まえがき

この小論は日大芸術学部教授・清水正氏の編集する「ドストエフスキー曼荼羅」3号(年内刊行予定)のために書かれたものである。副題にある「ドストエフスキーの文学はすでに終わっている」というフレーズは、清水氏から提示された選択課題にこだわった結果で、深い理由はない。

                               (2009116

 

 

亀山現象の物語る状況

―「ドストエフスキーの文学はすでに終わっている」とすれば−    

                            木下豊房

 

「ドストエフスキーの文学はすでに終わっている」といえるとすれば、それはドストエフスキーを商品として消費しつくそうと企図する者の言葉でしょう。実際、この国で、この数年、出版不況の中で、ブランドを利用して金儲けを企む投機の対象とされたのが『カラマーゾフの兄弟』であり、メディアを利用して演出されたのが亀山現象でした。ミリオンセラーを喧伝する亀山郁夫訳の実態がどのようなものであったか、私が管理するインターネットのサイト「管理人T.Kinoshitaのページ」にアクセスしてもらえれば、そこに出ている数々の資料から、判断していただけるはずです。

http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm 

 亀山訳『カラマーゾフの兄弟』自体、目に余る初歩的な誤訳、意図的なテクスト歪曲や改竄が多く、とうてい真面目な仕事とは思えず、利益追求のために、大衆的な読みやすさをねらった光文社営業編集サイドの無責任な組織的なプロジェクトとしか考えられないのです。サイトで公開している亀山訳の「検証」「点検」は刊行訳全5巻のうち、第1巻に限っての作業で、ロシア語に堪能な商社マンNN氏、先行訳で丁寧に読んできた一般読者の森井氏によるものです。この作業によって、422頁中、実に123個所の誤訳が明らかになりました。その後、私は「検証補遺」の形で新たに12個所の誤訳を発見しましたが、その中には笑いごとにしては、あまりにもひどい事例がありました。

 妊娠した身重のスメルジャシチナがフョードル・カラマーゾフの家の塀をよじ登って、屋敷内にしのびこむのに、「リザベータは、その夜、カラマーゾフ家の塀も勢いよくはい登り、身重のからだに害がおよぶのも承知で飛び降りたのである。」(p.263)という訳がほどこされているのです。傍線個所は «как-нибудь»(「どうにかこうにか」、「やっとのことで」)が語義であって、「やっとのことよじ登って」が正しい訳です。これが常識というもので、ロシア語の文字が読めて、辞書を引くことが出来る人ならば誰にでも分かる誤訳です。とはいえ、「身重な女に勢いよく塀をはい登らせる」ごとき無茶が亀山郁夫の仕事には余りに目につきます。

 数え上げたらきりがないこの種の誤訳、テクスト歪曲、根拠のない主観的な解説によって、ドストエフスキーのテクストは見事に殺され、死んだ状態に置かれるのです。こうした事実に目をつぶり、黙認する人達にとっては、間違いなく「ドストエフスキーの文学は終わっている」のです。亀山の誤訳の問題はすでに前記のサイトで多くの資料を公開しているので、そちらに譲ることにして、彼がその後、相次いで発表している『カラマーゾフの兄弟』の解説、「続編を空想する」(光文社)、「謎と力」(文春新書)、「『罪と罰』ノート」(平凡新書)、「共苦する力」(東京外大出版会)を読んでいて、気がついたこと、そして亀山のドストエフスキー解釈スタイルのルーツについて、考えてみることにしましょう。

