(初出:「ドストエーフスキイ広場」202011

スメルジャコフの素顔、もしくはアリョーシャ・カラマーゾフ の咎について

―倫理と芸術のアポリア―

                 

父親殺しではアリョーシャもその咎(罪)[i]を免れないのではないか、という設問は、これまでの一般的な解釈から見れば、奇異に思われるかもしれない。フョードル・カラマーゾフの私生児と想定されるスメルジャコフをふくめてのカラマーゾフ四兄弟のうち、長兄ドミトリーは無実の刑を受けてシベリア流刑となり、次兄イワンは発狂し、スメルジャコフは自殺する、そのなかで、アリョーシャだけは、皮肉ないい方をすれば、渦中にいて渦中になかったかのごとく、未来を志向して生き、第一部の「作者より」の「まえがき」によれば、第二部の主人公として活躍することが予定されている。しかもこの第二部こそが小説の本編というのである。

この小説冒頭より顔を出す「作者より」の作者とはどのような存在であろうか。私は以前、『弱い心』を分析した時に、形象化できない(姿を現さない、隠れた)一次的作者(=作家本人)と二次的作者(=語り手、語り手的副主人公という)バフチンの概念を使って、それらの主題展開のなかでの役割の違いを明らかにしようとした。[ii]

アレクセイ・カラマーゾフの伝記作者を任ずるこの大長編の「作者」もまた、(姿を現わさない)一次的作者ではなく、いわゆる語り手(二次的作者)と理解すべきであろう。というのはこの語り手的「作者」はまず愛する主人公のアイデンティテーを護り、青年の人格形成に目を注ぐことを第一義的任務として、つねにアリョーシャに寄り添っていて、その意味で、この「作者」は一定の課題を担わされ、制約を受けており、変幻自在な一次的作者とはいえない。この事実は後述で明らかになるように、スメルジャコフへの視点をめぐって、重大なズレとして露呈する。

小説構成上、アリョーシャは『白痴』のムイシキン公爵にも似て、他の主要人物達と読者をつなぐ媒介者的人物であって、語り手とその機能の面で役割を分担している。ドミトリーとイワンはもちろんのこと、父親のフョードルも、グルーシェンカも、リーザもスネギリョフも、自分の内面を開いて見せるのは、ただアリョーシャに対してなのである。語りの主要な構造は主人公達のアリョーシャに対する告白に支えられているといって過言ではない。ひるがえって、アリョーシャは彼等に対して、一種の心理カウンセラーのような役割すら担わされているのである。したがって、アリョーシャは作中のほとんどの主要人物と対話的関係にある。語り手はひたすらアリョーシャの視点に寄り添っている。ただ一つ対話的要素を欠いた例外的な対応がある。それはスメルジャコフに対してある。

山城むつみ氏の「カラマーゾフのこどもたち」という論文を読んだ(雑誌「群像」20107)。この論文のモチーフと思われる次のような記述に私は興味を誘われた。「スメルジャコフを愛することができなければ、ドストエフスキーが「わが主人公」と明記したアリョーシャを理解することができない。スメルジャコフの苦しみに全幅の共振ができて初めてカラマーゾフの全スペクトルを理解したと言えるだろう。〈・・・〉カラマーゾフのスペクトルの両端はゾシマとフョードルではない。アリョーシャとスメルジャコフなのだ」

山城氏は『カラマーゾフの兄弟』を愛読したという哲学者ヴィトゲンシュタインのスメルジャコフについての評言、「彼は深い、このキャラクターのことをドストエフスキーは知り尽くしていたのだ。彼はリアルだ」という言葉をも自己の立論の拠り所にしている。では、この哲学者がいうところの、ドストエフスキーはこの人物を知り尽くしており、「リアルだ」、とはどういう意味なのだろうか。

 折しも私は二〇一〇年六月一三日〜一九日にイタリアのナポリ大学で開催された第一四回国際ドストエフスキー・シンポジュウムに参加し、「『カラマーゾフの兄弟』のメモワール構造におけるスメルジャコフの現実」[iii]と題して報告した。私のテーマは小説の大きな主題、基本的理念と見られる「偶然の家庭」のテーマに照らして、テクストに描かれている生身のスメルジャコフの運命を検討するならば、小説の別の側面が見えてくるのではないかということにあった。従来の論では、スメルジャコフという人物にはつねにフィルターがかけられていて、素顔が見えていないのではないか。恥ずかしい出生の秘密を持ち、尋常ではない育てられ方をして、ひねこびた狷介な性格に育った若者―イワンの無神論思想にかぶれ、その思想の分身的戯画化の体現者、イワンの意識にとっては夢魔的、悪魔的な存在。スメルジャコフのイメージは初手からこのように、運命論的、決定論的な刻印を帯びさせられていて、「作者」なる語り手が仕掛けたそのようなフィルターを通してしか、読者はこの哀れな青年に接することができないのではないか。

 

小説『カラマーゾフの兄弟』の大きな主題というべき「偶然の家庭」、「父と子の関係」の問題において、作者は「記憶」あるいは「思い出」という概念に重要な意義をあたえている。この概念は心理的レベルにとどまらず、道徳的、教育的レベルでの人間の内面的可能性にかかわるものとされている。ドストエフスキーはこの小説を執筆する直前の時期、一八七六―一八七七年の『作家の日記』のエッセイ「クロネベルグ事件」、「ジュンコーフスキイ夫妻の事件」その他で、繰りかえしこの社会問題を論じていた。そして作家が社会的問題としての「偶然の家庭」を論じる時、決まって並行的に言及するのが人間の子供時代における記憶、思い出の重要性であった。

