正体不明の本を無知な読者に売り込もうとする魂胆以外の何ものでもない。

痩せ馬が百姓たちに鞭を打たれながら乗りまわされる悪夢を見たのはラスコーリニコフであるが、私達が見せつけられている悪夢は、出版不況のなかで利潤追求に必死の出版社が、モンスターに育てあげた人物の虚名を乗りまわして、未熟な読者をターゲットに売り上げを計ろうとする図であり、それに迎合して、余沢にあずかりたい作家、評論家。書評家と称するとり巻き連の乱舞である。

しかもその本を出したのが、米川正夫訳全集をはじめ、ドストエフスキー関連本では信頼を置けると思われてきた老舗の出版社であるだけに、目を疑うのである。私は米川正夫先生の早稲田の大学院での最後の教え子であり、先生没後の米川哲夫氏を中心とする愛蔵版ドストエーフスキイ全集の編集の時は編集に協力した。この出版社の編集者とは頻繁な付き合いがあった。またドストエフスキー夫人アンナ・スニートキナの速記録の日記の翻訳書をこの出版社から出すにあたっては、編集者が著者に対していかに厳正であり、チェックをゆるがせにしない存在であるかを教えられた。

本書収録の資料L「謎解き『悪霊』」アマゾンレヴュー」に書いた別の有名出版社の例であるが、研究・啓蒙書もどきの本で、ロシア暦(ユリウス暦)とグレゴリオ暦の違いの誤った説明を一度ならず、繰り返し読まされるとなると、白紙の読者ならこの間違った情報を事実として鵜呑みにせざるをえないだろう。このようなことは、(著者の責任は論外として)編集者のチェックさえ利いていれば、絶対にありえなかったはずである。しかも、さらに重大なテキスト歪曲、誤解釈をはらむこの本が堂々と「読売文学賞」を受賞するという出版界の事情は、驚きというより、茶番としかいいようがない。いずれの出版社にも、真の編集者、プロといえる編集者はいなくなり、営業マンが場当たり的に編集業務に当たっているのではないか。ここには明らかに老舗出版社の質の劣化が見られる。

これに輪をかけて重大なのは、朝日、毎日などの大手新聞の文芸記者が、公正な報道機関のプロとはいえない無責任な記事を書き、こうした劣化した出版界の事情の正体隠しに貢献していることである。

 ちなみに、二〇〇七年一二月の段階で、「ドストエーフスキイの会」のニュースレター八五号に、私は次のような記事を書いた。

 

「今年、私たちドストエフスキー読者の目を引いた現象といえば、亀山郁夫氏訳『カラマーゾフの兄弟』にまつわるメデァの動きでしょう。出版不況の中での起死回生の一打として、亀山訳が登場し、読者にも「読みやすい」、「分かりやすい」と歓迎されて売上げの部数をのばし、あたかもドストエフスキーブームの再来のような観を呈しました。ただドストエフスキー全体ではなく、亀山現象が突出しているだけに、奇異な印象が残ります。マスコミによって「わが国ドストエフスキー研究の第一人者」と呼ばれるにいたった亀山氏のカラマーゾフ訳は、先行訳に代わって、スタンダードたりえるでしょうか。この点、誰もが無関心ではおれないでしょう。ここに会員でプロのロシア語使いであるNN氏が検証を開始しました。私も彼の作業に共鳴し、ロシア語レベルでの検討だけではなく、該当個所を先行(米川、原、江川)訳と対比して、ロシア語を解さない一般読者にも分かるように工夫しました。私は研究者としての自分の責任において、NN氏のこの検証作業(現在はまだ第一分冊にとどまる)を会のホームページに公開することにしました。興味ある方は覘いてみてください」

 

私には最初から、この奇異な現象がマスメディアによって作られた意図的、政治的のものであるという予感が強くあった。通常、誤訳だらけの欠陥翻訳ならば、自然に淘汰されて、姿を消していくはずのものである。ところが今度の場合、私達がぼう大な実例を挙げて「検証」「点検」をインターネットで公開し、そのことが二〇〇八年五月には「週刊新潮」に取りあげられて、亀山訳に疑問符がつくかと思われたにもかかわらず、私たちの批判は黙殺される形で事態は進行し、亀山のモンスター化・偶像化は一段と進行した。本書に収録されているドキュメントを読んでいただければ、その推移がわかるはずである。

