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木下豊房著『ドストエフスキーの作家像』(鳥影社・20168月刊)所収

本論稿のネット公開にあたっては、<一読者の点検>の筆者森井友人氏のコメントを取り入れて、副題をつけ、また一部を書き改めた。)

 

ドストエフスキー文学翻訳の過去と現在

−亀山現象とマスメディアの劣化を撃つ−

ドストエフスキーの翻訳といえば、この10年ほどの間に、ベストセラーでマスメディアの話題をかっさらった亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』の問題を素通りするわけにはいかないだろう。しかしいきなりこの問題にとりかかるのではなく、過去のエピソード風の話題から入ることにする。

それは日本最初のドストエフスキー作品の翻訳で、明治25年に出た内田魯庵訳『罪と罰』の一節にまつわる話で、魯庵訳が英語訳からの重訳でありながら、ロシア語原文の本質を見事に射抜いていたという、話である。

20087月、日本近代文学研究の最長老ともいうべき佐藤泰正氏(1917年生まれ)が編者として『文学 海を渡る』という一冊を笠間書院から出された。その半年ほど前、2007年の暮れからインターネットで亀山訳批判を始めていた私の所に、ある日突然、佐藤先生から電話がかかってきて、質問を受けた。

それは『罪と罰』の最初の場面、下宿の女中と屋根裏部屋に閉じこもっているラスコリニコフとの会話で、女中のナスターシャが「どんな仕事をしているのか?」と問うのに対し、ラスコリニコフが「考え事をさ」と答える。内田魯庵訳では「考へる事!」と訳されている。佐藤先生の電話は、この訳はロシア語原文に照らしてどうなのかという、質問であった。それはまた、『罪と罰』を内田魯庵訳で読んだ北村透谷が、ラスコリニコフのセリフ「考へる事!」に感銘し、これを自分の言葉「考へる事をなす」に置き換えてのべる一節

<「罪と罰」は実にこの険悪なる性質、苦惨の実況を、一個のヒポコンデリア漢の上に直写したるものべし。<…>この病者の吐く言葉の中に大いなる哲理あり。下宿屋の下婢が彼を嘲りて其為すところをなきを責むるや「考へる事をなす」と言ひて田舎娘を驚かし>(明治2512月号 「女学雑誌」「『罪と罰』(内田魯庵訳)」)

に及ぶ問題であった。

さらにこのヴァリエーションは藤村の小説『春』の主人公で透谷をモデルとした青木のセリフ「考へることを為して居る」という一句に波及する。妻に何もしないじゃないかとなじられる場面で、「『俺かい』と青木は不安な目付をして、『俺は考へて居たサ。』」と答え、続けてこういう。「内田さんが訳した『罪と罰』のなかにもあるよ。銭取りにも出掛けないで一体何を為て居る、と下宿屋の(おんな)に聞かれた時、考へることを為て居る、と()の主人公が言ふところが有る。()()いふことを既に言つてる人が有ると思ふと驚くよ。考へることを為て居る丁度俺のは(あれ)なんだね」

佐藤泰正氏は魯庵訳のこの影響に重要な文学史的意味を見出して、「青木とは透谷の一面を写しとったもの。「考へえる事をなす」とは、透谷がこの主人公の内面を解く重要なキーワードとして掴みとったもの」とのべている。

佐藤先生の電話での質問は、透谷の理解の元となった内田魯庵訳の「考へる事!」がロシア語原文に照らして適訳かどうかということであった。私はロシア語テクストにあたって返事を差し上げた。この質問が佐藤先生にとってどういう意味を持っていたのかは、『文学 海を渡る』が出て、読ませてもらってから知った。佐藤泰正氏の「あとがき翻訳の問題をめぐって」に、「専門家に聞けば、これは誤訳ではないという」というくだりがあって、どうやら私の回答はここに関係していたらしい。といっても魯庵訳を収録した「内田魯庵全集」(12)(ゆまに書房、昭59)の解説者・野村喬氏によれば、法橋和彦氏にも魯庵訳、英訳底本、ロシア語原文の比較の仕事があって(私は未見)、当該個所についても適訳との検証がなされているとのことである。

私もまた適訳と判断した理由を具体的にのべてみたい。英訳で良く知られているのは、コンスタンス・ガーネットの1914年の『罪と罰』訳で、これは今やインターネットでもテキストに当ることができる。1886年刊のヴィゼッテリ版フレデリク・ウィショウ訳は、私はあいにく、手近に見ることができないので、便宜上、佐藤先生が前掲書中のエッセイで紹介している木村毅氏の著書からの引用を使用させてもらう。木村毅氏の調査によれば、当該個所の英訳は、“Thinking”  replied he gravely after a short silence.

一方、魯庵後の『罪と罰』翻訳者もふくめて多くの人に知られているガーネット訳では、“I am thinking,”he answered seriously after a pause. 

ウィショウ訳 “Thinking” は動名詞と解することができるし、ガーネット訳の“I am thinking,”は、広い意味での現在の意味であろうが、現在進行形のニュアンスもまぬがれない。さてロシア語原文となるとどうか。

Думаю, серьезно отвечал он помолчав. 

下線の動詞Думаю(ドゥーマユ)が問題の語であるが、これだけに絞ればガーネット訳に近い印象を受ける。ロシア語には動名詞というものはなく、この不完了体の動詞は現在進行形、ないしは反復習慣を示すものとされるからである。しかし問題は文脈で、女中のナスターシャがラスコリニコフに、「以前は子供を教えに行っているといってたけど、いまはどうして何にもしてないのかい?」−теперь пошто ничего не делаешь? と問うたのに対し、当人は「してるさ・・」−Я делаю…と答え、さらに相手の「何をしてるのか?」との突っ込みに対し、−Работу…(「仕事をさ」)と答える。すると相手はさらに−Каку(ママ) работу?(「どんな仕事を?」)と畳みかけてくる。この文脈で、「何もしていない」、「仕事を」、「どんな仕事を」の格は一貫して対格(目的格)が用いられているのに注意する必要がある。ガーネット訳でこの流れをたどるならば、why is it you do nothing now? I am doing , What are you doing? , Work What sort of work? と続き、最後に来るのが、I am thinkingである。

この文脈はロシア語原文に正確に対応しており、問題は最後にくるДумаю(ドゥーマユ)の一語が相手の畳みかける質問の圧力を受けて、どのような反発力をこめて発せられたかである。佐藤泰正氏が魯庵訳の「考へる事!」に比して、中村白葉訳の「考えごとをよ」、米川正夫訳の「考えてるのよ」をインパクトが弱いと指摘される理由がここにある。

ちなみに工藤精一郎訳「考えごとさ」、江川卓訳「考えてるんだ」も同工異曲というべきで、ガーネット訳が誤訳とはいえないように、いずれも誤訳ではないにせよ、若干、壷にはまりきれない曖昧さを否めない。「考えてるのよ」、「考えてるんだ」では、「仕事」という意味に直接に結びつかないし、「考えごとさ」も何か個別な意味を持ち、一般的な「仕事」からは意味がずれる。

そもそも原語の думать はドストエフスキーと同時代のダーリの辞書を参照しても、第一義はмыслить, размышлять で、共に「思索する」「思考する」である。ラスコリニコフは女中相手に、「思索する」「思考する」ことを「仕事」にしているといっているわけである。

 先にのべたように、ロシア語には英語のように、動名詞や現在進行形はなく、不完了体というアスペクトに、進行形も反復習慣の事実もふくまれるという特性を踏まえるならば、ガーネット訳の<I am thinking>よりも、ウィッシヨウ訳の<thinking>(動名詞)のほうがより明確で、魯庵訳の「考へる事!」がより壺にはまった訳であるといえよう。さらに会話の文脈を踏まえるならば、透谷の「考へる事をなす」、あるいは藤村の「考へることを為して居る」はさらにインパクトのある解釈とさえいうことができよう。

 翻訳の場合は原語の知識があっても、言葉をなぞっただけで正しく訳せるわけではない。たとえ原語の知識はなくとも、内在するテクストの論理を誠実に読み解くセンスのある読者ならば、誤訳やテクスト歪曲を見破ることができる。次にふれる亀山訳『カラマーゾフの兄弟』をめぐる誠実な読者からの反応はその証左であるし、はるか昔に遡って、透谷や藤村によるラスコリニコフのせりふの受けとめかたも、翻訳という間接行為、媒介行為を突き抜けて、鋭敏な文学的感性がテクストの本質を一気に射抜いた結果といえるだろう。