私は会誌「広場」一六号で発表した論文「「思い出は人間を救う」―ドストエフスキー文学における子供時代の思い出の意味について―」で、このことについて論じた。この論文で書いたことを少々、おさらいしてみる。

 ドストエフスキーは「偶然の家庭」が発生する根源をこう指摘した。

「家族に対する父親たちの怠惰のもとで、子供たちはもう極端な偶然にまかされるのだ!貧困、父親の心配ごとは幼年時代から、子供たちの心に、暗い情景、時として有毒きわまりない思い出として浮かび上がる」(傍線―筆者、以下同様)(25180[iv]

 この指摘からも、私たちが見過ごしてならないのは、子供の将来の生活に対する記憶、思い出の影響力にドストエフスキーが繰りかえし注意をうながしていることである。作家は続けてこうのべている。

「子供たちははるか老年になっても、父親たちの心の狭さや家庭内でのもめごと、非難、にがい叱責、さらには彼らに対する呪いさえも思い出す〈・・・〉そしてその後も人生において長いこと、もしかしたら一生、その思い出の汚濁を緩和するすべもわからぬまま、自分の子供時代からは何一つ受けとることが出来ないで、そうした昔の人々を無闇に非難することになりがちである」(同) 

さらに作家は将来に憂慮すべき危険性についてのべる。

「そうした子供たちの多くは思い出の汚濁だけではなく、汚濁そのものを携えて人生に乗り出していく。わざとといっていいほどに汚濁を蓄えて、ポケットに汚濁をいっぱいに詰め込んで、旅立つのである。それというのも、後でそれを事にあたって利用するためで、しかも、その親のように苦しみ、歯がみしながらではなく、軽い気持ちでやってのけるためである」(同)

 『作家の日記』でのこうした記述からスメルジャコフをふくむカラマーゾフ家の四人の息子たちの状況が自然に思い浮かぶであろう。彼らはそろって生まれた時から父親の乱脈な生活の犠牲者であり、子供時代のよき思い出(ドストエフスキーによれば人生の危機的な瞬間に人間のかけがえのない精神的支柱になるもの)を育む家庭の温もりをあたえられることもなく、父親と兄弟とも離れ離れに他人の手によって育てられた。

 上記の引用に続けてこう警告されていることに注意しよう。

「人間は肯定的なもの、美しいものの胚子を持たないで、子供時代を出て人生へと出発してはいけない。肯定的なもの、美しいものの胚子を持たさないで、子の世代を旅立たせてはいけない」(25181

 小説フィナーレでの少年達に対してのアリョーシャの有名な演説はいうまでもなく作家のこの訓告をなぞるものにほかならなかった。「何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君達は自分たちの教育ということについて、いろんな議論を耳にするでしょう。ところで、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生をつくりあげるなら、その人はその後、一生、救われるでしょう」(15195

 イワンとアリョーシャはソーニャという母親から生まれた兄弟で、母親とはイワン七歳、アリョーシャ四歳の時に死に別れて、二人とも他人の家庭(少なくともイワンが一三歳の時、モスクワの寄宿舎学校に入るまでの間)で同じ環境で育てられたが、語り手はこの二人の兄弟の記憶、思い出の意義についてきわめて対照的に描いている。子供たちは養育と教育については養育者の「高潔きわまりなく、慈悲にあふれたポレーノフ」に生涯、感謝しなければならないと、語り手は強調しながらも、イワンの子供時代についての思い出がネガティブなものであったことを暗示している。

「私は子供時代、青春時代の彼らについての詳しい話には、いまもまたさしあたり立ち入らないことにして、もっとも主要な事情だけを記すことにする。とはいえ、年上のイワンについては、彼は何かしら気難しい、自閉的な少年に育ち、決して内気と言うわけではないが、自分たちがやはり他人の家庭で、他人の恩恵を受けて育っており、自分たちの父親は口にするのも恥ずかしいような人間である、等々のことを、すでに十歳の頃から見きわめていたかのようであった、ということだけを報告しておく」(1415

 イワンにとっての子供時代の思い出は、おそらく、陰鬱で重苦しく、ネガティブなものであって、思い出すに価しないものであったろう。アリョーシャはイワンと違って、同じ環境での不幸な体験を経ながらも、母親についての思い出を、「暗闇のなかの明るい点の群れのように、また巨大な画面から破りとられた断片のように」(1418)心にとどめていた。アリョーシャのこの思い出は、ゾシマ長老がのべる思い出の性格に一致する。

「両親の家庭から、私は大切な思い出だけをたずさえて巣立った。なぜなら、人間にとって、両親の家庭での最初の幼時期の思い出くらい貴重な思い出はないからである。それはほとんどいつもそうなのであって、家庭内にほんのわずかな愛と結びつきさえあれば足りるのである。もっとも劣悪な家庭の生まれであったとしても、大切な思い出というものは、本人の心がそれを探し出す力をもっているならば、心に保たれているものなのである」(14264