社会の公器である大新聞で、記事を書くにあたって証拠をとらず、広告主の出版社やその代理人的な特定のロシア文学者の意向、意見を鵜呑みにして、無批判な迎合的な宣伝役をつとめる ― これがこれまで読者が見せつけられてきた朝日や毎日その他の新聞文芸記者の姿にほかならない。彼らが裏をとるための材料は、インターネットの私たちのページその他を開けば、いくらでもあったはずだし、私達の指摘が正しいかどうか、確認しようはいくらでもあったはずである。しかし彼らは「不都合な真実」には目を向けようとはせず、それを確認しようとはしなかった。本書資料第九章のM「朝日新聞記者宛」とN「朝日学生新聞社宛」で、私はそうした事実を指摘している。

二〇一四年になって、周知のように、「慰安婦問題」、福島原発の「吉田調書問題」で、朝日新聞は世論の批判の矢面に立たされ、外部識者を中心とする「信頼回復・再生チーム」なるものを発足させて、反省、点検作業をはじめた。亀山誤訳問題に対する朝日の報道姿勢も、本質的に共通するという視点で、私はメールでの提言の窓口(teigen)に意見を送った。第九章のOがそれである。もとより、私のこの指摘に対しての朝日の側からの返事はない。

そして、二〇一五年一二月一七日の朝刊「文化・文芸欄」に、「新カラマーゾフの兄弟」について、柏崎歓という記者が、大きな宣伝記事まがいのインタヴュー記事を書く。「信頼回復・再生チーム」なるものの打ち出した反省の原則に立つならば、まずは亀山の翻訳の実態をデータに基づいてフォローすべきはずであろう。そのためには私達の指摘は役に立ったはずだ。しかし記者は一切を無視し、不都合な真実には目をむけず、読者を欺く記事を仕立てあげた。「亀山さんが手がけて2007年に完結した新訳は累計100万部を超え、今も増刷を重ねる」と、何事も問題はなかったかのような記事を書いている。

そもそもその語学能力や作品解釈能力でも疑問符のつく翻訳者が世界的な古典の大作家に成り代わって書いたかのようなふれこみの、あやしげな小説を、読者の批評にゆだねる前から大げさに宣伝する、これが社会の公器と称する報道機関に許されることなのだろうか。

おりしも、二〇一五年一二月一八日の朝刊朝日一七面「耕論」の「月間安心新聞」欄に、千葉大学教授で、朝日の客員論説委員の肩書を持つ神里達博氏が「プロの裏切り プライドと教養の復権を」という注目すべき論説を書いている。

二〇一五年を振り返って、「プロのモラル」に関わる事件が多かったという書き出しで、旭化成建材の杭工事データーの偽装、東洋ゴムの免震ゴム性能偽装、血清療法研究所の不正、東芝の不正会計などの事例を挙げられているが、私の目からすれば、プロが素人を欺く現象は、二〇〇五年の耐震設計偽装事件(姉歯事件)あたりから顕著になっている。姉歯事件が明るみに出たのは一一月であるが、この年の六月に、亀山郁夫は、『悪霊』の少女マトリョーシャとスタヴローギンの関係について、ロシア語の専門家を装って、言語的にも文学的にも、読者に間違ったメッセージをあたえるセンセーショナルな解釈を打ち出した(シリーズ<理想の教室>「『悪霊』神になりたかった男」 みすず書房)。私の亀山郁夫批判は、実にこの時から始まったのである。資料@参照。私はこの批判文の最後にこう記した。

「理想の教室」ではロシア語の知識は必要としないのかもしれないが、プロの詐術が深刻な社会問題化している昨今、素人もうっかり専門家を信用していると、とんでもないことになりかねない。いずれにせよ、この問題の個所が亀山氏の意図的な誤訳であるとすれば、氏の「新解釈」なるものの耐震構造は一挙に崩壊する、と私は心配している」(465頁)

 