 

光文社「古典新訳」文庫と称するシリーズの第一弾で、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』第一巻が出たのが20069月で、それ以来この9年間、ドストエフスキー文学の翻訳に関しては、私は何か悪夢を見せつけられているような気がしている。私が亀山訳と向き合うことになったのは、この訳がベストセラーとしてブームになり、マスコミのニュースになり、NHKのETV特集で報じられ、毎日出版文化賞特別賞を授与され、さらにはインターネットのニュースでロシアにまで報じられるといった現象が経過した一年後のことだった。

そのきっかけとなったのはドストエーフスキイの会の会員からの情報で、その人は40代後半の商社マン、早稲田の露文でドストエフスキーをテーマに修士論文を書き、卒業後、ロシア関係の商社勤めのかたわら、ロシア人のチューターを相手に、『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』を音読で読破したという経験の持ち主。その人から、電話で亀山訳がいかにひどいかという話を聞かされたことに始まる。半信半疑で、まだ手元に訳本がなく、確認しようのない私に、彼はロシア語原文と、亀山訳とコメントをつけた検証のテキストをメールで送りはじめた。私は彼の検証作業にだんだんに引きこまれていった。そこではじめて私は亀山訳に唖然とした。これはロシア語の分かる者同士の意見交換にすまさないで、一般読者にも判断をあおぐ手だてを講じるべきだと考えた。彼のコメントと並行して、問題個所を先行訳三種(米川正夫、原卓也、江川卓)の当該個所と対比する形をとることにした。こうしてドストエーフスキイの会のホームページに隣接する私の「管理人T.Kinoshita のページ」に、20071224日付で「亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を検証する新訳はスタンダードたりうるか?」と題する検証リストを公表した。

年が明けての200812日付けで、北九州市の、リタイアした元高校の国語の教師という人から長文の手紙が届いた。そこには、「検証」を見て、「我が意を得たりと、胸のつかえがおりる思いがし、非礼を顧みず一筆差し上げることに しました」と書き出して、日本語だけが頼りの一読者として、亀山訳の不適切な個所に疑問を感じ、光文社の編集者直々に問題個所を指摘するなど、私達の「検証」公開に先立つ幾月かの孤軍奮闘ぶりが記されていた。彼はすでに誤訳とおぼしき 不適切な個所のリストを作成しており、ロシア語の知識は無いながら、先行訳、ドイツ語訳との対比と、長年、国語の教師を勤めてきた言語感覚から、疑問とする翻訳第1431頁中の48個所がリストアップされていた。そこには「検証」と一部重なりながらも、そのほか私達が見逃した数々の重要な個所が指摘してあった。それらは当然な がら、ロシア語の専門的立場から検討に値するものと思われた。そこで私達はロシア語テクストと参照しながら「一読者の点検」の作成を開始し、その結果を「一読者による新訳『カラマーゾフの兄弟』の点検」と題して、2008年2月20日に、先の「検証」と並立する形で、ホームページに公開した。

 この作業を通じて亀山訳の本質が見えてきたように思われた。それは、単純な誤訳にとどまらない日本語表現の問題でもあり、さらにはドストエフスキー特有の文体の改ざん、さらにはテクストそのものの改ざんにまでいたる、節度のない恣意的なアナーキイな仕事の実態である。

そのサンプルを17例ばかりご紹介して、亀山誤訳の実態をご判断をいただきたいと思う。その問題の特徴を次のように分類する。

1)「信じ難い、ごく初歩的な誤訳」

2)「見当違いな訳語、事実誤認」

3)「発話の指向性を取り違えた訳」

4)「テキスト歪曲」。

その際、語学的な判断に照らして、基準に合ったスタンダードと見られる訳(原卓也訳、米川正夫訳その他)を(S)とし、問題の亀山訳を(K)とする。原訳は新潮文庫(45刷)、米川訳は河出全集(愛蔵決定版)、亀山訳は光文社古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』T(第22刷)。例文末尾の括弧内数字は引用頁を示す。

なお私がここで紹介した事例の内、1〜11までは亀山訳の全5冊中の第1冊(全小説の4分の1程度)から、12は『悪霊』から引いた。「テキストの歪曲」の章では、コーリャのセリフの改ざんは先にあげた北九州の読者の指摘、イワンとアリョーシャの対話の場面のセリフおよび「大審問官」の章でのキリストの解釈については、亀山自身の解説(第5巻 279282307308頁)からの引用。

亀山訳誤訳の実態、幾つかの事例 

(ここにあげる事例は主として本書収録資料「亀山現象批判」から選んだもので、私自身検の検証作業に基づいている。「管理人T.Kinoshita」のホームページ掲載の「検証」は商社マン(ペンネーム・新出)、「点検」は元教師(ペンネーム・森井)の執筆になるもので、その前書き、解説など私自身の執筆になる部分は、本書の資料に含めたが、本体の厖大な部分は、ネットで見ていただきたい。) 

 

1)信じ難い、ごく初歩的な誤訳 

1)(S)「リザベータは、フョードルの塀になんとか這いあがり」(原訳:186) 

(K)<リザベータは、その夜、カラマーゾフ家の塀も勢いよくはい登り、身重のからだに害がおよぶのも承知で飛び降りたのである。>(亀山訳263

(Лизавета) забралась как-нибудь и на забор Федора Павловича, а с него, хоть и со вредом себе, соскочила в сад, несмотря на свое положение.(92)

「勢いよく」とはありえない訳である。как-нибудьは出産直前の身重な女の動作で、「どうにかこうにか」、「なんとかして」塀を越えてフョードルの屋敷に侵入する場面であって、「勢いよく」とは、でたらめな誤訳である。

 

2S)「カテリーナのところへアリョ−シャが向かったときは。すでに七時で、暗くなりかけていた」(原訳:273

(K)<アリョーシャがカテリーナの家に入ったときは、すでに七時を過ぎていてあたりは夕闇が迫っていた。>(386

Было уже семь часов и смеркалось, когда Алеша пошел к Катерине Ивановне,132

「アリョーシャがでかけたпошел」と「到着」「入った」とを取り違えるとは、初学者でもやらない誤訳。

 

3S)「あなたと結ばれ、年を取ったらいっしょに人生を終えるため、あたしの心があなたを選んだのです」(原訳:303

(K)<わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年をとって、一生をともに終えると。>(428

Я вас избрала сердцем моим, чтобы с вами соединиться, в старости кончить вместе нашу жизнь.(146)

これも大学生でもやりそうにない誤訳である。「私は自分の心であなたを選んだ」であって、「あなたを心の友って決めた」は見当ちがいもはなはだしい。

 

4S)「なんでもこの記事はいつもおもしろく、興味をそそるように書かれていたため、すぐに採用されるようになったという」(原訳:30

(K)<聞くところによると、それらの記事はいつもたいそう面白く、読者の好奇心をそそるような書き方がなされていたので、新聞はたちまちのうちに売り切れたらしい。>(38

Статейки эти, говорят, были так всегда любопытно и пикантно составлены, что быстро пошли в ход, и уже в этом одном… (15)

「記事が早速、使われるようになった」で、「新聞がたちまちのうちに売り切れたらしい」というテクストは原文のどこにも存在しない、完全なでっちあげ。

 

5S)「そこへ乳母が駆けこんで、あわてふためいて彼をその手からもぎとってしまった」(米川訳:21)「そこへ突然、乳母が駆けこんできて、怯えきった様子で母の手から彼をひったくる」(原訳:35

(K)<とつぜん乳母が駆けこんできて、驚いた顔の母の手から幼子をうばいとる。>(45

... и вдруг вбегает нянька и вырывает его у нее в испуге. <...>(18)