『カラマーゾフの兄弟』という小説はメモワール(回想記)のジャンルの要素を濃厚に持っているということに注意を向けたい。まず第一に、周知のように、小説はアリョーシャの一三年前の伝記という形で、回想のスタイルをとっている。アメリカの研究者ロバート・ベルナップが指摘するように、回想のテーマは小説の書き出し―フョードル・カラマーゾフの死は一三年を経たいまでも人々の記憶にあるという記述で立ち上げられ、フィナーレで反復されて、亡きイリューシャを永久に記憶にとどめるための祈りと、子供時代の思い出の意義についてのべるアリョーシャの演説で全体が閉じられている。[v] もう一つ、ベルナップの興味深い指摘によれば、小説で、肯定的なものは記憶と結びつき、否定的なものは忘却と結びついているということである。[vi] 息子たちの運命を決めたのは、フョードルによる父親としての責任の忘却であり、アリョーシャがドミトリーを探し出すことを忘れたことが、スメルジャコフによる父親殺しが現実化する決定的要因であった。

これから小説の主題を決定している主要なイデー、「記憶」、「思い出」に照らしてスメルジャコフの運命に目を向けるならば、どういうことが見えてくるのか。小説ではスメルジャコフは終始、完全に孤立した存在として位置づけられている。アリョーシャ―ゾシマ長老の線での人間的な配慮と思いやりの圏内に、ドミトリーとイワンはもちろん、父親のフョードルさえも招き入れられているというのに、スメルジャコフは彼らの対蹠人であるかのように、その圏内から排除され、完全に孤立している。その状況でも、スメルジャコフがおそらくフョードルを自分の実父とみなしていたのは間違いない(裁判の場面でフェチュコーヴィチ弁護士はその事実を強調している)。去勢派教祖と同じ姓を持つマリヤ・コンドラチエヴァとその母親、そしてグリゴーリイの妻マルファ以外に誰が、スメルジャコフに親切な態度を示しただろうか。

スメルジャコフの人間的な内面が読者に明らかにされるのは、マリヤ・コンドラチエヴァとの会話の場面である(第二部第五編―二)「ギターをもつスメルジャコフ」)。ゾシマ長老のアリョーシャに対する説話や『作家の日記』で繰りかえし強調されてきた、子供時代の記憶、思い出の重要な教育的意義についての訓示を念頭に置きながら、マリヤに対するスメルジャコフの告白を読むとき、この若者をこんなにも気の毒な、心理的にも出口のない、抑圧された状態に放置できたものだと、驚かざるをえない。誰がスメルジャコフに、「出来ることならまだ母親の胎内にいる時に自殺してしまって、この世にまったく生まれてきたくなかった」(14204)などという過激な言葉をはかせたのだろう。[vii] ドストエフスキーの主人公の数ある自殺者のうちで、ほかに誰かこんな陰鬱な苦い言葉を口にした者がいただろうか。そしてスメルジャコフは追い詰められた心理状態を次のような憤りの言葉で表現する。

「おまえは卑しいやつだ、なぜなら父無し子でスメルジャーシチャヤから生まれたからだ、なんていうやつがいたら、わたしは決闘で、ピストルでもってそいつを撃ち殺してやるよ。モスクワではあてつけるようにそういわれたもんだ。グリゴーリイ・ワシーリエヴィチのせいで、その噂が伝わったのだよ」(同上)

もう一つの重要な問題は、養父であるグリゴーリイのスメルジャコフに対する態度である。アメリカの研究者ウラジーミル・ホルステインはグリゴーリイがいかに父親としての責任に反することをしていたかを、鋭く分析し、フョードル殺しの責任の一半はこの男にあると、指摘している。[viii] グリゴーリイは主人には忠実な従僕、見るからに清廉潔白、堅固、信心深い人間で、スメルジャコフについての彼の評価は信頼性の高いものという印象を読者にもあたえる。ところがこの老人、語り手のコメントでも「陰気で愚かで、頑固な理屈屋」(1413)とされている男は、実はスメルジャコフの虐待者であった。グリゴーリイはスメルジャコフ少年を、恩知らずといっては非難し、猫の死骸で葬式の真似をする少年の奇妙な遊びをとがめて、「鞭でこっぴどく仕置き」さえした。(14114)さらには、少年に対して、「おまえは人間ではない。風呂場の湯気から沸いて出たのだ、おまえってそんなやつだ・・・」(同上)というひどい言葉を面と向かって投げつけ、侮辱した。語り手によれば、「スメルジャコフは、のちにわかったことだが、こうした言葉をはいた養父をけっして許すことができなかった」

天地創造にまつわる聖書物語の勉強の時、十二歳の利口な少年の予期しない質問に困惑したグリゴーリイは「教え子の頬っぺたをかっとなって殴りつけた」それをきっかけに、スメルジャコフの癲癇発作が起きるようになった。

スメルジャコフの人柄で強調されているのは、「おそろしく人嫌いで、口数が少なかった。人見知りだとか何かを恥じているというわけではなく、それどころか、性格的には反対に、傲慢で、すべての人間を見下げているようだった」

このようにスメルジャコフの性格を描写する語り手のこの人物に対するアプローチは、対話的態度とは異質で、この人物の尋常ならざる誕生ゆえに、その性格は運命によって、あらかじめ決定されてしまっているかのような印象を読者にあたえるのである。しかし読者が注目すべきは、スメルジャコフは運命によって自分が拘束されているかのような他者の眼差しに、あらゆる点で反抗していることである。この人物像を染め上げているのは自分の運命に対する反抗のモチーフといって過言ではない。