亀山はこの本のなかで、自分の手法をこう高言していた。

「テクストというのは、いったん作家の手を離れたが最後、必ずしも書き手の言いなりにならなくてはならない道理はないのです。独立した自由な生き物になるのです。そして、かりにこれが誤読だとしても、私はこの誤読を大きな誇りとし、できるだけ多くのドストエフスキーファンに吹聴したいと思います。何しろ、真理は一つだけなんてことは文学では絶対にありえませんからね。数学や物理の世界とはちがうのです。」(「『悪霊』神になりたかった男」みすず書房  2005  144頁)

誤読を正面切って正当化するこの疑わしい手法が、「読みやすさ、わかりやすさ」を売り物に、エンタメ性を強調する一方で、先行訳の難解性をことさらに強調して、新訳なる『カラマーゾフの兄弟』を売り出そうとした光文社の嗜好、戦略に見事にマッチしたことは間違いない。そこで彼らがミリオンセラーとして売り出した仕事の実態はといえば、本書の第7章「ドストエフスキー翻訳の過去と現在」の分析で、私が具体的な事例を挙げて論証した通りである。

私達がいくらその仕事の無責任でアナーキーな実態を指摘したとしても、出版社の資本に守られ、マスメディアにガードされ、ますますモンスター化していく人物の虚像化をとどめるすべはない。

東京外大のロシア語教師であり、NHKのTVロシア語講師を肩書に新訳を出した人物、さらに出版社の代理人として、マスコミでこの翻訳を持ち上げるロシア語・文学畑の東大教授、「精緻な訳」「深い読み」などと持ち上げる、取り巻きの評論家、小説家連―これらの人物たちは、一般の読者から見れば、プロにほかならない。また、朝日などの大新聞の記者が書くものも、一般の読者は公正な報道にたずさわるプロの仕事として、購読料を払って読んでいるのである。

先ほどの神里氏の論説にもどるならば、一連の事例を挙げた後、こう記されている。「これらに共通するのは、なんらかの専門性をもって社会に対して仕事を請け負っていた者が、主として経済的利益を増やすために、信頼に背く行為を行っていた、という点である。私たちはこのような「プロの裏切り」に対して、どう対処すべきなのか」

その対処法の一つとして、論者は「同業者の相互チェック」を挙げている。「品質を保証する職能共同体による自治」である。言い換えれば伝統的な職人の倫理の世界である。しかしこの職人の倫理の世界もいまや後景へ退いて、深刻なのは「多数の専門家」なるものが運営する大衆社会が出現した。神里氏はオルテガを引いて、「大衆社会の出現とは、誰もが専門家となり、しかし自分の専門以外には関心を持たない、「慢心した坊ちゃん」の集まりになることだと看破した」とのべている。

私は神里氏の論述を読みながら、亀山問題をめぐるロシア文学会の対応に、そのアナロジーを思い浮かべないではおれなかった。二〇〇八年五月、私と萩原俊治氏(当時・大阪府大教授)は連名で、日本ロシア文学会に全国大会での公開討論会を申し入れ、会長ほか理事、各種委員宛て六〇名ほどに次のような手紙を郵送して訴えた。

 

要望:

2008年度総会において、亀山郁夫氏のドストエフスキーをめぐる仕事について公開討論会を開催されるよう、理事会で検討されることを要望します。

 

理由:

周知のように、亀山郁夫氏の『カラマーゾフの兄弟』の翻訳を中心とする一連の仕事は、一昨年来マスメディアの脚光を浴び、外国古典文学の扱いとしては、突出した話題を提供しています。ドストエフスキーの代表作が広く読まれる現象自体は慶賀すべきことではありますが、亀山新訳のいまやキャッチフレーズともいうべき「読みやすい」ということにともなう新訳の実態はどのようなものであるか、いささか遅ればせながら、私たちロシア文学研究者も真剣に目を向けるべき時期だろうと思われます。

同業者としては、仲間の翻訳のあら探しを進んでやる気はしないものですが、すでに、一般の読者からも、批判的な反響が、具体的に誤訳、文体改変、テクスト改竄の指摘として出てきており、研究者としても、座視できないところから、背中を押されるようにして、愛読者・研究者の団体である「ドストエーフスキイの会」のホームページで、亀山訳の第一冊に限ってですが、詳細な「検証」、「点検」を公表しました。