 『カラマーゾフの兄弟』解題において、フロイド的な「父親殺し」−「皇帝暗殺」を主軸に主題を解説して見せた亀山は、イワンの大審問官伝説のキリスト僭称者説を持ち出しましたが、その理由はキリストが「キリスト」という固有名では一度も登場せず、もっぱら「彼」という代名詞で登場して、大審問官へのキスにより、大審問官の支配する世界への承認をあたえたからというのでした(「ロシア 闇と魂の国家」p.97、『カラマーゾフの兄弟』解題p.308)。翻訳の底本として現在一般的なソ連時代に公刊されたアカデミー版30巻全集(亀山もこれを底本としてあげている)では、確かにキリストは小文字の「彼」で書かれていて、まぎらわしいのですが(ソ連時代の無神論政策に基づく一種の検閲の影響)、現在、スキャナー技術を駆使して、小説発表当時の雑誌掲載版で全集を刊行中のザハーロフ版では「彼」は大文字で表記されています。また英訳版その他欧文の翻訳ではガーネット版も含め、昔から一貫して大文字で書かれていて、キリスト教文化圏の常識として、大文字の「彼」がキリストであることに疑う余地はありえないのです。亀山は初歩的なテクストの確認の労も怠って、思いつきをあちこちでしゃべり散らし、宗教にかかわることを、謎解き、絵解きの小道具として安易に興味本位に仕立てています。それは「大審問官」の章のキリストにかかわる個所だけに限りません。

私は亀山の他の著書3点、「謎とちから」(文春新書)、「『罪と罰』ノート」(平凡新書)、「共苦する力」(東京外大出版会)について、最近、インターネットの書籍販売「アマゾン」のレビューに次のような批評を書きました。

 

信憑性の疑われる本, 2009/8/3 − 「謎とちから」(文春新書)

レビューにしては、いささか時期を逸したうらみがあるが、ごく最近、本書を一読して驚嘆し、黙っておれなくなった。なかでも異端派、分離派信徒の「去勢派」について、じつにでたらめな解説がなされているのである。まず明らかな嘘は、ドストエフスキーの初期作品『女主人』のカテリーナが「去勢派」であり(p.95)、『悪霊』革命家ピョートルは「政府転覆のために去勢派の利用を考えていた」(p.90-91)、「ロシア国内に暴動を起こそうと企てている革命家のピョートルが、郡内にいる去勢派の宗徒たちを利用しようとしている事実である」(p.184)という記述である。
 まずロシア正教会で熱心に祈るカテリーナが分離派信徒であるわけがないし、そうした説明は小説のどこにもない。『悪霊』での去勢派についての言及は2回、いずれもピョートルの言で、郡内に去勢派の信徒がいるというのと、去勢派の教祖伝説よりも巧みに、スタヴローギンを自分たちの偶像に仕立ててみせるという断片的なせりふにすぎない。

 性的タブーと抱き合わせに「去勢派」をテロリストに仕立て上げる著者の妄想は、「堕落した父」=アメリカと「去勢派」=イスラムの戦い、というはなはだ穏当ならざる類推まで導き出すことになる。(p.90

 『白痴』のロゴージン家が先祖代々「去勢派」だとすれば、生殖能力のない父親の子「ロゴージンは だれの子だということになるのか?」(p.151)と大真面目な議論を著者は展開するのだが、テクストをきちんと読めば、ロゴージン家には祖父の代から「去勢派信徒」が間借りしていたこと、父親は「去勢派」に共感を持ってはいたが、信徒ではなく、正教会に通っていたと書かれているのである。

 同じようにテクストにはない著者の妄想の産物がスメルジャコフの父親=グリゴーリー説である。テクストではグリゴーリーは「鞭身派」に興味を持ち、教えに耳を傾けていたが、その宗派に入る気はなかったと、わざわざ書かれているのである。にもかかわらず、著者はわずかに曖昧に書かれている一節を勝手に解釈して、「旺盛な性欲をもてあました」グリゴーリーが「鞭身派」の集会に出席して、乱交の儀式でスメルジャシチナを妊娠させた。その子がスメルジャコフである(p.227)との突飛な空想を展開するのである。このようにテクストからはずれたアナーキイな読み方は、ドストエフスキーの小説を「性(フロイド主義)と暴力(父親殺し、皇帝暗殺、テロリズム)」の大衆的な興味本位の文脈に焼き直そうとする意図的な戦略かとさえ思えてくるのである。