まず第一に、彼はこの世に生まれることを拒否したかった。第二に、彼はロシアを憎む。というのも、誰もが彼の母親リザベータ・スメルジャシチナのことを、「頭に皮膚病をもっていて、背丈はせいぜい二アルシンとちょっぴりしかなかった」などと軽蔑的に語るからであった。(14204)。その結果、彼はナポレオン崇拝に走り、一八一二年にフランス軍がロシア人を征服しなかったことを残念がっていた。

ロシアからの脱出を考えて、スメルジャコフは「フランス語の語彙集」を自習していた。彼はスコトプリゴニエフスクを出て、モスクワの中心街でレストランを開くことを夢見ていた。彼が自分のコックとしての腕前を自慢するのも、理由がなかったわけではない。(「なぜなら私は特別料理を作りますからね。モスクワでは外国人以外、特別料理を出せる者はいやしません」(14205) そして彼はドミトリーのことをこういって軽蔑した。「ドミトリー・フョードロヴィチは素行の点でも、頭の働きでも、あの貧乏たらしさでも、どんな下男にも劣るくらいですよ。何もする腕がないくせに、反対に、みんなから敬意をうけている」(同)

もしスメルジャコフの立場で、彼の目でもって周囲の世間を見るならば、彼にはそのような傲慢な言葉をはく正当な権利があるだろう。何しろ小説のすべての登場人物のなかで、本当に仕事をしているのは彼だけだからである。その意味で、パーヴェル・フォーキンの「スメルジャコフの台所で」という論文は面白い。筆者はスメルジャコフのコックの仕事の性格を「創造」と見なす。「創造主として、彼は自分を神の<同僚>と感じている。より正確にいえば、<反創造主>である。なぜなら無機的な素材でもって仕事する他の芸術家とは違って、自分のものを「創造する」に先立って、コックは神による何かの被造物を殺さなければならないからである」[ix]

フォーキンの解釈は面白いし、説得力もある。しかしコックの職業をそのように規定することは、スメルジャコフの性格を運命論的に決定づけることになりはしないか。スメルジャコフはつねに自分の屈辱的な立場を羞恥し、運命による決定論的な力に抗議して、自分に向けられた他人のまなざしに逆らって行動した。強調されている彼の病的なまでの清潔好きは自分の姓の語源「 « смердеть» スメルデェーチ(悪臭を発する)」からの連想への否定的反応から習慣化したものと理解すべきだろう。

スメルジャコフはこのような人物として、ドストエフスキー文学にとっては珍しくない、「地下室の意識」をもった個性の一人だと考えることができる。その意味でも、スメルジャコフが去勢派のセクトの影響下にあったかどうかも見逃せないであろう。このことも語り手はスメルジャコフの内面に立ち入るのではなく、外見の印象から、暗示的に示しているだけである。「彼は突然、異常にふけこんで、まったく年齢にそぐわないくらいに皺が寄り、黄色みをおびて、去勢派信者に似てきた」(14115)、「去勢派信者のようなかさかさの顔がひどく小さくなったかのように見えた」(1543)、「彼(イワン)は怒りと嫌悪感をいだきながら、櫛で髪をなでつけたスメルジャコフの去勢派信者のような憔悴した顔つきを眺めた」(14243

スメルジャコフが淫蕩漢による手ごめの結果として、可哀そうな母親リザベータの腹から生まれた出自を羞恥していた以上、自己否定への衝動と淫蕩への嫌悪感から、去勢派セクトへ引き寄せられたのも、自然の成り行きであったと見るべきではないか。なぜなら、よく知られているように、去勢派セクトの過激な禁欲主義は、鞭身派の性的アナーキズムの反動として発生してきたものだからである。

スメルジャコフの去勢派セクトへの関心のモチーフが、自己否定と淫蕩への激しい嫌悪にあったとするならば、この男によるフョードル殺しの主たる原因は、イワンの観念的な影響(「すべては許される」)というよりはむしろ、この若者の内部にひそかに蓄積されてきた自分の出生にかかわる父性への憎悪とも解釈できるのではないか。そう見るならば、イワンの思想を利用し、隠れ蓑にしたのはむしろスメルジャコフの方だという読みかたも可能であろう。イワンの罪責感に道化性を見る逆転した見方もありうるのではないか。

私が注目したいのは、スメルジャコフに関する語りのスタイルは常に、外面的な客体描写が特徴であって、ドストエフスキーの語りに特徴的な主人公への共有体験(вживание)ないし同化の要素が欠如していることである[x]。最も肝心なことは、他者に対する対話的な姿勢において際立っているアリョーシャが、可哀そうなスメルジャコフに対しては、まともに関心をはらわず、人間的な態度をまったく見せていない。マリヤ・コンドラチエヴァに対してスメルジャコフが苦い告白をするのを、現場にいて陰で聴いていたのはほかならぬアリョーシャではなかったろうか。読者はアリョーシャの息づかいを感じながら、彼と共にスメルジャコフの告白を聴いていたはずである。それなのに、なぜアリョーシャはスメルジャコフを無視し、この「義兄弟」について沈黙し続けたのであろうか。それでいてアリョーシャは子供時代の「思い出と記憶」の重要な教育的意義について、スメルジャコフの運命は眼中にないかのように、小説のフィナーレでは、少年たちに向かって熱弁を振るうのである。

さらにアリョーシャはゾシマ長老の説話の自殺者に関する重要な一節を忘れている。ゾシマは説く。「この地上で自分を滅ぼすものは悲しい。自殺者は悲しい!自殺者より不幸なものはいないと私は思う。自殺者について神に祈るのは罪だと私達は聞かされている。また教会も表向きは自殺者を門前払いしている。しかし、私は彼らのために祈ることは許されるはずだと、心ひそかに思っている。キリストにしても愛の業に腹をたてられはしまい。私は一生、自殺者たちのことを祈ってきた。神父、諸師よ、そう今でも、毎日祈っていることをあなたがたに告白する」(14293