亀山氏の仕事でもう一つ問題なのは、『『悪霊』神になりたかった男』(みすず書房)における少女マトリョーシャ解釈の問題です。これは「理想の教室」というシリーズのひとつとして書かれたもので、主に高校生などロシア語の分からない読者に向けてのドストエフスキー入門書です。それだけに亀山氏のテクスト偽造によって打ち出された新解釈なるもの社会的影響は、研究者として無視できないものがあります。亀山氏のこの解釈については、私達はすでにそれぞれ、研究者の立場で批判的見解を発表しました。

在野の翻訳者、文筆家として静かに仕事を公刊されたのなら、さほど問題視するには及ばないでしょうが、新聞社の出版文化特別賞を授与され、ジャーナリズムで「精緻な読み」(池澤夏樹)、「ドストエフスキー研究の第一人者」(NHK ETV特集)などと喧伝され、教育・研究機関の長(東京外大学長)であり、学会をも代表する一存在である以上、亀山氏の仕事の意味、その社会的責任は、あらためて学会の場で問い直されるべきであろうかと思います。ご検討の参考資料として以下を掲げておきます。

「ドストエーフスキイの会」ホームページ(http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/)掲載の亀山氏訳をめぐる「検証」「点検」、「少女マトリョーシャ解釈に疑義を呈す」(木下豊房)、さらに「ロシア語翻訳研究室」(http://9118.teacup.com/ifujii1/bbs?OF=30&BD=10&CH=5)掲載、萩原俊治の幾つかの論評のうち、200821日付「亀山郁夫のスタヴローギン論」。

 

これに対する回答は却下であつた。 議事録の公開の申し入れも無視された。次の年度に申し入れたワークショップも受け付けられなかった。職能共同体であるロシア語の専門家集団が完全に目と口を閉ざしたのである。ドストエフスキー研究者であった当時の会長、副会長の責任は重いと思うが、ほかの理事や委員は、専門外として自分の殻に閉じこもったにちがいない。

この問題のポイントは、学会員の共通の基盤であるロシア語教師の立場に照らして、このような誤訳、誤解釈の多い翻訳がミリオンセラーとして市場に流通するのを黙視していて、教え子達に顔向けできるのかという一点にあったはずである。おそらく、この職能共同体は、もめごとは好ましくないという消極的な理由から、プロの責任を放棄したのである。その後まもなく、亀山ブームを先導した東大教授が学会会長の座についた。大学を定年退職して、現役を退いていた私は直ちに退会届を出した。機能不全に陥った学会には何の魅力も感じなかったのである。

 神里論説がこうした流れに抗する方法として提案するのは、昔の職人やプロが持っていた「プライド」と失われた「教養」である。「すなわち、「目先の利益」や「大人の事情」よりも、自らの仕事に対する誇りを優先させることができるか、そして自分の専門以外の事柄に対する判断力の基礎となる「生きた教養」を再構築できるか、ではないか」

これはまさに至言というべきである。「読みやすさ、わかりやすさ」を売り物にする亀山訳『カラマーゾフの兄弟』の背景には、 当時、終局を迎えた国立大教養部解体との並行を唱える「反教養主義」があった。従来の思想的な読解、文学研究的な読解は難解で大衆の興味を遠ざけるものとし、ドストエフスキー研究の歴史上ではとっくにカビの生えた俗流フロイド主義のサドマゾ理論を、いまさら新しいもののようにもちだしてきたのだった。第7章で紹介した、文部科学省の委員会での「外部有識者」なる亀山の長広舌はそれを物語っている(406410頁)。

 先行訳についての敬意も、受容史についての知識もなく、独善的に独自性をとなえる無教養ぶりを、何か革新的なことのように見せかけ、出版社もまたそれを利用し、初心の読者層をターゲットとした売り上げ優先の戦略に利用したのである。

このようなプロの欺瞞を見破る努力をするのではなく、広告主である出版社の意向に沿って、真実の報道とはいえない宣伝まがいの記事を書く大新聞の文芸記者の欺瞞が、真相、実態を読者にはますます見えなくさせている。そこにはまたコーラスのように、出版社、マスメディアの意向に迎合する特定の東大教授や評論家、小説家などの声がかぶさり、ペテンのテクニックを一段と複雑で巧妙なものにしている。