 「あとがき」で、ドストエフスキーと異端派の関係の論考は「きわめて数が少なく、故江川卓による世界的な仕事『謎解き』シリーズ(新潮社)にその記述があるのみで、ロシア内外の研究がようやく彼のレベルにおいついて来たというのが、実情である」などと、著者は書いているが、これも真っ赤な嘘である。まじめな研究者ならば知る人ぞ知る、スメルジャコフの「去勢派」その他の説明で、江川卓がイギリスの研究者Richard Peace"Dostoevsky - an examination of major novels"(1971) を踏襲しているにすぎないこと、ラスコリニコフやミコールカと分離派の関係も1970年代のアリトマンなどソ連の研究者の説に依拠していること−そうした事実を著者が知らないとすれば、大変、不勉強である。

 このように多くの点で信憑性が疑われる本が、有名出版社から出、取り巻きの文学者や評論家によって読者大衆に宣伝されるという現象こそ、黙示録的な世相であると、嘆かざるをえない。  

 

間違い、不正確な情報が多い, 2009/7/31 −「『罪と罰』ノート」(平凡新書)

本書、冒頭部に掲載されている『罪と罰』の舞台、センナヤ広場付近の地図には重大な誤りがある。 ソーニャの家は見当違いの場所にあるし、ラスコーリニコフの家の位置も、その角地の位置関係も正しくない。再三訪れている私は確言できる。この間違いは江川卓『謎解き『罪と罰』』(新潮選書)に発し、亀山新訳、本書と継承されて、多くの読者を惑わすことになるだろう。案内図としては役にたたない。

 次に叙述に見逃せない不正確さ、重大な間違いが散見される。スペースの関係でその2、3にとどめる。107頁に、「ザメートフの原型であるバカービンとリザベータが「できていた」事実」云々の叙述があるが、これは完全な間違いで、創作ノートで「バカービン」として構想されていた人物はラスコーリニコフを往診する医者のゾシーモフのことである。これに気付かない著者は三田誠広との対談: http://canpan.info/open/news/0000004162/news_detail.htmlで、バカービン=ザメートフ説を得々と語るのである。そのほか、物語進行の時間、日程に関しても江川説とロシア研究者の説をごっちゃに取り入れているために、途中で日付が飛ぶなど、混乱が見られる。

 またロシア文化史にかかわる次のような叙述も問題である。 119頁「『罪と罰』はペテルブルグ対分離派の構図をとっている。そもそもペテルブルグの建設にあたっては、分離派の人々を強制労働にあたらせ、多くの犠牲者を生んだ」。ピョートル一世の強権政策による首都建設において、分離派教徒が殊更に犠牲にされたという印象を与える記述ははなはだ疑わしい。

 126頁「ミコールカは分離派のなかでも「無僧派」と呼ばれる過激な宗派に属していた」。「無僧派」にはそれこそ無数のセクトがあるが、一般に政治的な意味では過激ではない。「鞭身派」、「去勢派」を念頭に置いて、倫理的な意味で過激(禁欲→乱交、去勢)というのなら、ミコールカの属していた「逃亡派」(政府権力への服従を拒否して、森に隠棲したり、放浪して回る一派)がどのような意味で「過激なのか」、説明抜きの、思わせぶりな、不正確な情報である。
この本の内臓する問題、欠陥を詳しく知りたい人は次のURLにアクセスすることをお薦めする。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost133.htm

 

成熟した読者の評価に耐えうるか? 2009/8/14 −「共苦する力」(東京外大出版会)

本書の著者である東京外大学長亀山郁夫氏は、平成20215日の文部科学省の学術研究推進部会で、委員や役人を前に、学長裁量経費で、大学出版会を立ち上げたとのべている。国立大が独立法人となり、国民の税金を資に、こうしたことも可能になったのであろう。その企画実現のトップを切ってデビューしたのが、本書である。大学出版会の刊行物という以上、商業出版では採算がとれないような高度の学術性、専門性をそなえたものか、仮に大衆的な啓蒙性を目的にするにしても、質的に高いものを期待したくなる。本書でいうならば、日本の成熟したドストエフスキー読者の評価に耐えうるものであるかどうかということである。しかしこの点では残念ながら疑問符を付けざるをえない。