スメルジャコフの自殺をマリヤ・コンドラチエヴァから誰よりも早く知らされて、現場に駆けつけたのはほかならぬアリョーシャであった。彼はそのことをイワンに、いかなる人間的な反応を示すことなく、報告し、もっぱら二人の兄のことだけを気遣う。イワンが幻覚に苦しめられ、意識を失ったあと、アリョーシャが熱心に祈るのはドミトリーと、とりわけて、イワンの身の上に限られていて、スメルジャコフは念頭になかった。

「眠りにつきながら、ミーチャとイワンのことを祈った。彼にはイワンの病気が明らかになってきた。「傲慢な決意の苦しみだ、深い良心の痛みだ!〈…〉神が打ち勝つであろう!」と彼は思った。「真実の光の中に立ち上がるか、それとも・・・信じていないものに奉仕したがために、自分とすべての人への面当てに憎悪のうちに滅びるかのどちらかだ」―アリョーシャは痛ましい思いを重ねながら、ふたたび、イワンのことを祈った」(1589

この個所を読むと、私は、アリョーシャの側からのスメルジャコフに対する露骨な差別ではないかという思いを禁じえない。スメルジャコフは「誰にも罪を着させないために、自分自身の意思と好き勝手で、自分の命を滅ぼす」という遺書を残して死んだのだった。ここで注意をうながしたいのは、ゾシマ長老の先の言葉で、「この地上で自分を滅ぼす者は悲しい」の「滅ぼす」とスメルジャコフの遺書の「自分の命を滅ぼす」の「滅ぼす」は同じ単語 「イストレビーチ «истребить»」が使われていて、「絶滅する」「殲滅する」「根絶やしにする」といった激しいニュアンスのものである。自殺者でも『悪霊』のキリーロフの遺書(「自分を殺す «убиваю же сам себя»」)や 『白痴』のイポリットの遺書(自殺«самоубийство»)に見られる通常の表現とは明らかに異なっている。ここには明らかに、ゾシマ長老のメッセージとの並行関係が暗示されている。だとすれば自殺者スメルジャコフのことを祈らないアリョーシャは師の遺訓をも忘れていたことになろう。ゾシマの言葉とアリョーシャの振る舞いの目立ったズレからも、アリョーシャ・語り手(二次的作者)とゾシマの遺訓を告げる、隠れた「一次的作者」の存在の二重性を感知することができる。

人間にとっての「思い出」や「記憶」の意義をゾシマ長老の教えに導かれて少年たちに語るアリョーシャ、そして一方、自殺者への祈りを諭す長老の遺訓が念頭になかったアリョーシャ ― フョードル殺しの決定的瞬間の直前に、彼がドミトリーを探し出すことを忘れ、さらに腹違いの兄弟であるスメルジャコフを人間的に無視し続けたことが、父殺しを現実化させる一因になったことは疑えない。その意味で、アリョーシャは罪(咎)を免れることはできない。

すでにのべたように、「作者」なる語り手はアリョーシャの伝記を書くことを目的とし、作中の人物たちへの関心をアリョーシャと共有しているが、スメルジャコフという人物の内面に目を向けることには、まったく関心がない。クラムスコイの「瞑想家」と題する絵画の農夫やワラームの驢馬とのスメルジャコフの観念的な比較も、もっぱら外面的な印象から、スメルジャコフの精神的、神秘的奇怪さを強調しているに過ぎない。さらに物語が進展すると、スメルジャコフについての語りはもっぱらイワンの知的な世界、自意識の領域に引き込まれて展開され、スメルジャコフはイワンの分身、あるいは共犯者、あるいはイワンの思想の戯画化、パロディないしは陰の部分、あるいは悪魔の変身という暗示に、読者を誘導していく。

ロシアの研究者ナターリヤ・ロゴーワがこうのべていることに、注目したい。

イワンはスメルジャコフに、「あの「小さな」赤ん坊、つまりその子供の涙が彼に、彼の心に嵐のような激しい怒りを引き起こしたあの赤ん坊の姿を見ていない」、「自分が創り上げた「子供の涙」の抽象的な姿に眩惑されて、イワンは子供たちの生きた悲しみを見ていないし、感じてもいない」[xi]

無辜の子供の涙の不条理についてイワンがアリョーシャに語る時、イワンは「人々の間の罪の連帯性солидарность в грехе между людьми»)」といういかにも定型化した抽象的な概念を使ている。(14222)[xii] この時イワンはこの概念にとらわれていて、義兄弟であるスメルジャコフの現実を見ていない。おそらくフランス語(solidarite)から移入されたであろうこの抽象語をイワンが使用するについては、一定の背景があるのではないかと推測される。一九世紀ロシア知識人の民衆に対する罪責感というふうに、社会心理的に解釈できるかは、速断できないが、イワンの口から出たこの用語のルーツについては、探究する必要があろう。いまのところ私が知る限り、アカデミー版全集その他の作品の注やドストエフスキー百科に類する刊行書でも、この用語に目を向けているものは見当たらない。