ただしこうした欺瞞は特殊な村的現象であることに注意をとめておきたい。経済的利益に結びついたキャンペーン的要素がない限り、世界のドストエフスキー研究の動向などには、マスメディアは関心をもたないのである。亀山が自分の著書の中で参考文献に挙げているロシアや欧米の代表的な研究者達が、揃って来日した二〇〇〇年八月のミレニアムの千葉大学国際研究集会には、主催者である私の広報不足があったにしても、マスコミはほとんど関心を示さなかった。事後に「聖教新聞」の依頼で書いた小さな記事が残っているばかりである(G−四)。

国内のマスメディアに声が届かない無力感にとらわれた私は、外国の研究者達に、日本の状況を知ってもらうことを始めた。二〇一一年一一月二二日〜二四日に北京で開催された「二一世紀文化のコンテクストにおけるドストエフスキー、伝統と現代性」と題する国際会議で、「差し迫った問題―日本市場におけるドストエフスキー作家像の歪曲」という題名でロシア語での報告をおこなった。二〇一三年七月八日〜一四日にモスクワで開かれた第一五回国際ドストエフスキー・シンポジュウム「ドストエフスキーとジャーナリズム」では、「ポスト・モダニズム理論の潮流のもとでの過去数十年におけるドストエフスキー作家像解釈の問題」と題して報告した。これらの報告の内容は本書の所収論文第一章に反映されている。

その後、両テクストともに論集に収められた。中国語訳は二〇一四年に北京大学出版社から出版された『ドストエフスキー・現代の国際的研究』に収められ、モスクワでの報告は、二〇一三年刊国際ドストエフスキー協会編集の論集W『ドストエフスキーとジャーナリズム』Достоевский и журнализм» под ред. В.Захарова, К. Степаняна,  Б.Тихомирова, Dostoevsky Monographs. Vol. W.  A Series of the International Dostoevsky Society,  2013. Спб.) に、「『現代的欺瞞』の一つ日本とロシアに共通する現象」と改題してロシア語で収録されている。

ところで奇異というか、さもありなんと見るか、『悪霊』の少女マトリョ−シャ解釈について、「これまで私が見たどの研究書にも文献にも述べられることのなかった新しい真実なのです」(102頁)と独創的な解釈を売り物にし、また『カラマーゾフの兄弟』の続編なるものを商品化するこの人物は、私が知る限り、こうした国際的な研究者の場で、自分の仕事の意義を問うたことは一度もない。プロの研究者の世界ではとうてい通用しない独善的な解釈を展開し、ロシア語のわからない読者を欺いているために、こういう場所には出てこれなかったのではなかろうか。ただし、今年、二〇一六年六月七日〜一〇日にスペインのグラナダ大学で開催される第一六回国際ドストエフスキー・シンポジュウムにはこの人の名前がノミネートされているのを先ほど知った。彼がどのような報告をするのか注目される。(後日記:彼の報告はプログラムにはなかったものの、彼はシンポジュウムの会場に姿を見せた。とはいえ二日目が終わると、発表することもなく姿を消した)

7章の前半、「ドストエフスキー翻訳の過去」の話題で触れている日本近代文学研究の長老・佐藤泰正氏が昨、二〇一五年一一月三〇日に九八歳で忽然と亡くなられた。私は新聞の片隅の訃報欄で知った。同年六月三〇日刊行で、『文学の力とは何かー漱石・透谷・賢治にふれつつ』という八七六頁の大著を翰林書房より出され、私は恵贈されていた。著書をいただく少し前、突然、先生から電話がかかってきた。とくに用件あってのことではなく、自分も百歳に近くなったがまだ元気で、車椅子で助けを借りながらも、大学院の学生の指導に出かけていると、張りのある歯切れのよい口調で話されていて、半病人状態の私が励まされる始末だった。

一九九五年に『ドストエフスキーを読む』という佐藤先生編集の論集(梅光女学院大学公開講座論集第36集)に「ドストエフスキー文学の魅力―言葉なき対話について―」というエッセイを寄稿させていただいた時以来のお付き合いであったのだが、もっぱら電話だけで、まだお会いしたことは一度もなかったのである。この時、先生の声を聞きながら、一度お目にかかりたいと強く思った。しかしその願いもかなわず、先生は逝ってしまわれた。