「驚いた」のは乳母の方であって、母親ではない。

この誤訳は私たちが「検証」「点検」で指摘した後、20刷でこっそり訂正され、

<とつぜん乳母が駆けこんできて、おろおろと母親の手から幼子を奪いとる

22刷ではすでになっている。この種の初歩的な誤訳で、私たちの指摘の後20刷でこっそり訂正されたのは、ほかにも幾つもあるが、詳しくはインターネット「管理人T.Kinoshita のページ」(検索「ドストエーフスキイの会」からアクセス可)の「亀山訳『カラマーゾフの兄弟T』「検証」「点検」その後」をご覧いただきたい。

このような信じ難い初歩的誤訳がどのようにして生じたのか?ロシア語の教師としてテレビで名を売り、東京外大の学長にまでなった人物の仕事とすればあまりにお粗末過ぎる。推測されるのは、光文社プロジェクトチームのおそらくロシア語の知識のないリライターが、先行訳を土台に書き換えたテクストを、校閲段階で見落としたのではないかと好意的に解釈するほかはない。しかしこの先、見ていくように、文体の特徴や指向性に鈍感であり、国語の常識的な知識からはずれ、自分の無茶な解釈を独創らしく押し出すために、文章の歪曲、改ざんまで恐れ気もなくやってのける事例から判断すると、問題はもっと根本的なところにあるのではないかと疑われてくる。

 

2)国語力、歴史的知識に疑問符が付く見当違いな訳語、事実誤認 

6S)「この発案、すなわち長老制度は、理論的なものではなく、今ではすでに千年におよぶ実際の経験から設けられたものだ」(原訳:51

(K)<この公案、すなわち長老制度は、なんらかの理論によって構築されたものではなく、東方正教会での千年にわたる実践の場において生みだされたものである。>(70

「公案」なる訳が当てられている<Изобретение>は「工夫」、制度上の「工夫」、「発明」であって、禅の公案や公文書の下書とは何の関係もない、はなはだ見当違いの誤訳である。

Изобретение это, то есть старчество, - не теоретическое, а выведено на Востоке из практики, в наше время уже тысячелетней.(26)

 

7S)「もちろんまったく偶然に、町のことならおよそ何でも知っている親友ラキーチンにきいたからだが」(原訳:191

(K)<ちなみにこの最後のところは、まったくの偶然から町の生き字引である友人のラキーチンに聞いた話だったが、>(270

ラキーチンは町のことにかけては何でも知っている情報通と書かれているのであって、何にでも知識を持っている「町の生き字引」という意味とはだいぶニュアンスが違う。

О последнем обстоятельстве Алеша узнал, и уже конечно совсем случайно, от своего друга Ракитина, которому решительно всё в их городишке было известно, и (95)

 

8S)「もう数年前、例の十二月革命(訳注:1851122日、ルイ・ナポレオンの行った革命)の直後のことですが、」(原訳:124

(K)<いまから数年前、パリでのことです。例の二月革命からまもない時期に>(174

В Париже, уже несколько лет тому, вскоре после декабрьского переворота, (62)

原文は「十二月革命」。 原訳にはわざわざ括弧書きで、割注まで付けてある。(124)。二月革命は、言うまでもなく、1848年の出来事である。

 

9S)あるとき、この県の新知事がこの町を視察に立ち寄ったことがあったが、知事はリザヴェータを見て、やさしい心をいたく傷つけられ、報告のとおりそれが《神がかり行者》であると理解はしたものの、やはり、うら若い娘が肌着一枚でさまよい歩いているのは良俗を乱すものだから、今後はこんなことがないようにと、注意を与えた。しかし、知事が去ってしまうと、リザヴェータは今までどおり放っておかれた。(原訳:182

(K)<あるとき、こんなことがあった。わたしたちの県の新知事が、この町の視察に立ち寄ったさい、リザヴェータを見てひどく良心を傷つけられた。報告を受け、なるほどその女が「神がかり」であることはわかったが、それでも若い女が肌着一枚でふらふらしていては町の風紀が乱れる、今後はこういうことがないようにと訓令を出した。しかし、知事が去ってしまうと、リザヴェータは今までどおりに放っておかれた。>(258

Раз случилось, что новый губернатор нашей губернии, обозревая наездом наш городок, очень обижен был в своих лучших чувствах, увидав Лизавету, и хотя понял, что это «юродивая», как и доложили ему, но все-таки поставил на вид, что молодая девка, скитающаяся в одной рубашке, нарушает благоприличие, а потому чтобы сего впредь не было. Но губернатор уехал, а Лизавету оставили как была. (90 )

新知事が傷つけられたのは〈感情・気持ち〉であって〈良心〉ではない。

訓令=上級官庁が下級館長に対して、法令の解釈または事務方針に関して下す命令であって、この場合まったく不適切な訳語である。

 

3)発話の指向性をを取り違えた訳 

 

10S)いくらかの財産を持っているから、成年に達したら独立できる、という信念」(米川訳:14 自分にはとにかくある程度の財産があるのだから、成年に達したら自立できるだろうと確信して」(原訳:22 -23

(K)<...> 第一に、このドミートリーは、フョードル・カラマーゾフの三人息子のうち一人だけいくらか財産をもっていたので、成人したあかつきには独り立ちをするという、たしかな信念をもって成長していった。(27 )

<...> Во-первых, этот Дмитрий Федорович был один только из трех сыновей Федора Павловича, который рос в убеждении, что он всё же имеет некоторое состояние и когда достигнет совершенных лет, то будет независим. <...> (11)

これは語り手の三人称的な文体のなかに、主人公(ドミトリー)の意識が映し出されている自由間接話法のスタイルで、ドストエフスキーに特徴的なものである。「自分には」母親からの財産があるという意識はドミトリーの思い込みに過ぎず、現実には父親のフョードルが横取りしていたという事実が、父親との争いの一因ともなって、物語は展開する。亀山訳では、財産保有が確定の事実のように訳されていて、この文体の特徴は殺されている。

 

11)S)あるいはまた、フョードルなどという男は本当は意地の悪い道化以外の何物でもないのに、心に甘く媚びる想像力に説き伏せられて、あの人は居候の地位に甘んじてこそいるものの、やはり、よりよい明日をめざすこの過渡的な時代のもっとも勇敢な、嘲笑的な人間の一人なのだと、ほんの一瞬にせよ、思いこんだのかもしれなかった。」(原訳:17

(K)彼女(=アデライーダ)にしてみれば、たぶん女性の自立を宣言し、社会的な制約や、親戚、家族の横暴に反旗をひるがえしたかったのだろう。そこで彼女は、たとえ一瞬にせよ、たんに居候の身にすぎないフョードルがよりよい未来へ向かう過渡の時代に生きるこのうえなく勇敢でシニカルな男性のひとりであるという、おめでたい空想のとりこになった(そのじつ、彼は腹黒い道化でしかなかったが)>17

Ей, может быть, захотелось заявить женскую самостоятельность, пойти против общественных условий, против деспотизма своего родства и семейства, а услужливая фантазия убедила ее, положим, на один только миг, что Федор Павлович, несмотря на свой чин приживальщика, все-таки один из смелейших и насмешливейших людей той, переходной ко всему лучшему (8)

10と同じように、フョードルの「居候」云々はアデライーダの意識を映している叙述であって、亀山訳のように、語り手によるフョードルの特徴づけではない。これでは女性解放の思想にかぶれて、ひどい男と結婚した女の思いこみが浮かび上がってこない。

 

《『悪霊』の例から》

12)S)「奥さん、あなたはこれまでお苦しみになったことがありますか?」「つまり、あなたがおっしゃりたいのは、あなたがだれかに苦しめられたことがあるとか、またはいま苦しめられているとか、そういうふうなことなんでしょう?」(米川訳:169

K)「奥さまは、これまで苦しみを受けたことがおありですか?」「あなたはたんにこうおっしゃりたいだけでしょう、つまり、わたしがだれのためにくるしんできたか、でなければ、現にくるしんでいるのか」420

-Вы просто хотите сказать, что от кого-нибудь страдали или страдаете. (10;139

これはレビャートキンがワルワーラ夫人に問いかける場面で、夫人は相手の質問の動機を読んで、鸚鵡返しに、相手自身の問題として投げ返しているのである。亀山訳ではまったく意味が通じない。

 

4)テキスト歪曲

13) 序文「作者より」の6段落を17段落に大胆に改ざん。読み易くなるのは確かであるが、原作の持つ息吹きが殺されるのは間違いない。

 