この用語が例外的なものではないかという気がするのは、同じ場面で、イワンが前後三回口にする以外には、小説全体を通じて、ほかの誰も口にしないからである。もしこの用語が一般化したものであるならば、他の人物達も使わないはずがない。ゾシマ長老は同じ意味のこと(「人間はすべての者に対して罪がある」)をのべるにしても、このような抽象な概念は使っていない。[xiii]

ゾシマ長老の言い方はこうである。

「自分を人間的な罪全体に対して責任ある者としなさい。友よ、それは真実その通りなのですからね。なぜなら、自分を全てのことと全ての者に対してまことに責任ある者と考えた途端に、それはまさしくその通りであつて、自分こそ全ての者とすべてのことに罪があるということをすぐに覚るはずです」(14290)

またこの用語が述語的に使われた場合が二例あるが、いずれも、イワンの意識内容にかかわっている。イワンはカテリーナに対して「殺したのがドミトリーではなくスメルジャコフだとしたら、もちろんその場合は自分にも連帯責任がある( «солидарен» ソリダーレン)」と告げる。その理由は自分がスメルジャコフをそそのかしたからだし、「ドミトリーではなく、彼一人が殺したのだとしたら、もちろんこの自分も殺人者だ」というのである。

もう一つの例は、最近のこの何日間かの間での、スメルジャコフへのイワンの心境の変化を、語り手が叙述する個所である。以前はスメルジャコフに教育的な態度で接していたイワンが、最近、相手の得体の知れない反応ぶりに急に面食らい、嫌悪感をつのらせていくいきさつを語り手はイワンの目線で描く。

「スメルジャコフはいつも何か遠まわしの、明らかにとってつけたような質問をするのだが、何のためとは説明せず、あれこれ問いただして、最も熱をおびた瞬間に、急に黙りこくり、まったく別の話題に移るのだった。ついにイワンが決定的に苛立たせられ、嫌悪感をいだくにいたった肝心のきっかけは、スメルジャコフがイワンに対して示すようになった何かいやらしい、特別のなれなれしさだった。それは時がたつとともにひどくなっていった。それはあえて不作法というわけではなく、反対にいつもきわめて慇懃な口のききかたではあった。しかしどうしてそう考えるにいたったかわからないが、イワンとの間には結局のところ、何かの点で連帯関係ある(«солидарным» ソリダールニム)と心得ていて、二人の間には約束事めいた、秘密めかしいものが存在し、二人の側から発せられた言葉は二人だけには分るものの、周囲にうごめく輩には皆目理解できはしないといった調子でいつも話すのであった」(14243

この叙述のスタイルからも分るように、語り手はもっぱらイワンと一体化し、イワンの感触で外在化したスメルジャコフとの違和感、圧迫感を語る。これを裏返してスメルジャコフの側から、仮に語り手が語るならば、自分の出生、育ちへの怨念から密かに父親殺しの衝動を隠し持っていた人物からの、イワンへの圧力を込めた意図的なアプーチを意味したかもしれないのである。イワンがこだわる「罪の連帯性」という観念は、実はスメルジャコフにとっては、差別意識に苦しめられたこの義兄弟との、人間的な平等を実感できる魅力的なキーワードであり、復権をもたらす梃子であったかもしれない。

裁判の場面で登場する慧眼の弁護士フェチュコーヴィチは、ドミトリーの弁護人の立場からの厳しい指弾とはいえ、スメルジャコフの意識を内側から的確に把握していたというべきであろう。弁護士によれば、スメルジャコフはイポリート検事が指摘したような「知能薄弱」、「臆病」な性格ではない。反対に「ナイーブさの陰に隠された恐るべき猜疑心をいだき、きわめて多くのことを見抜く知力を持っている」。弁護士の印象によれば、この男は「抜きがたい憎悪心と、方図のない虚栄心、復讐心に燃える嫉妬の塊」であり、弁護士が得た情報によれば、スメルジャコフは「自分の出生を憎んでいて、それを恥ずかしく思い、「スメルジャーシチャヤから生まれたこと」を歯ぎしりしながら思い起こしていた。子供時代の昔の恩人である従僕のグリゴーリイ夫妻に対しては敬意を示さなかった。ロシアを呪い、嘲笑していた。彼はフランスへ去って、フランス人になることを夢見ていた」(15164

また弁護士はスメルジャコフが自分をフョードルの私生児と考えていた(その事実もあるとし)、また嫡出子の他の三兄弟との差別を憎んでいた可能性があるとのべ、この青年の自殺が絶望からのもので、恨みと憎悪の結果であると指摘した。(15166

フェチュコーヴィチ弁護士によるこうしたスメルジャコフ評は、本質的に本論の視点と共通している。すなわち、出生や子供時代の生育にかかわる記憶、思い出が損なわれた結果、人間形成がはなはだしく歪められたという認識である。

『カラマーゾフの兄弟』の基本的主題である「子供時代の記憶・思い出」の認識、さらに「両端のある棒」(「両刀の剣」)の比喩を用いての心理の精神分析的手法への批判などから見ても、フェチュコーヴィチ弁護士は、「自殺者への祈り」を勧めるゾシマ長老とともに、語り手(二次的作者)の視野の外に臨在する、「隠れた一次的作者」(ドストエフスキー自身)の視点の存在を読者に感じさせるものといえる。

 