 基本的な論旨はすでに既刊書(『カラマーゾフの兄弟』訳の解説、『謎とちから』、『『罪と罰』ノート』)に書かれたものの繰り返しであり、江川卓の『謎解き』に主として依拠しながら、ロシアの研究者達の注釈や解釈を取り入れているが、肝心の著者独自のオリジナルな解釈となると、テクストを誠実に踏まえるというよりも、主観的な空想、妄想に支配されている。たとえば、ラスコーリニコフへの母親の手紙は彼の「前途に明るい未来が開かれていることを暗示しています」「妹とルージンの結婚式をめでたくすますことができれば、彼にとって金銭的な不安もなくなります」(67頁)という記述、これは「母の手紙は彼を苦しめた」という小説のテクストに始まる主人公の意識ののたうつような長いモノローグとどのように関係するのか?母親の手紙によって「神は、救済の手を差し伸べた」(同)などと、わけの分からない解釈がどこから生まれてくるのか?このようにテクストに対して無神経な態度をとりながら、「私のドストエフスキー理解は一貫している。それは、書かれたテクストを絶対化しない、テクストには二重構造があるという信念である」(261頁)などと述べるのである。

 『謎とちから』(文春新書)のレビューで私が批判した「去勢派」についての恣意的な解釈は本書でも引き継がれているが、研究者の立場で指摘しておかなければならないのは、ラスコーリニコフの出身地がR県(リャザン県)であることについて、江川卓が突き止めたと(73頁)していることである。1970年代にソ連の研究者がすでに指摘していて、日本ではそれを受け売りしただけのことに過ぎない。

 題名の「共苦する力」の「共苦」はロシア語の「サストラダーニエ」を直訳で借用したものと思われるが、ある意味でドストエフスキー文学の本質的な理念にかかわるこの用語を著者はただのお飾りとして利用しただけで、なんらテクストの深い読みに裏づけられたものではない

 

 亀山は以上の三著で、分離派教徒のモチーフに特別の関心を寄せ、これをドストエフスキー作品解釈の梃子として、強引に利用しようといています。そしてその先駆者として、江川卓を祭りあげようとするのです。

亀山郁夫の手法を問題にしているうちに、そのルーツがどうやら江川卓の『謎解き』シリーズ(新潮社)にあるのではないかという気がしてきました。あたかもテクストの謎を解くという名目で、実は論者の恣意的な解釈をもぐりこませ、これが作者の隠された意図だ、謎かけだと読者に思いこませる手法をはじめたのは江川卓で、亀山郁夫はその拙劣な模倣者、亜流であるということです。

 江川卓は『謎解き『罪と罰』』(新潮選書)で、天才ドストエフスキーが仕掛けた謎を解くとしながら、その「謎」の多くはドストエフスキーの「意識的な創作行為ではなく、なかば無意識の創作的直感、さらには単なる偶然でしかなくて」(p.13)とのべています。そして「謎」を仕掛けたのは「作者を越える存在」であり、その「超越的存在」が、ラスコーリニコフが犯行前の瀬踏みで老婆の家を訪ねる場面で、「敷居をまたがせ」、「プレストゥピーチ(踏み越え、犯行)」という言葉を「語り手にささやいた」(p.25)としています。江川の手品が始まるのはここからです。

 テクストを忠実に見れば、瀬踏みでの老婆訪問の場面でのラスコーリニコフの行動は、「敷居を(名詞)+経て(前置詞)、暗い玄関へ入った」(«переступил через порог в …»であって、意味の重点は「敷居」ではなく、入り込んだ先です。この同じ表現用法は、ソーニャが父親の事故を聞きつけて自宅に駆けつけた時の場面、スヴィドリガイロフがラスコーリニコフの部屋を訪れた場面でも使われています。英訳ではThe young man stepped into the dark entry,>(ガーネット)です。注意すべきは、これは「語り手」の叙述の言葉に過ぎないということです。