14) コーリャのせりふ人類全体のために死ねたらな、って願ってますけどね«Я желал бы умереть за всё человечество»亀山訳第分冊42に対して、アリョーシャがそれを受けて言うのは、「コーリャ君は先ほどこう叫びましたね、『すべての人達のために苦しみたいって』・・・«Вот как давеча Коля воскликнул: «Хочу пострадать за всех людей»拙訳)。ここでアリョーシャはコーリャのセリフをそのまま繰り返すのではなく、相手の気持ちを別の言葉に言い換えてのべているのに対して、亀山はそれ無視して、アリョーシャのセリフを、こう訳している。「さっき、コーリャ君は『人類全体のために死ねたら』と叫びましたが・・・」−(同上58頁)

なぜこういう乱暴な改ざんがなされたのであろうか?憶測に過ぎないとはいえ、亀山が別著「続編を空想する」(光文社新書)でコーリャを皇帝暗殺者に、またアリョーシャをその使嗾者に仕立てるための伏線として、意図的におこなったのではなかろうか?この個所の指摘と疑問は最初に北九州の読者によって提起されたのであるが、私も否定しがたいと思う。(これについては、追って公開するこの北九州の読者の小論をご覧いただきたい。)

 

15)S)「僕が知っているのは一つだけです」なおもほとんどささやくように、アリョーシャは言った。「お父さんを殺したのは、あなたじゃありません(・・・・・・・・・・)」(原訳:180

S)「ぼくが知っているのはただひとつ」と、あいかわらず、ほとんどささやくように、アリョーシャは言った。「お父さんを殺したのはあなた(・・・)()()ない(・・)」−拙訳)

(K)「ぼくが知っているのはひとつ」と、アリョーシャは、あいかわらずほとんどささやくような声で言った。「父を殺したのはあなたじゃないってことだけです」(第4巻258

Я одно только знаю, - всё так же почти шепотом проговорил Алеша, Убил отца не ты! (15;40)

以上の標準訳(S)と亀山訳(K)を比較して、まず注意をうながしておきたいのは、

(S)では原文の斜体、しかも、通常の活字体 «не ты»ではなく筆記体で書かれた «не ты!», 「あなたではない」に傍点がふられ、意味が強調されているのに対し、(K)ではその強調のニュアンスを意識的に無視し、逆に曖昧な、まるで反対の「あなたである」のニュアンスに導こうとする意図的な操作を試みようとしていることである。

「解題」(第5279283頁)、「奇妙な語順」と題する章で、亀山はもって回った意味ありげな調子で次のような長広舌を弄して、自分の偽装工作を正当化しようとする。亀山いわく:

「また、文体上の複雑なしかけが、人間精神の奥深くまで照らしだす例もある。次に引用するのは、『カラマーゾフの兄弟』全体の中心に位置し、物語の流れに決定的な転換をみちびき出す言葉である。

「父殺し」の犯人を挙げろ、と問いつめるイワンに対して、アリョーシャは次のように応える。

「ぼくが知っているのは、ひとつ()父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」(第11258ページ)

“I only know one thing…Whoever murdered father, it was not you.”

部分を取り上げればとくに問題はないように見えるが、後半の「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」のロシア語は、リズムとイントネーションが最大限に威力を発揮するセリフである。

Я одно только знаю, … всё так же почти шепотом проговорил Алеша, Убил отца не ты.279280

 

亀山のこの発言が不可解なのは、彼は原文と英訳を引用しながら、先に私が注意を喚起した «не ты!» 、「あなたではない」の筆記体のイタリックを完全に無視して、アクセントのない表記に書き換えている。おそらく故意に改ざんした上で、白々しく「リズムとイントネーション」を云々している。いったいイタリックはイントーネーションの重要なポイントではないというのか?

 しかも亀山は殊更らしく英訳を引用しているが、これが誰の訳か出典を明示していない。ちなみにガーネット訳でのこの個所は、ロシア語原文通りにイタリックで書かれている。

“I only know one thing,” Alyosha went on, still almost in a whisper, it wasn't you killed father.”

 

次に続く亀山の口舌は、ロシア語の専門家の目から見れば、口から出まかせとしかいいようがない妄言である。

 

この語順のもつ異様さはさまざまな研究者の関心をひいているが、意味だけくんで単純に言い換えるならば「あなたは父を殺しませんでした」となるだろう。ロシア語は、語順は基本的に全部自由なので、あとはニュアンスの違いによってどう変わるかということになる。

 語順の異様さとは、父親を殺したという厳然たる事実が最初に提示されているにもかかわらず、その主語(つまり犯人の名前)が、最後まで留保されている感じに現れている。」(280

 

 第一に「ロシア語は、語順は基本的に全部自由」というようなことはありえない。一般に英語などと比較してロシア語語順の「自由度」をいうことはあるが、この 場合のような主語の倒置は、文末にくる主語が強調されていると理解するのがロシア語習得者の常識である。しかもイタリック表記(亀山はこれを意図的に消している)で示されている以上、二重に主語が (そしてこの場合それに付随した否定詞が)強調されているのである。それなのになぜ、「その主語が、最後まで留保されている」などというのか?

 次に続く口舌はもはや噴飯ものである。

 

「兄 弟同士の信頼関係のなかで、あたりまえの「事実」をめぐってのどこか思わせぶりな言い方は、かなり違和感を与え、端的にいって、居心地がわるい。ここには 父を殺したのは「あなたかもしれない」「あなたである」と言っているのと同じくらいの意味が、その曖昧さのなかに隠されているということだ」(280

 

  自分の見当違いの推論に無理矢理に引き込むために、一般読者のロシア語不案内につけこんで、アリョーシャの定言命令といっていいほどのきっぱりとした言葉をわざわざ 裏返して、曖昧さをしのび込ませる−これは『悪霊』の少女マトリョーシャ解釈で、母親に折檻される少女の泣き声に、マゾヒスト感覚を押し付けて、「理想の教室」(みすず書房)と銘打って高校生レベルの読者に自説を信じ込ませようとしたのと同じ悪質な手口で、明らかな詐術である。その上塗りともいえる、見当違いな解釈と驚くべき誤訳が大手を 振って登場する。

 

16)S)原訳:「あなた(・・・)じゃ(・・)ない(・・)、という今の言葉を、僕は一生をかけて言ったんですよ。いいですか、一生をかけて(182)

(K)<「<あなたじゃない>って言葉、ぼくはあなたが死ぬまで信じつづけます! いいですか、死ぬまで、ですよ」>(281

亀山いわく:

「さらに、アリョーシャの次の言葉にも注目したい。居心地が悪いという以上に、やはり壮絶としか言いようがないセリフである。

「<あなたじゃない>って言葉、ぼくはあなたが死ぬまで信じつづけます! いいですか、死ぬまで、ですよ」 」(281

 

 ここに引用されているアリョーシャのセリフのロシア語原文はどうなのか?

«Я тебе на всю жизнь это слово сказал: «не ты!»  Слышишь, на всю жизнь»

あなた(・・・)()()ない(・・)!>ということをぼくは命をかけて(あるいは、一生をかけて)いったのですよ。いいですか命をかけて(あるいは、一生をかけて)拙訳)

原文の「あなたではない」(не ты!)は筆記体のイタリックとエクスクラメーションマークで強調されていることに留意。さらにガーネットの英訳にも目を向けておこう。

I tell you once and for all, it's not you. You hear, once for all! (ガーネット訳では下線部はイタリックになっていないし、感嘆符もついていないが、“once and for all”の重みはそれを補っているといえよう)

 

原文に沿った訳と比較して亀山訳を読む時、これは信じ難い、あきれたでたらめ訳だとしかいいようがないだろう。なぜなら「ぼくはあなたが死ぬまで信じつづけます!」という訳は、どう転んでもありえないからである。