さて、先述の山城氏の「スメルジャコフを愛することができなければ、アリョーシャを理解することができない」、「スメルジャコフの苦しみに全幅の共振ができて初めてカラマーゾフの全スペクトルを理解したと言える」という言葉にせよ、ヴィトゲンシュタインの「彼は深い、このキャラクターのことをドストエフスキーは知り尽くしていたのだ。彼はリアルだ」という言葉にせよ、まず第一に、スメルジャコフという若者の素顔、彼の置かれた現実を振り返ることなくしては、論は始まらないはずである。その意味からも私はこの人物の現実をその内側の意識から探り出す必要を感じ、語り手の叙述の視点、アリョーシャの態度を、小説の思想的主題に照らして再検討してみた。それはいわば、小説の主題の倫理的側面からの考察であった。

語りのスタイルにおいて、なぜスメルジャコフだけが差別化されて、客体化のベールをかけて描かれ、作中の人間関係模様において主調音を奏でるアリョーシャもまた、この義兄弟に対してだけは一貫して無関心を押し通したのか、この疑問は依然として残る。この倫理的疑問を解くにはやはり別の補助線を引く必要があるのではないか。そこには、いうならば倫理的要請と芸術的、美学的要請のアポリアがあるのではないか。

この父親殺しを中心的な事件とする小説で、仮にアリョーシャがスメルジャコフに同情を寄せ、理解し、兄弟的に接していたならば、事件は起きなかったであろう。そうすればイワンの壮大な思想的テーマもドミトリーの劇的な信念更正の物語も、現存する形では成立しえなかったであろう。いうならば、この一編の小説が成立するためには、その骨格として、山城氏のいう「アリョーシャとスメルジャコフの左右対称性」が前提として美学的に必要とされたのだ。善と悪の二元論的緊張の両極としてのアリョーシャとスメルジャコフが倫理的な意味で交叉することは、美学的原理には背くものであったのだろう。ここでは芸術として、倫理的要請よりも美学的要請の原理が優越したにちがいない。

イワンの悪夢に登場する悪魔がいうには、自分は善人で否定は苦手なのだけれど、宿命によって否定を運命づけられている。事件がないと世の中は退屈だというので、いやいやながら事件の種になるようなことをしている。

「もっぱら職務と自分の社会的立場のゆえに、私は好ましい瞬間を自分の内部に押し潰して、汚らわしい事態にとどまるように強いられているのだ。善の名誉は誰かがすべて横取りし、ぼくに残されているのは、汚らわしさの集積だけなんだ」(1582)

悪魔のこうしたくり言、訴えの背後に二重写しの映像として浮かびあがるのは、スメルジャコフの姿ではないだろうか。彼は自分の運命を支配する決定論的な力に、徹底的に反抗しようとした。しかし彼にはその自由意志は許されなかった。彼はあくまで人間の関係性の磁場からはじき出され、小説構成上の美学的要請によって、否定的な悪魔的存在として終始せざるをえなかった。それはひたすらドラマの欠くべからざるファクターとして、歯車として、物語の活性化、主題展開のために奉仕せざるを得なかった。悪魔にいわせれば、自分が「ホサナ(神への讃歌)」を叫んだら「たちどころに世の中のすべてが消えうせ、いかなる事件も起こらなくなってしまうだろう」。同様に、スメルジャコフの人間性は小説の筋立てのために犠牲とされ、甦生の道は絶たれ、悲劇的な生を終えざるを得なかった。スメルジャコフの自殺の悲劇は芸術と倫理の永遠のアポリアに位置づけられるものではないだろうか。

 

 



[i] 二〇一〇年一一月二七日の第二〇一回例会で、私は 「父親殺しにおけるアリョーシャ・カラマーゾフの罪」と題して報告した。これは、その年の六月一三―二〇日にイタリアのナポリで開催された第一四回国際ドストエフスキー・シンポジュウムでの報告:«Вина Алеши Карамазова перед Смердяковым в отцеубийстве» を基にしたもので、あえて同じタイトルを使って、«вина Алеши»を「アリョーシャの罪」と訳したのであったが、例会会場での反応から感じたのは、ロシア語での「罪」(«вина»は、「責任」「落ち度」「過失」「原因」など、幅の広いニュアンスを含むのに対し、日本語の「罪」の語感では、ロシア語での原罪の「罪」 «грех»、法律上の「罪」 «преступление»とも混同して受け取られ、釈然としない印象をあたえるのではないかということだった。それで意味を明確するために「咎」と改めることにした。広辞苑によれば、「責任を負うべき過失、あやまちの場合に「咎」、法律上罪となる場合に「科」と書き分けることがある」

 

[ii] バフチンの以下に紹介する論述は、読者がドストエフスキーを読み解く上での、基本的な視点を提供してくれていると、私が確信するポイントである。この私の論稿を理解していただくためには、ぜひ注意して、ご一読いただければ幸いである。

「作品の作者というのは、作品の全体の中にのみ存在するのであり、その全体のある強調された場面とか、ましてや作品の全体的な内容から切り離された部分に存在するのではない。作者が存在するのは、内容と形式が緊密に融合していて、抜き出して強調することは出来ない要所においてであって、私たちが作者の存在を何よりも感知するのは、その形式においてである。文芸学は、通常、全体の内容から抜き出した場面に作者を求めようとし、それと作者、すなわち、一定の時代の、一定の伝記と世界観をもった人物とを安易に同一視させている。それにともない、作者の姿は実際の人間の形象とほとんど交じり合ってしまつている。