他方、「犯行」を意味する「踏み越え」の場合は、переступил目的語例えばзакон「法律」で、英訳ではtransgress the law,>です。ここで注目すべきは、переступил目的語(「踏み越え」)で表現されるのは、すべてラスコーリニコフの意識を反映した言葉であるということです。ポルフィーリイも使いますが、これはラスコーリニコフの論文の主旨を反復する言葉です。一個所だけ、文字通り「敷居(直接目的)を越える(переступил порог)」という表現がありますが、これは犯行後ラスコーリニコフがラズミーヒンを訪ねた時の後悔の言葉で「ラズミーヒンの敷居を越えたことの忌々しさだけからも、息が詰まりそうになった」という表現で、ここでは「敷居」は主人公の意識にかかわる抽象的なニュアンスが与えられています。

ドストエフスキーの創作を読み解くにあたっては、形象にならない一次的作者(舞台裏の姿を隠した作者)と二次的作者(語り手)と作中人物(主人公)の声の位置づけを慎重におこなう必要があります。一次的作者は時と状況に応じて、二次的作者(語り手)やさまざまな登場人物に変身して出没します。この見方はバフチンやリハチョフをはじめとするロシアの研究者、そして世界の研究者が大方、共有する視点です。これがドストエフスキーのポエチカ(詩学)といわれるものです。

作品での「踏み越え(переступить)」という言葉の運用に関していえば、語り手の叙述の言葉か、主人公の意識の言葉かのいずれかでしかなくて、一次的作者の言葉ではありません。ラスコーリニコフがソーニャに「お前も踏み越えたのだ、一緒に行こうよ」と迫った時のソーニャの怪訝な反応の奥にこそ、隠れた作者の姿は垣間見えているというべきでしょう。

こうしたドストエフスキーのポエチカ(詩学)を考慮することなく、江川卓は語り手の叙述の言葉と、主人公の意識の言葉のずれ(・・)にだけ注目して、「日常の身体行動をリアルに記録する作者と、そこにひそかなからくりを仕掛けるもう一人の作者。そのどちらが真の作者であるかは明らかにされない」とし、「分身関係にあるらしいこの二人の作者を見定めようとするうちに」、背後に幻視されるものがあって、これが作者を越える「超越的存在」だと、推論するのですp.25。これによって何が可能になるかといえば、真の作者(一次的作者=ドストエフスキー)の排除と論者のすり替りです。

 江川流でいくと、作者を越える「超越的存在」を措定した時点で、一次的作者の存在は追放され、すり替わって、論者が居座ることになります。その先は、論者は作者を僭称し。あるいは神の采配すらも騙りながら、思いつきであれ、妄想であれ、好き勝手な説を展開できることになります。

 『謎解き『罪と罰』』の書き出しを、江川は「ナスーシチヌイ」(緊急の、差し迫った、日々の)という言葉の語義解釈から開始しました。この形容詞は聖書起源の「文語的な非日常語」であって、ラスコーリニコフが「幼児体験、無意識のお祈りの世界も振り捨てようとしている」ことを暗示する作者の仕掛けであるかのようにのべられています。しかし、この言葉自体、幾分、文語的とはいえ、現代でも、例えばTVのアナウンサーの口からも聞かれるのであって、ロシア人の識者の意見を聞いても、それほど大げさな勿体ぶった単語ではありません。 読者はまずこうしたいわくありげな解説を聴かされながら、「敷居をまたぐ」、「踏み越え」の微妙な仕掛けについての先のような講釈によって暗示をかけられるのです。

 次にくるのが万年暦、教会暦を持ち出しての『貧しき人々』のジェーヴシキンとワルワーラの「キス」の話であり、ワルワーラとブイコフのポクロフ祭(11月1日)での「まじわり」の講釈です。ロシアの教会暦や民間伝承の故事についての江川卓の博学ぶりには一目置くとしても、作者に成り変って、いや「作者を越える存在」に成り変っての独演ぶりには、冷静な読者なら警戒心を抱くのが当然でしょう。世間の冷たい目を過剰に意識しているジェーヴシキンであればこそ、カーテンがワルワーラの窓辺の花に引っかかっているのを、相手の微笑みの挨拶と勘違いして有頂天になり、ついでに教会での何時かの挨拶のキス(江川説のように復活祭のキスとは書かれていません)が喜ばしく思い出されたというだけの話でしょう。文脈ではそう読むのが自然であって、江川説は日常の挨拶での身体的接触の文化的違いを考慮しない、妄想に近い深読みというべきです。ワルワーラとブイコフの「まじわり」の件も、注釈としてはありうるかもしれませんが、テクスト解釈の本論に据えられるべきものではありません。