上記引用傍線部«на всю жизнь»(ナ フシュ ジイズニ、命をかけて、一生をかけて)は、アリョーシャが «не ты! »(ネ トウィ・あなたではない)と いう自分の言葉にかけた絶対的な確信を強調するフレーズであって(ガーネット訳、“once and for all”)、亀山訳のように、「あなたが死ぬまで」という訳はどこを押しても出てくるはずがない。なぜ 亀山はこのような見え透いた誤訳をやるのか? まずは筆記体のイタリックで強調された«не ты! »(ネ トウィ・あなたではない)の意味を無視することによって、アリョーシャから寄せられたイワンに対する絶対的な信頼の意味を取り除き、反対に曖昧さを押し付け、いわく 「こうなれば、アリョーシャの言葉はもはや、「殺したのはあなたです」といっているのと等しい重みを担うものとなる」と、自分の見当違いの解釈の方向へ無理やりに舵を切りたいがためにほかならない。

さらには、亀山いわく:

「オオム返しのアリョーシャの精神性からすれば、Убил отца не ты という奇妙なせりふは、逆に神が、この語順で言えと《命令》していることになるのだ」(282

と、亀山は自分ででっち上げた解釈のでたらめさを、意味ありげに神に由来するとまで妄言するのである。

 

大審問官の章 キリスト

イワンがアリョーシャに物語る叙事詩「大審問官」に登場するキリストが終始一貫、「イエス・キリスト」の呼称ではなく、「彼」(онhe)で登場していることに注目した亀山は、ソ連時代の無神論的な文化統制下で出された版のすべてが「彼」(онhe)と小文字で記されていて、本来は大文字の「彼」(ОнHe)であることを知らなかった故に、次のような珍説を展開する。もし彼がソ連の文化統制と無縁であったイギリスのガーネット訳を参照していたら、そのことに気づいていたはずだ。キリスト教文化の世界では大文字の「彼」(ОнHe)、「なんじ」(Ты.Thou)がイエスを指すのは常識であろう。

(亀山)「イワン=ドストエフスキーがとる一つの奇妙な手法について、ふれなくてはならない。つまり、「大審問官」では、いちどとしてイエス(・・・)キリスト(・・・・)の固有名詞が用いられていないということだ。もちろん「彼」がイエスであるとすることは可能でも、そう訳すと、じつはミスを犯すことになる。なぜなら、これはあくまでイワンによって作られた物語詩であって、イワンがあえて、「彼」をイエスとして同定しなかったことこそが重要なのである。キリストと書けばキリストに限定されるが。「彼」と呼ぶことにより、ある別人格的なものを付与することができる。いや、その「彼」は、キリストのいわゆる僭称者ですらあるかもしれない」(5307308

以下参考資料の一例を紹介する。英訳は1912年版のガーネット訳で、ロシア語原文は現在までのところ、ソ連時代からの改訂新版はまだ出ていないためインターネットから正教会版とされるものを拾った。現在ネット検索で出て来るテクストは、ソ連時代版と本来の表記に戻した版の両方がある。

"He came softly, unobserved, and yet, strange to say, everyone recognised Him. That might be one of the best passages in the poem. I mean, why they recognised Him. The people are irresistibly drawn to Him, they  flock about Him, follow Him. He moves silently in their midst with a gentle smile of infinite(ガーネット訳)

<Он появился тихо, незаметно, и вот всестранно этоузнают Его. Это могло бы быть одним из лучших мест поэмы,— то есть, почему именно узнают Его. Народ непобедимою силой стремится к Нему, окружает Его, нарастает кругом Него, следует за Ним>

キリストは気づかれぬようにそっと姿を現したのだが、ふしぎなことに、だれもが正体を見破ってしまう。<>民衆は抑えきれぬ力でキリストの方に殺到し、取りかこみ<>キリストは限りない同情の静かな微笑をうかべて<>(原訳478479

 

彼はしずかに、人に気づかれないように姿を現したが、不思議なことに人々はすぐに正体に気づいてしまうのさ。<>民衆はもう抑えきれず、彼のほうに殺到し、ぐるりと彼を取りまき<>彼は、限りない憐みに満ちた微笑をしずかに浮かべ<>(亀山訳257

 

以上紹介したのはおびただしい誤訳、疑わしい訳のごくわずかなサンプルに過ぎない。20071224日と2008220日に、「検証」、「一読者の点検」という形でホームページで私達が指摘した誤訳、不適切訳、文章改ざんの個所は、第一冊431頁中、117個所であったが、そのうち38個所の訂正を、光文社はその直後の増刷20刷(2008130日)と22刷(2008315日)で、何食わぬ顔でおこなった。「点検」が出る前の20刷ではこれに加えて、光文社は北九州の読者の編集部への直接の指摘により、7カ所の訂正をおこなっていた。他の商品ならば、当然、リコール運動が起きても不思議ではない現象である。

以上、見てきたようなわずかの事例からも、この訳がいかに杜撰な仕事であるか、その実態を理解していただけるだろう。まずいえるのは、これはロシア語専門家の魂をこめた良心的な仕事ではないということである。本来、プロとしての専門意識のある人ならば、このような仕事はしないはずだ。ドストエフスキーの翻訳者としても研究者としても無定見な人物を、マスコミに露出させて偶像化し、あたかも翻訳者が原作者を超えるかのようなイメージを作り出して、無知な読者に大量に売り込む。これが出版社のとった戦略ではなかったか。圧倒的な宣伝とマスメディア対策によって、誤訳批判をものともせず、仕立てあげたアイドルに革新者を気どらさせる。慶応のサテライトでの次のような亀山の発言はその様子を物語っている。

 

慶応MCC「夕学五十講」楽屋blog (2008.8.3

「音楽のようにドストエフスキーを体験する亀山郁夫さん」

<『カラマーゾフの兄弟』翻訳にあたって心がけたのは、「映画をみるように、音楽を聴くように『カラマーゾフの兄弟』を体験してもらうこと」だったそうです。<….>

『カラマーゾフの兄弟』の原文は、破壊的な文体で書かれており、逐語訳では現代人には難解で読むことができないそうです。それに対して亀山先生は「アルマーニを羽織ったドストエフスキー」に生まれ変わらせようと思ったとのこと。音楽のように翻訳をするというリズム重視の訳は、誤訳を生む可能性を内包します。亀山先生は、訳にあたって第5稿まで目を通したそうですが、5稿では原文を一切見なかったそうです。その結果、誤訳問題が週刊誌上を賑わす事態を招いたと反省をされていました。(現在は、全ての訳を再チェックし、当初の翻訳思想を活かしつつ、あきらかな誤訳部分は修正したとのこと)

 

「全ての訳を再チェック」したなどとよく言えたものである。それならなぜ亀山訳は、いまだに大量誤訳を含んだまま増刷されているのか。(もし仮に、本当だと言うのなら、その一覧を見せてもらいたいものだし、これまでの読者のためにも正誤表を公表する義務があるのではないか。)そもそも、5校までゲラを見ていながら、指摘されるまで自分の明白な誤訳に気づかないのである。その後の経緯を見ても、自力で誤訳を見つけて訂正する能力と誠意が、彼、また出版社にあるとはとうてい思えない。

 

無責任な評価

こうした出版社、翻訳者のプロジェクトに迎合して、この怪しげな翻訳に賛辞を捧げる一群の知識人がいることを見過ごすわけにはいかない。私の手許の資料によれば、例えば佐藤優いわく:「亀山訳は、読書界で、「読みやすい」ということばかりが評価されているようです が、語法や文法上も実に丁寧で正確なのです。これまでの有名な先行訳のおかしい部分はきちんと訳し直している」(文春新書『ロシア 闇と魂の国家』38 頁)、また池澤夏樹いわく、「本編の精密な読みと(翻訳は最も緻密な読みである)、作者の思想ならびに性格に関する理解、当時の社会状況についての厖大な知識、それを駆使して、時に大胆に飛躍し、絵図が描かれる」(亀山著「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」の書評、「毎日新聞」「今週の本棚」)

私が具体な例をあげて批判してきた上記のような実態を、この二人が少しでも実際に知っていたならば、このような絵空事の賛辞が出てくるはずがない。池澤がいうように「厖大な知識」があるのなら、キリスト=僭称者説など出るはずがない。

私はこの論文のためにネットサーフィンをしていて、最近、驚くべき、衝撃的な事実を知った。私は迂闊にも「東大教師が新入生にすすめる100冊」というのがあって、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』が高位にランクインされているとは知らなかったのである。

