会発足の言葉

 

明治以後のわが国知識人の精神史に、ドストエーフスキイ文学のあたえた影響は、今日にいたるもその持続度と深さにおいて、他に類を見ないものがある。それだけわたしたちの精神とこの19世紀ロシアの作家との対話の歴史は古い。いわばそこには一つの精神の潮流のごときものが形成され、そこにかもされる渦や流れの形は時代とともに変わってきた。しかしその変化をつくりだしてきたものは歴史のまにまに漂う精神の惰性ではなかった。それはつねに源流に向って溯ろうとする精神の姿勢であり、時代の変転の中で人間の根源的なものへ問いかけようとするまなざしであった。

 今わたしたちが共有している精神史のなかに、わたしたちは故・米川正夫氏のドストエーフスキイ全集の訳業をはじめとして、数々の人々たちによる作品や研究の翻訳、あるいは数々の多くのすぐれたドストエーフスキイ論を持っている。いまだ書かれざる多くのドストエーフスキイ論、あるいは「私のドストエーフスキイ」を持っているであろう。

 こうしたわたしたち一人一人のドストエーフスキイとの長い対話の歴史のなかで、今日その広場をさらにひろげ、その質を高めるために、この作家を愛好する人々相互の、生き生きとした自由な結びつきを必要としないであろうか。この作家へのおのおのの問いかけを提示しあうことによって、現代に生きるドストエーフスキイを発見するために、また混沌たる時代に生きるわたしたち自身の相貌を明らかにするために、ドストエーフスキイをあいだにはさんだ対話を必要としないであろうか。

 「ドストエーフスキイの会」は以上のような欲求を持って自発的に寄りつどった人々の自由な集まりである。

 

1969年212

                                 ドストエーフスキイの会

 

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