最後の著作となった佐藤先生の前掲書に、「作家・作品の急所をどう読むか」(2009)と題する講演エッセイが収められていて、先生は、亀山郁夫と佐藤優が対談本『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書)の中で、キリストの大審問官に対する「無言の接吻」は相手の正しさを認めた「励ましの接吻」であると説明していることの不自然さを指摘し、「読むってなんですか。そんなふうに読んでいいんですか」(858頁)と厳しく問いかけておられる。そして、相手の「痛み」を受けとめたうえでの「問いかけ」「抱きとめ」に「ドストエフスキイの描こうとした最後のキリストの理想像が現れている」のではないかと自分の解釈を提示したうえで、「文学に通じたちゃんとした人達が「もっとやれやれという許しだ、励ましの接吻だ」と言われたんじゃ困るんじゃないでしょうか、そんな薄っぺらなもんじゃないんじゃないでしょうか。誰かがもっと大っぴらに問題にしてくれてもいいと思います」(859頁)と問い詰めておられる。

一六歳の時ドストエフスキーに出会って八二年、このロシア作家によって文学への眼が開かれ、終生その作品を愛読しながら日本文学研究の道を一筋に歩いてこられた佐藤泰正先生のドストエフスキー読みには並々ならぬ深さがある。

「東京外国語大の学長ですぐれた学者」(亀山)、「いろんな評論書いている」「すごく優秀な人」(佐藤優)と相手を持ち上げながら、「しかしこの二人の対談の本を読んで私は唖然としたことがあるから、これだけは文学を読むということで言いたい」(856)と切り込まれる佐藤先生には「プロの裏切り」がまざまざと見えていたに違いない。 佐藤先生が親交を重ねられた吉本隆明が、『カラマーゾフの兄弟』の訳者・亀山のことを、「ドストエフスキーがなぜこの作品を描いたか、この作品でなにをしようとしたのかもぜんぜん読めていない。それは解説を見るとよくわかります。ようするにおもしろおかしくやっているだけだといえます。」(本書   頁)と指摘していることを思い合わせると、真のプロの批評家と文学研究者の眼力はその正体を鋭く見抜いていたといえるのである。

 

最後に、

マスコミ、出版界批判を多くふくむ、あるいは出版社によっては敬遠しかねない内容の本書の出版を快く引き受けていただいた鳥影社、社長の百瀬精一氏、またご紹介いただいた森和朗氏 (日大芸術学部非常勤講師時代の同僚で、ドストエーフスキイの会の会員) に厚くお礼を申しあげたい。

またパッチワーク的に引用文が多く、それだけに表記がばらばらで、執筆時期、初出もさまざま、まったく統一性に欠ける原稿を、社内校正でまとめていただいた鳥影社編集部の森山、矢島さんの多大のご苦労に、心から感謝したい。

なお本書の装幀は私の長女の手になるものであるが、彼女はグラフィックデザイナーとして、土曜美術社出版刊行の詩集の装幀を多く手がけ、好評をいただいている。

なお表紙の原画はモスクワのドストエフスキー博物館の主任研究員で、ロシア文学史の研究者としても幅の広い編集、出版活動を精力的に展開している若き友人パーベル・フォーキン氏の手になる写真で、博物館の庭にある流刑囚ドストエフスキーの像(メルクーロフ作)のシルエットである。使用を快く承諾していただいたことに感謝する。

また裏表紙の絵はペテルブルグの裏路地を歩く作家の姿であるが、これはたまたま私のファイルにあった写真で、チモフェーエワの回想(六三―六六頁)に見られる作家のイメージを彷彿とさせるものがあり、私は大変気にいっている。この絵の写真の裏には「曾孫へ、作者より 一九七一年一一月九日」と記され、「A・オルロフ」との署名がある。おそらく一九八〇年代の初め頃、曾孫のドミトリー・ドストエフスキーから私にプレゼントされたものらしい。早速、ドミトリーにメールで問い合わせると、一九七一年のペテルブルグ・ドストエフスキー博物館の開館記念日に、画家アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ・オルロフからもらった写真だという返事であった。ただこの画家の消息はいますぐにはわからない。必要なら探してみるが、版権には問題ないだろうということであった。画家の消息については博物館関係者を通じても調べてもらっているが、現在までのところ不明である。

 

  二〇一六年五月二〇日