この「100冊」は、東大出版会のアンケートで取り上げられた本を、ある有名書評ブログが点数化してランキングしたものらしいが、その2007年版では、2006年版に続いて第1位とした『カラマーゾフの兄弟』の翻訳として、亀山訳が熱烈に推奨されているのである。その後もこのブログは、ほかのランキングでもこの亀山訳を推奨し続けているようだこのサイトはキーワードを適当に検索にかけると出てくる。

(注記。亀山訳がまだ出ていない2006年版では、原訳の新潮文庫が紹介されている。また、このブログの「東大教師が新入生にすすめる100冊」の企画はこの2回だけだったようで、あとは単に「大学教師が新入生にオススメする100冊」であったり、「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」であったり、である。)

そこにブログ主の次のような注目すべき言葉が掲げられている。

<新潮文庫の帯のレビューを提供した縁もあるので、新潮文庫を推したいところだがごめんなさい、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳「カラマーゾフ」をオススメする、しかも強力に。なぜなら、抜群に読みやすくなっているから。「読みやすいカラマーゾフって、あり?」驚く方もいらっしゃるかもしれない。別に昔のが難解だったといいたいわけではない。「いま」の「わたし」のコトバで再構成された「カラマーゾフ」が、とてつもなく入りやすくなっている!これは事件だ!と叫びたくなる。

 「場違いな会合」での大爆発シーンで比較してみよう。「どうして、こんな男が生きているんだ!」のところを読み比べる。既読の方はニヤリとしてね>

このブログ主が誰であるか分からないが、とりあえず、仮にX氏としておこう。気になるのは、米川、原訳と比較して、この人が亀山訳を推奨する理由に挙げている一場面の言葉だ。これはドミトリーの遠縁にあたるミューソフという人物が、カラマーゾフ親子の争いの的となっているグルーシェンカを貶めて云う呼び名をめぐってのことで、原語は «тварь»。「動物」「生き物」が元の意味で、蔑称で「畜生」「ろくでなし」、女性を侮辱する一般的意味ではせいぜい「売女(ばいた)」程度の意味である。亀山訳は「淫売」と訳していて、それを評価する理由を、このX氏は次のようにのべる。

<ポイントはグルーシェンカを指している言葉。亀山訳で「淫売」呼ばわりされるのはたまったものじゃないが、雰囲気的にはこれがピッタリだろう。一方で、原訳の「牝犬」は一番好き。米川訳の「じごく」は、観音様の御開帳をホーフツとさせる>

きわめて軽い乗りで、逃げ口上まで添えてX氏が解説して見せるこの訳語の程度は、私達がすでに見て来た誤訳の重大さから見れば、取るに足りないことで、むしろより本質的な問題から目をそらさせるものである。グルシェンカはサムソーノフという地主の囲い者ではあっても、「淫売」ではない。「雰囲気的にはこれがピッタリだろう」というのは見当違い。彼女は肉体美で男性の関心をそそりはするが、性を商売にしているわけではないし、«тварь»が「淫売」を意味するわけではない。X氏はさらに次のようにのべて亀山訳を推奨する。

 <亀山訳が読みやすく見えるのは、口語が現代の言葉になっているから、だけではない。句読点を増やすことで、主述の見通しをよくしたり、名前をバッサリ切り取って文字密度を薄くすることで、追いやすくなっている。>

<東大教師は、岩波文庫や新潮文庫を読んできて、「これだ!新入生はコレを読め!」と推している。もし光文社新訳文庫版を読んだら、力いっぱい言うに違いない。わたしも唱和して力説しよう。「未読の方こそ幸せもの。カラマーゾフは小説のラスボスだが、新訳なら、いま倒せる!」ってね。ただし、訳はやさしいけれど、中身は一緒、あらゆる苦悩が詰まっている。一緒にのたうちまわろう、「大審問官」で。>

要するに、これまで岩波文庫(米川訳)、新潮文庫(原訳)や集英社世界文学全集(江川訳)等の先行訳を学生に推薦してきた東大の教師に、これからは光文社版亀山訳を推薦せよと言っているのである。これは大変異様な、放置できない発言ではないだろうか。私達がすでに見てきたような初歩的誤訳、テキスト歪曲満載の粗雑な訳をもっともらしく薦められた東大の学生や先生たちはこれを知ったら、声を上げて怒るべきではないだろうか。

光文社は2008918日締切で、中高校生相手の「新古典文庫感想文コンクール」を朝日学生新聞社の後援で実施した。課題図書の目玉の一つは亀山訳『カラマーゾフの兄弟』であった。そこで三人の審査委員の一人として、主導的な役割を演じていたのが東大教授・沼野充義という人であつた。亀山の仕事がマスコミにクローズアップされるのには、この人の功績抜きではありえなかったのではないかと私は見ている。彼は院生の頃は「ドストエフスキーとサリンジャー」、「未成年」論などを書いていて、私も読ませてもらった記憶があるが、その後ドストエフスキーには深入りせずに、ポーランド文学などに手を広げていった。「越境文学」の専門家らしいが、越境する前に、彼の研究者としてのフィールドが問われるところである。彼は書評家として鳴らし、マスコミで使い回しされている稀有の存在であるが、光文社が亀山をアイドルとして売り出すうえで、この人の陰の役割は欠かせなかったであろう。『悪霊』のスタヴローギンにとってのピョートル・ヴェルホヴェンスキー的存在である。

亀山郁夫は『カラマーゾフの兄弟』の翻訳で2007年度の読売文学賞特別賞、『謎解き「悪霊」』(新潮選書)では2012年度の読売文学賞研究・翻訳賞を受けているが、この陰に、マスコミでのロシア文学関係鑑定人の役割を一手に引き受け、出版社の意向を体現して発言、行動するこの人物の姿が見え隠れするのである。彼自身審査にかかわったと思われる読売の賞の対象となった『謎解き「悪霊」』を評して、彼はこう絶賛する。

「亀山氏の研究の特色は、文献の博捜、執拗とも言えるほど細部にこだわったテキストの読みと、慎重な研究者がその前で立ち止まるような一線を踏み越える偶像破壊的なヴィジョンの結びつきであって、この『悪霊』論もその結果、原作そのものに張り合えるくらいの魅力的な、独自の価値を持つ著作になっている」(毎日新聞「今週の本棚」2012916

これはまったく、読者をペテンに掛ける無責任な評価というしかない。スタヴローギンが10代の無垢の少女を凌辱する場面をサド・マゾの関係に見立てて扇情的に解釈して独自の解釈を誇示するなど、この著書は、『カラマーゾフの兄弟』の解釈同様、重要な個所でのテキスト歪曲、捏造が目立ち、その珍説は国際的な研究者の世界での評価にとうてい耐えうるものではない(なお詳しくは。拙論「商品としてのドストエフスキー」ドストエーフスキイ広場22号、2013 p.5389、『ドストエフスキーの作家像』(鳥影社、2016)所収 p.1574参照)。

東京外大学長とか東大教授といった、世間から一目置かれる肩書きで一般大衆の目を欺きながら、出版社やマスコミの商魂と結託し、実益と虚名を売る、その目的で偶像化される人物とそれを演出する策士の役割分担と協働 −これこそドストエフスキーが『悪霊』で描いたスタヴローギンとピョートルの分身関係であった。

世間から信頼されるべきプロを名乗る人物が実益や虚名のために素人の消費者や読者を欺いてミスリードする現象が、この十数年目につくようになった。耐震偽装、食品偽装、TVのやらせ番組、朝日新聞の「慰安婦問題」「吉田調書」の記事などである。

 

朝日新聞への投書

私はこうした現象を前にして、朝日新聞に幾度か投稿し、その扱い方を批判し、警告してきた。最初に投稿したのは「私の視点」欄で(200858日付)で「このように、何のことわりもなく、なし崩しに大量の訂正を増刷で重ねていく出版社のやり方は、商業道徳上、許されることだろうか。読者への背信行為ではないのか。私はいわば同業者として、非を訳者にだけ着せるのは気が進まない。問いたいのは出版社のマスメディア戦略の陰に潜む、無責任な商業主義である。疑う人は、増刷訂正にあたって、私達の指摘がいかにこだわりも無く受け入れられているか、「ドストエーフスキイの会」隣接の「管理人T.Kinoshita」のページで確認していただければ幸いである」と主張したが、不採用にされた。これは「週刊新潮」(522日号)でとりあげられる一週間前のことである(週刊誌のこの記事は上記ページで見ることができる)