 真の作者というものは形象となりえない。なぜならば、彼は作品中のあらゆる形象、すべての形あるものの創造者だからである。それゆえ、いわゆる作者像というのはその作品の複数の形象の一つに過ぎない(もっとも、特殊な種類の形象であるが)。画家はしばしば絵に(端っこの辺りに)自分を描き、自画像さえも書き込む。しかしその自画像に私たちは作者そのものを見るわけではない(見てはいけない)。いずれにせよ、作者のほかのどの作品でも見る以上のものではない。作者が最もよく明らかになるのは、その作者の優れた画面の中である。創造する作者は、彼自身が創造者である領域で創造されることはありえない。それは natura naturans (産み出す自然)であって、 natura naturata(産み出される自然)ではないからである。私たちが創造者を見ることができるのは、その創造の中であって、決してその外においてではない」(傍線部原著―イタリック)(M.バフチン「人文科学の方法論に寄せて」)М.Бахтин : «К методологии гуманитарных наук» // Эстетика словесного творчества М., Искусство, 1979.//  с.362-363

 

作者像の問題。(創造されえない)一次的作者と(一次的作者によって創造された作者像である)二次的作者。一次的作者はnatura non creata quae creat(創造し、創造されない自然)、であり、二次的作者はnatura creata quae creat(創造され創造する自然)である。主人公の形象はnatura creata quae non creat(創造され創造しない自然)である。一次的作者は像になりえない。それはあらゆる形象のイメージからすり抜けてしまう。私たちが一次的作者を形象としてイメージしようとすると、私たち自身がその像を創り出す、つまり私たち自身がその像の一次的作者になってしまう。創造する像(つまり一次的作者)は、彼によって創造されたいかなる形象にも入らない。一次的作者の言葉は作者自身言葉とはなりえない。それはより高次の無人称の何ものか(学問的論証とか、実験とか、客観的資料とか、霊感とか、啓示とか、権威など)による浄めを必要とする。一次的作者は、もし直接の言葉で発言するならば、単純に作家ではありえない。作家の人称においては、何も言えないからである(作家は時事評論家、倫理家、学者などに変身してしまう)。それゆえ、一次的作者は沈黙と化す。しかしこの沈黙はさまざまの表現形式、緩和した笑い(アイロニー)や寓意その他のいろんな形式をとることができる」(傍線部原著―イタリック)(「一九七〇ー一九七一年のノートから」)М.Бахтин : «Из записей 1970-1971 годов» // Эстетика словесного творчества М., Искусство, 1979.// с. 353-354

なお『弱い心』についての私の論稿は私のネット論集:http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost200.htmでも見ることができる。

 

[iii] プログラム掲載の上記の題名から、発表時には「父親殺しにおけるスメルジャコフへのアリョーシャの罪」へ変更した。

 

[iv] 以下、ドストエフスキー作品からの引用はソ連アカデミー版30巻全集による。かっこ内は巻数とページを示す。

[v] Belknap R.L. The Genesis of The Brothers Karamazov. Northwestern Univ. Press, 1990. Р. 79-80.

 

[vi] i-bid. Р. 82.

 

[vii] スメルジャコフのこのせりふは、ドストエフスキーが子供時代から深く感銘を受けていた旧約聖書の「ヨブ記」に見られるヨブの神に対する抗議のせりふ「なにゆえにあなたはわたしを胎からだされたか。わたしは息絶えて目に見られることなく、胎から墓に運ばれて、初めからなかった者のようであったなら、よかったのに」(一〇‐18,19)あるいは「なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか」(三‐11)、「なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか」(三‐16)(日本聖書教会、1955年改訳版)を連想させ、いや、これに匹敵する、それ以上の気迫さえ感じさせられる激烈なものである。

 

[viii] Goldstein. V. Accidental Families and Surrogate Fathers: Richard, Grigory and Smerdyakov //Edited by R.L. Jackson. Northwestern Univ. Press. 2004. Р. 90-106.

 

[ix]П.Фокин. На кухне Смердякова // Достоевский и мировая культура. 充ちている 17. М., 2003. С.402-403.

 

[x] ドストエフスキーの創作のこの特徴については、拙論「ドストエフスキー文学の『最高の意味でのリアリズム』とは何か」(初出:「江古田文学」66,2007)を参照されたい。ネット論集:http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost201.htm

[xi]Н.Б.Рогова. Идея духовного «отечества» и «братства» в романе «Братья Карамазовы» //. Достоевский и мировая культура 19. СПб, 2003. С.196.

 

[xii] 「人々の間の罪の連帯性」(«солидарность в грехе между людьми»)という定型化したフレーズをイワンが使っていることにあらためて気づかせてくれたのは、木寺律子の「『カラマーゾフの兄弟』における罪の連帯性」(「ロシア語ロシア文学研究」38,2006)や第一九三回例会(2009.7月)での報告「ドストエフスキー文学における罪」であった。

 

[xiii] この疑問を書いた後、モスクワのドストエフスキー研究者パーヴェル・フォーキンに、メールで意見を求めた。かれの返事によると、ラテン語のSoliditasに発する「連帯」の用語が使われるようになったのは、一八六〇年代、チェルヌイシェフスキーの「現代人」一派あたりからではないかということであった。

一八七三年の「作家の日記」のチェルヌイシェフスキーの思い出の中にこの言葉が使われているし、その後『白痴』のプチーツィン、『未成年』のソコロフスキー若公爵、『悪霊』のヴィルギンスキーや雑報記者の言葉にも使われている。しかし、「罪の連帯性」という表現はイワン独特のものであり、この表現はさらに探究を要する問題性をはらんでいる。