 しかしロシア語やロシアの故事に不案内な読者は、巧みに著者によって暗示をかけられ、第二章「666の秘密」以降、論者のペースに引き込まれていきます。江川卓の「卓見」ともいうべき「666の秘密」について、ロシアを代表する研究者ザハーロフに見解を求めたところ、否定的でした。一次的な作者の存在を追放して、僭称者の立場に居座るのでもなければ発言不可能な見解は、ロシアや欧米の正統な研究者には通じないのです。江川卓はロシアの研究者やイギリスの研究者ピースの著書などを大いに利用して、自分の論の本体に仕立てあげていますが、ほとんどが注釈の応用であって、原著では注釈がテクスト本体のバランスを歪めるような偏った書き方はされていません。あくまで作品のポエチカ(詩学)に留意したうえでの論述です。それが研究者の節度であり、流儀というものです。

 その昔、一九九三年の「江古田文学」冬号に、「「天国の彼方」への旅」という短いエッセイを私は書きました。ドストエフスキーの少年時代の思い出の地、ダラヴォーエへ初めて訪れた時のことを書いた紀行ですが、実はここに私は江川批判をしのばせていたのです。

ダラヴォーエ村の近くのザライスク市はラスコーリニコフの故郷と想定されますが、江川卓はザライスクの地名の語義解釈で、ザ(向こう側)+ライ(天国)+スク(地名特有の語尾)=「天国の彼方」と解釈して、ラスコーリニコフは「天国の彼方」からペテルブルグの「地獄」へ落ちてきた「堕天使」だとのべているのです。ところが私が現地に行って知ったのは、ザライスクは十三世紀に遡るモンゴール軍のロシア襲撃の突破口になった土地で、歴史的な悲劇にちなんだ地名だということでした。モンゴールのバツ汗のもとに父リャザン大公の名代として派遣された息子フョードル公は、バツ汗に土地を荒さない交換条件としておまえの妻を差し出せと要求されます。それを拒否したフョードル公はその場で殺害されますが、夫の訃報を聞かされた妃は宮殿の高窓から幼子ともども地面に「ひと思いに」(ザラス)身を投げて命を絶ちます。その悲劇の夫妻と幼子の葬られた教会のニコライ聖像が「ザラスカヤ」と呼ばれ、地名の源となったのです。この話は日本でも翻訳されているロシア文学史に有名な「バツのリャザン襲撃の物語」(筑摩叢書『ロシア中世物語集』中村喜和編訳所収)に詳しく書かれていることです。江川卓がこのことを知らなかったとすれば、ロシア文学者としてうかつであり、語りの「超越的存在」に依拠するからには、このようなまことしやかな叙述は軽率のそしりをまぬがれません。

ちなみに亀山郁夫は「『罪と罰』ノート」で、「ザライスクの語源は「ひと思いに」である」(p.127)とだけただし書きをつけていますが、こうした歴史的な背景は無視して、ラスコーリニコフと同郷とされる「分離派」ミコールカの過激性に結びつけようとする魂胆が透けて見えます。そして、私がアマゾンレビューでふれたように。「ミコールカは、分離派のなかでも「無僧派」と呼ばれる過激な宗派に属していた」(p.126)などと、筋の通らぬことを書くのです。

亀山郁夫は江川卓によって開かれた「大道」を進んだだけかもしれません。しかし翻訳者としては誠実であった江川とは異なり、亀山は翻訳者としてすでにアナーキーであり、「テクストには二重構造がある」などといって、強引に作者の立場すら僭称しようとしています。そのようにして作者は殺され、文学は死んだ状態で読者に突きつけられるのです。

しかしドストエフスキー文学は文字通り、「復活」の文学です。読者は誠実な訳とテクスト解釈によって、繰り返しそのよみがえりを体験するにちがいありません。