その後615日付の「朝日新聞」の文化欄に近藤康太郎という記者の署名で、「ロシア文学ブーム再来」という記事が出た。その記事に、「ブームの背景にあるのは、圧倒的に読みやすくなった訳文だろう」とほめあげており、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』のベストセラー現象をその象徴としてあげていた。私は71日の日付で、近藤記者に抗議文を郵送した。(資料参照)

その後まもなく、夏休みの直前、光文社主催、「古典新訳文庫」読書感想文コンクールが、朝日学生新聞社後援でおこなわれるという大々的な記事が朝日に出た。その課題図書の目玉は亀山訳『カラマーゾフの兄弟』と野崎歓訳スタンダールの『赤と黒』で、二つとも誤訳問題のスキャンダルの渦中にあった。私は朝日学生新聞社宛に抗議警告文を送った。(資料参照)

これらの私の投書に対して、朝日新聞からは「私の視点」欄からの不採用の通知以外には何らの返事もない。その後、朝日新聞は「慰安婦問題」。「吉田調書」の事件を犯し、厳しく自己検証を迫られることになった。そこで大々的に「信頼回復・再生チーム」を立ち上げ、一般からの意見を募った。私は2014118日付で意見を送った。(資料参照)

以上のような実態から見ても、亀山誤訳の問題は、社会的責任をかなぐり棄てて、古典文学の翻訳を利潤追求の目的で意図的に利用した出版社とそれに便乗した疑わしい翻訳家のペテン師的な事業で、かつて日本にはなかった文化的退廃の現象といえよう。その実態を覆い隠すために、出版社は資本力の限りをつくして、NHKを含む主要メディアを抱きこみ、亀山を偶像化して、記者や一部の取り巻きの評論家や作家を動員して無責任な賛辞を書かせ、未熟な読者をターゲットに売り込む戦略を展開してきたのではなかったか。亀山郁夫を権威づけるために、光文社は外務省をも抱きこみ、ロシア文化の普及の功績ということで、2008年にはプーシキン賞というロシア政府の勲章まで、授与させる離れ業までやってのけたのだった。

私は現在のロシアの主要なドストエフスキー研究者のほとんどと交流があるが、誰一人この受賞の経緯を知っているものはなく、完全に政治的なものであったといえる。こうした現象は、ロシア文学界自体が、研究者の層が薄く、アカデミックな伝統が欠如している弱点が生み出したものともいえよう。

おそらく英米、独、仏の外国文学の学会では、人文学研究の伝統が根付いており、研究者の層も厚く、このような杜撰な仕事をした人物が学長となったり、出版社の代理人となって暗躍する人物が学会の会長になったりすることはありえないのではないか。というのも、2008年の時期に、ロシア文学研究者の団体である「日本ロシア文学会」に対しておこなった私たちの申し入れについての対応は実に失望させられるものだったからである。

私は大阪府大の萩原俊治氏と連名で、学会の理事、各種委員の役員60名に宛てて、2008315日付で、書簡を送り、秋の全国大会で、亀山訳をめぐって公開討論会を開くよう要請した。しかしこの提案は5月の理事会で却下され、議事録の公開の申し入れも無視された。翌年にまたワークショップ開催を提案したが、これも拒否された。  

要するに理事会はマスコミの後光を背負った亀山、沼野の圧力を跳ね返すことができず、もめ事となるのをただ恐れたのである。陰ではおかしいと思い、批判しながら、トラブルを恐れて口をつぐみ、ただ流されていく、その結果、怪しい人物たちのモンスター化はますます進行し、肥大化していった。研究機関と団体にまで影響を強めた彼らのもとで、若手研究者は萎縮せざるをえなくなっている。

ロシア文学の翻訳、研究の伝統は二葉亭四迷に始まる。彼は革新的な言文一致の文体で、ツルゲーネフの「あいびき」を訳し、日本最初の翻訳論ともいうべき「余が翻訳の標準」というエッセイを残した。それを読むと、原文の「音調」を生かすために、「コンマ、ピリオドの一つをも濫りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つコンマが三つという風にして、原文の調子を移さうとした」とし、かならずしもうまくはいかなかったが、「文学に対する尊敬の念が強かったので」、「一字一句と雖も、大切にしなければならぬ」という信念はすてなかった、とのべている。この態度は、読者サービスをうたって、段落を勝手に増やしたり、恣意的な解釈のために原文を捏造したりする行為の対極にある。ドストエフスキーの翻訳だけをとっても、二葉亭以降の世代の翻訳者たち、米川正夫、中村白葉、原久一郎、小沼文彦、さらに世代が下って原卓也、江川卓、木村浩といった人たちの翻訳の仕事は、概して職人的な良心をもっておこなわれ、翻訳者が原作者を僭称して、勝手に原文を歪曲するようなことはしていない。

ドストエフスキー研究に関していえば、1930年代から40年代にかけてのロシア文学畑のドストエフスキー論は、翻訳者の作品解説という形で、モチューリスキーの浩瀚な『評伝』(1942年)を下敷きにした論やペレベルゼフ、ロガチェフスキーなどソ連の社会学派といわれる評論家の論文の紹介が主で、スターリン時代の社会主義リアリズムの公式理論に基づくエルミーロフの著書ドストエフスキー論は、翻訳されて話題を呼んだものの、あまりのイデオロギー性ゆえに、日本では影響をあたえなかった。ロシアで長年、日陰にあったフォルマリズムの流れを汲むヴィノグラードフやシクロフスキー、バフチン、コマローヴィチ、スカフチーモフといった本格的な研究者の仕事が、1960年代以降ようやく日本の若手研究者にも知られるようになる。

1950年代から60年代にかけて、研究者の育成を目的とした博士課程は早稲田の露文科だけにあった。ドストエフスキー研究でいえば、米川正夫教授の研究室で、東京外語から来た漆原隆子が最初の院生としていた。彼女はモスクワに1年間留学し、図書館に通って、多くの研究書を読み、詳しい研究史を書いた。そして各論を加えて、1972年に『ドストエフスキー 長編作家としての方法と様式』(思潮社)という著書を出版した(彼女は1973年に夭折した)。私はこれがおそらく日本の研究者が出した最初の本格的なドストエフスキー論ではなかったかと思う。

そのころ早稲田には、ドストエフスキー研究者として新谷敬三郎助教授がいた。この人はバフチンのドストエフスキー論の最初の翻訳者(1968年刊)として知られるが、マルクス主義的文学観が支配的であったロシア文学者の間で、早くからロシア・フォルマリストの仕事に関心を寄せていて、後輩の私をふくめて、若手研究者たちに影響をあたえた。私は新谷氏とともに、1969年に「ドストエーフスキイの会」を発足させ、今に続く研究者と一般読者の相互交流のクリエィティブな場を発足させた。

こうした動きの中から、ロシアや欧米のドストエフスキー研究者との交流も進み、1971年以来3年毎に欧米、ロシアで開催されて、すでに15回を数え、2016年にはスペインのグラナダで、第16回を迎える国際ドストエフスキー・シンポジュウムに、日本の研究者も少数ながら若手も含めて積極的に参加してきているのである。2000年には私が主導して、学術振興会や国際交流基金の助成金を受けて、千葉大で国際研究集会を開き、欧米露の研究者26名(うち、ロシアから16名)が参加した。日本が参加者は14名だった。

ひところNHKなどが、「日本のドストエフスキー研究の第一人者」などと宣伝した亀山郁夫や世界のドストエフスキー研究の事情通のような発言をしている沼野充義はまったくこれらの動向に関与したことがなく、こうした世界の研究者の会議には一度も顔を出したことはないのである。

研究者としての資質が疑われる亀山郁夫が教育研究機関の代表、東京外語大学長として、文部科学省「学術研究推進部会・人文学及社会科学の信仰に関する委員会(第9回)」で発言している議事録がネットで公開されているので、少し長い引用になるが、最後に紹介しよう。ネット検索は、この表題で簡単に出てくる。

学術研究推進部会・人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第9回) 議事録

1.日時

平成20215日(金曜日)16時〜18

2.場所

文部科学省 3F1特別会議

3.出席者

(委員)

伊井主査、立本主査代理、井上孝美委員、上野委員、中西委員、西山委員、家委員、伊丹委員、猪口委員、今田委員、岩崎委員、小林委員、深川委員、藤崎委員

(外部有識者)

亀山 郁夫 東京外国語大学長

(事務局)

永研究振興局長、藤木大臣官房審議官(研究振興局担当)、伊藤振興企画課長、森学術機関課長、松永研究調整官、袖山学術研究助成課企画室長、戸渡政策課長、江崎科学技術・学術政策局企画官、後藤主任学術調査官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 他関係官

以上のようなメンバーの出席の場で、亀山郁夫は「グローバル化時代における文学の再発見と教養教育」というテーマで3040分ほどの報告のあと、質疑応答で多弁を弄しているが、ベストセラーで名を売った『カラマーゾフの兄弟』の翻訳者として、次のような注目すべき発言をしている。

『カラマーゾフの兄弟』には、たしかに世界文学の最高峰というレッテルが貼られてきましたが、それ以上の何ものでもなかった。『カラマーゾフの兄弟』が「父親殺し」という極めて根源的な、現代に通じる、通底する、テーマを扱っているらしいという情報がそこにつけ加わるまでに何十年とかかってきたわけです。つまり、ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』というタイトルは知っています。そこからさらに、何十万人の人が、『カラマーゾフの兄弟』は「父親殺し」を扱っていますよということを知るまでには何十年かかっているんですね。いや、かかってきた。しかし、インターネットの時代に入って、第二段階での情報が付加されるまでに時間がかからなかった。もしインターネットがなかったら、ここまでは広がらなかったと思います。次に、第三段階の情報がそこに加わった。もう一つのモメント、『カラマーゾフの兄弟』がミステリーである、という情報です。これもインターネットによって加速的に広まっていった。
 1990年代の前半までは、いかにすぐれた翻訳があっても、『カラマーゾフの兄弟』というのは本屋で並んでいる文庫本の1冊にすぎなかった。本屋さんに入って、文庫コーナーの前にたち、『カラマーゾフの兄弟』を前にしても、それが「父親殺し」を扱った「ミステリー」でもあるという連想は全く働いていないということです。今はおそらく本を買う人以外の何十万人という人が、『カラマーゾフの兄弟』は父親殺しを扱っている、ミステリーだということを知っている可能性があるんですね。それが大事なんです。将来的には、おそらく何十年たてば、読む人はもっともっと増えていくだろうと想像されることで、現在の『カラマーゾフ』の現象は、想像以上の効果が将来的に生まれるだろう、と予想しています

ドストエフスキーについて心得のある一般読者や研究者は、このような発言を読んで、正直、どう思うだろうか。『カラマーゾフの兄弟』が「父親殺し」の小説だと一般読者が知るまで、何十年とかかり、ネットの時代の今にいたって広まったとはどういうことか。フロイドが「ドストエフスキーと父親殺し」とういう論文を発表したのが1928年で、弟子のノイフェルトの著述とともに、広く知られ、日本でも翻訳されて、小林秀雄はジードやカーなどと共に、こうした精神分析の手法はドストエフスキーの正しい理解に導かないと厳しく批判した(本書拙論「小林秀雄とその同時代人のドストエフスキー観」参照)。研究者や評論家の間でも抑制されてきた俗流フロイド主義的解釈を、今更のように持ち出して『ドストエフスキー 父親殺しの文学』(NHKブックス、2004)を書いたのが亀山であり、彼はここで自分の本を宣伝しているに過ぎないのである。小説がミステリー(推理小説)だと気づいたというのも噴飯もので、古典として多面的に読み込まれてきた作品を、初心の読者大衆をターゲットにして、エンターテイメントに単純化して売り込もうとする出版社の魂胆を、もっともらしく粉飾、正当化する言辞であるとしか受けとれない。そういう立場であれば、作品の構造や作者の視点といった創作方法(ポエチカ)にかかわる現代のドストエフスキー研究の主流の方法は邪魔になるはずである。そこで彼は次のようなもっともらしい意見を開陳する。

そもそも、私は、いわゆる精緻な学とでもいいましょうか、ロシア文学で言うならば、例えばロシア・フォルマリズムという方法があり、その後、ミハイル・バフチンという傑出した文芸学者の理論の援用しつつ、作品のテクスト分析を行うというアプローチが主流を占めるようになって、決定的に疎外感をもつにいたったのです。これだと、作品の構造上の特質はわかっても、ぜったいにそれ以上のことはわからない。柔軟な思考、人間的な思考を殺してしまうとまで感じました。私自身は、そういった研究スタイルに全く関心がもてず、自分がテクストと向かい合ったときに感じる何か、そして、その感じる何かの向こう側に見えてくる何か普遍的なもの、を言語化するという方向性をめざしました。既存の方法論に依拠した論文なり、本では、読者は獲得できないと本能的に感じたためです

そこで亀山は「古くからある「文学」という概念の祖型ともいうべきもの」「それを失くしては永久に読者と通じ合えない臍の緒のようなもの」に戻ることにしたといい、「文学という概念の根本にあるものとは何か」、それは「人間の多様性の解明」であるとして、こう続ける。

わたしの考える文学研究とは、重層的かつ派生的な複合体として存在するテクストから、新たな読みの可能性を引き出すことであり、当該のテクストのうちに隠された文脈と世界のモデルを発見し、それを限りなく更新していく営みを示す。その媒介者となる最大の要因は、いうまでもなく「研究者個人の精緻な読解力」、つまり、外国語ですからテクストが読めるということですね、と同時に、作者の意図を読めるということは、テクストが読めるということとは実は言葉のレベルで読めるということとは変わりない。「イマジネーションと人間そのものへの洞察力の三つに他ならない」。そして、いわばそこでつかみとられた何か、それを表現する「言語表現そのものが、論理的な厳密さを礎としつつ、文体上の輝き、工夫、魅力に満ちあふれていることがのぞましい。こうして研究者は、人間と人間間、および人間社会の隠された多様性、多元性の発見をとおして、それぞれが与えられた存在のありかたと運命への認識を深めることになる」。
 これが私の基本的な文学観です

自分の独創的な立場をうち出すのであれば、真面目な研究者ならば、過去、現在の研究の歴史を踏まえて、その批判的検討の上に、おこなうはずである。ところがこの論者はそのような研究史には背を向け、もっぱらテクストに向かうことを唱え、精密な読解を謳うのであるが、その実態はどうであったか。すでに私たちが、詳しく検討し、見てきた通りである。作品の構造についても、叙述のスタイルについても、無知、無関心であるがゆえの、とんでもない誤訳の数々を積み上げられているのである。「人間の多様性の解明」どころか、俗流フロイド主義的な安易な「父親殺し」「皇帝暗殺」の概念が『カラマーゾフの兄弟』では安易に適用され、『悪霊』では少女凌辱のエピソードの解釈に、サド・マゾの概念が扇情的に応用されていた。

学術経験者を装って、ロシア文学の教育・研究機関の代表として、文部科学省の委員会で発言するこの人物の仕事の実態はといえば、目を覆うばかりであった。その実態を一般読者に見えなくさせているのは、出版社の物量をかけた宣伝作戦であり、ロシア文学界を代表するかのような黒幕的な代理人の暗躍であり、取り巻き的な評論家や作家の無責任な賛辞であった。

世間から信頼されるべきプロを名乗る人物が実益や虚名のために素人の消費者や読者を欺いてミスリードする現象が、2000年代に入って社会問題としてにわかに目につくようになった。耐震偽装、食品偽装、TVのやらせ番組、朝日新聞の「慰安婦問題」「吉田調書」の記事などである。亀山現象もこの時代風潮と無関係ではないように私は思う。プロがプロとしての職業的良心を失って、その場限りの利益や虚名に身をゆだね、歴史を恐れない愚挙に走っているのである。そして重ねていえば、この亀山現象は、日本のマスメディアや出版界独特の村社会的な現象であって、国際的な研究者の場では、まったく通用しないのである。